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「特攻」より 2

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通常 「特攻」より 2

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2014/8/4 7:34
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 前記のように、陸軍船舶特別幹部候補生は、昭和18年11月に制度が設けられ、翌19年春には募集が開始され、中学3年修了程度以上の15歳から18歳の少年を対象に選抜試験が実施され、その年の6月には約1700名の第1期生が入隊している。

 入隊した場所は、香川県小豆島渕崎村(現土庄町)の船舶特幹隊であった。そして、僅か4カ月の短期間に海上挺身戦隊要員を達成するため、小豆島西方の秘匿基地・豊島で猛訓練を開始した。訓練基地は、後に広島県江田島の幸ノ浦に移されたが、昭和20年8月15日の終戦まで、1年4カ月足らずの間に第1期生から第4期生まで、約7000名が入隊し、第1期生から第3期生までは基礎訓練を終えて実戦配備に就き、第4期生は基礎訓練中であった。

 しかも、第1期生の大半と第2期生の一部は、フィリピン、台湾及び沖縄作戦の海上挺進部隊として大活躍し、特攻戦死しておられる。

 それより先、昭和19年4月、陸軍船舶司令部(広島市字品)内で、鈴木宗作司令官以下関係者の間に、海上の防衛は航空部隊のみに任せることなく、船舶部隊自らの手で実施すべきだとの意見が強まった。そのため、筒単で軽量の攻撃艇を、予め敵の予想上陸正面に配置し、奇襲によって上陸船団を側背から攻撃する着想を立て、野戦船舶本廠に舟艇の試作を、戦法等について船舶練習部にそれぞれ担当させた。

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