「特攻」より 4
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「特攻」より 1 (編集者, 2014/8/3 5:40)
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- Re: 「特攻」より 1 写真 (編集者, 2014/8/12 6:47)
- 「特攻」より 1 写真2 (編集者, 2014/8/13 6:10)
編集者
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陸軍海上挺進隊の肉迫攻撃挺レは、海軍の同種水上特攻艇震洋四が、艇首に250kgの爆雷を収納して衝突する体当たり攻撃方式であるのと違い、艇尾の投下装置に装着し、乗員の手動又は、衝突時の金具の作動によって投下し、爆発する方式になっていたが、敵艦艇に艇尾を衝突させて爆雷を投下しても4秒後には爆発するので、艇を反転させて避退することも、一旦後退して攻撃を反復することも至難の技であることが判明し、結局、体当たりによる特攻攻撃方法を採ることとなった。
そして、主として夜間、上陸前の敵艦船への集中攻撃により、大打撃を与えてこれを阻止する戦法が採られることになった。
陸軍海上挺進戦隊は、困難な海上輸送を克服し、昭和19年末までには、敵上陸前に、その予想上陸正面に作戦展開を一応完了した。しかし、敵上陸点を的確に判断し、適切な作戦展開を実施することは至難の技であった。
昭和20年1月9日、米軍がフィリピン・ルソン島リンガエン湾に上陸を開始した夜、同地区のスワルに展開していた第12戦隊(戦隊長高橋功大尉・陸士54期)は、約40隻(一説では70隻)をもって出撃し、翌10日午前3~4時頃、米軍の輸送船及び上陸用舟艇を攻撃、多大の戦果を上げ、生存者は僅かに2名、他は全員特攻戦死した。
米軍の資料に基づく戦果は(リチャード・ネオール著『特別攻撃隊』による)、輸送船、LST上陸用舟艇など沈没6隻、大破2隻、破損8隻、計16隻で、日本側の発表した戦果、20ないし30隻の艦艇を撃沈又は大破、に近い損害を受けており、米軍艦艇泊地は大混乱に陥り、攻撃再興不能という、瞳目すべき戦果を上げている。
この損失は、米海軍にとって重大なものであり、比島南部に展開していた魚雷艇隊を至急北西方面に移動し、輸送船団泊地の防衛力増強を図った。
米海軍はその直後から、改装した哨戒艇と航空機とで徹底した哨戒を開始し、また、レ特攻艇の秘密基地を破壊するため、特別部隊等を編成するなどして捜索に当たった。