モンテンルパの夜は更けて・5
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モンテンルパの夜は更けて (編集者, 2009/11/29 8:16)
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- Re: モンテンルパの夜は更けて (えー, 2009/12/25 21:47)
編集者
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歌は出来たが-
昭和26年のモンテンルパ刑務所に戻る。
所の敷地内に絞首台がある。処刑された屍はその傍の掘られた墓穴に葬られる。その墓穴が掘られ始めたのだ。
先の14名の時は14の墓穴が掘られた。死刑囚たちの耳にはその時の穴を掘る音が耳に残っている。
一人「回は幾つ掘られるんだ。妙な緊張と押しっぶされるような空気が獄舎には立ちこめていた。墓穴は19個、掘られた。
そんな頃、歌が完成した。「伊藤さん、みんなに歌って聞かせてください」 加賀尾が言う。
うなずいて伊藤がオルガンを弾き、歌う。大声のダミ声だ。皆があつけにとられて聴いている。伊藤はオンチこそ直っていたが歌唱はうまくない。戦犯囚たちの反応もよくない。また、19の墓穴の恐怖もあり、彼らは心から歌うことなどできなかった。
これが 「モンテンルパの歌」の誕生の瞬間であった。
~これではいけない。加賀尾はこの歌を日本の有名歌手に歌わせたいと画策。当時の国民的歌手、渡辺はま子に渡りをつけた。
伊藤は便箋に五線を引き、懸命に譜面を書いた。人に見せる譜面など書いたこともないのだ。代田は歌詞の細部を何度も書き直す。後に完成の歌の詞は3番だが、この時点では5番まであった。
譜面が渡辺はま子の手許に届いたのは昭和27年4月上旬。これより3ケ月ほどトラブルはあったが、はま子の強い意志がレコード会社を動かし、ついにこの歌が日の目を見たのである。
所詮、素人の作詞作曲だと、加賀尾は添削、編集を願いたい、と申し出ていたが、「物悲しい、この雰囲気は当事者ならではのもの」と、ほとんど原曲のままレコーディングされた。ただ題名だけは「ああモンテンルパの夜は更けて」と改題。吹き込みの目には伊藤正康の留守家族、従兄の杉江小市、姪の杉江洋子が招かれ、はま子が菓子を出すなど、かいがいしく接してくれたという。