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モンテンルパの夜は更けて・5

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通常 モンテンルパの夜は更けて・5

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1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2009/12/8 7:58
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 歌は出来たが-

 昭和26年のモンテンルパ刑務所に戻る。
 所の敷地内に絞首台がある。処刑された屍はその傍の掘られた墓穴に葬られる。その墓穴が掘られ始めたのだ。
 先の14名の時は14の墓穴が掘られた。死刑囚たちの耳にはその時の穴を掘る音が耳に残っている。
 一人「回は幾つ掘られるんだ。妙な緊張と押しっぶされるような空気が獄舎には立ちこめていた。墓穴は19個、掘られた。

 そんな頃、歌が完成した。「伊藤さん、みんなに歌って聞かせてください」 加賀尾が言う。
 うなずいて伊藤がオルガンを弾き、歌う。大声のダミ声だ。皆があつけにとられて聴いている。伊藤はオンチこそ直っていたが歌唱はうまくない。戦犯囚たちの反応もよくない。また、19の墓穴の恐怖もあり、彼らは心から歌うことなどできなかった。
 これが 「モンテンルパの歌」の誕生の瞬間であった。

 ~これではいけない。加賀尾はこの歌を日本の有名歌手に歌わせたいと画策。当時の国民的歌手、渡辺はま子に渡りをつけた。
 伊藤は便箋に五線を引き、懸命に譜面を書いた。人に見せる譜面など書いたこともないのだ。代田は歌詞の細部を何度も書き直す。後に完成の歌の詞は3番だが、この時点では5番まであった。
 譜面が渡辺はま子の手許に届いたのは昭和27年4月上旬。これより3ケ月ほどトラブルはあったが、はま子の強い意志がレコード会社を動かし、ついにこの歌が日の目を見たのである。

 所詮、素人の作詞作曲だと、加賀尾は添削、編集を願いたい、と申し出ていたが、「物悲しい、この雰囲気は当事者ならではのもの」と、ほとんど原曲のままレコーディングされた。ただ題名だけは「ああモンテンルパの夜は更けて」と改題。吹き込みの目には伊藤正康の留守家族、従兄の杉江小市、姪の杉江洋子が招かれ、はま子が菓子を出すなど、かいがいしく接してくれたという。

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