「特攻」より 3
投稿ツリー
-
「特攻」より 1 (編集者, 2014/8/3 5:40)
- 「特攻」より 2 (編集者, 2014/8/4 7:34)
- 「特攻」より 3 (編集者, 2014/8/5 6:31)
- 「特攻」より 4 (編集者, 2014/8/6 6:36)
- 「特攻」より 5 (編集者, 2014/8/7 6:13)
- 「特攻」より 6 (編集者, 2014/8/9 6:16)
- 「特攻」より 7 (編集者, 2014/8/10 8:37)
- 「特攻」より 8 (編集者, 2014/8/11 6:07)
- Re: 「特攻」より 1 写真 (編集者, 2014/8/12 6:47)
- 「特攻」より 1 写真2 (編集者, 2014/8/13 6:10)
編集者
居住地: メロウ倶楽部
投稿数: 4298
また、これとは別に、大本営陸軍部でも、この目的のため、兵器行政本部と第十技術研究所に、肉迫攻撃艇の開発を命じていた。昭和19年7月、海軍の四艇と陸軍の試作艇の比較試験を行い、各種の要件を充たすことで、第十技術研究所の試作になる甲一号型を採用することに決定した。
この艇は、長さ5・6m、幅1・8m、排水量1・5トン、最大速力20~25ノット(36~45km)、航続時間3・5時間、250鹿爆雷1個装備のベニヤ板製のモーターボートで、秘匿名称を連絡艇レとした。
昭和19年8月、海上挺進戦隊10個戦隊の仮編成が小豆島の船舶特別幹部候補生部隊において完了、豊島におけるレの訓練が開始された。
1個戦隊は、戦隊長以下104名、レ100隻をもって編成された。
戦隊は、戦隊本部(戦隊長以下11名)と3個中隊(中隊長以下31名)からなり、更に中隊は、中隊本部(中隊長以下4名)及び3個群(各9名)とからなり、戦隊を戦術単位、中隊を戦闘単位とし、1個群 (9隻)を行動の最小単位と定めた。
戦隊長には、すべて正規将校、即ち陸軍士官学校出身の若い少佐(51期・52期)及び大尉(53期・封期)を充て、中隊長には主として昭和19年7月少尉任官の陸士57期生を主体とし、そのほか陸士56期生(一部55期生)、幹部候補生出身の若い中尉又は少尉(幹候8期・9期)のうち、特攻を自ら志願する者が充てられた。群長(小隊長)には、第1ないし第10戦隊には、昭和18年12月に学徒出陣した幹部候補生第10期生を、第11ないし第30戦隊には同第11期生(いずれも船舶幹部候補生と一般幹部候補生からの出身者)及び同第12期の見習士官及び各地の陸軍予備士官学校等出身の見習士官が充てられた。一般隊員としては、第1ないし第19戦隊までは、船舶特別幹部候補生を充て、第20から第30戦隊には、その不足分を現役下士官及び下士官候補者や乙種幹部候補生から採用して充てられた。
このように戦闘の主力をなしたのは、この年若い少年兵達であった。全軍から選抜された、この16歳から25歳の若き精鋭達は、昼夜を分かたぬ猛訓練の後、昭和19年10月、30個戦隊の編成をもって、それぞれ最後の決戦場とされたフィリピン、台湾、沖縄に展開を完了した。このほか、本土決戦準備のため、更に第31~53戦隊が編成ないし仮編成された。