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米俵

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かれい

通常 米俵

msg#
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2004/6/8 22:44
かれい  一人前   投稿数: 137
Pan さんの一斗枡に触発されて米俵をアップします。
でも、これはお米やさんの店頭に飾られていた雛型《ひながた》です。

魚沼コシヒカリを少し買って、お米やのおじさんにインタビューしてきました。藁を素材とするこのような米俵は昭和40年頃まで使われていたということでした。昭和40年といえば、私などは結構いい年になってましたが、店先で実物を見ていたのかどうかはっきりしません。

1俵4斗(60キロ)で、俵はしっかりした内俵とやや薄めの外俵の二重になっており、お米を入れた後で、農家の人が蓋の部分を編み、それから男手で横縄をかけて縛ったんだそうです。今はもう、俵を縛れる人もいないだろうなとのこと。

藁の米俵の次は麻袋(輸入品のコーヒー豆などが入ってくる袋と同様のもの)で、現在はお米は30キロ入りの紙袋で流通しています。60キロ入りの袋を担ぐのは大変だからというのようです。

一升枡《ます》の写真を撮らせて貰いたかったのですが、ある筈だけどすぐにはみつからないとのこと、もう使われていないんですものね。

一升枡や五合枡には私も子供時代から馴染《なじ》んでましたけど、お米やさんでは、昭和30年代からは度量法の変更で、一升枡ではなく、リットル枡だったそうです。同じ形の枡でも、容量が違っていたんですね。知らなかった。

                         かれい
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2004/6/9 8:18
らごら  常連 居住地: 横須賀市  投稿数: 46
かれいさん

引用:
一升枡や五合枡には私も子供時代から馴染んでましたけど、お米やさんでは、昭和30年代からは度量法の変更で、一升枡ではなく、リットル枡だったそうです。同じ形の枡でも、容量が違っていたんですね。知らなかった。
 戦前の頃ですが、リットル枡といえば、一升瓶とリットル瓶があってリットル瓶が一升瓶より若干大きかった。つまり1升は1.8リットルですが2リットル瓶があったのです。
親父は酒を買うとき、何時も2リットル瓶を酒屋に持って行き、酒屋が一升に相当する酒を入れると、少ないといっては酒屋を困らせていました。
結局は仕方ないということで少しおまけしているのを見たことがあります。
古きよき時代でした。
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2004/6/9 10:17
かれい  一人前   投稿数: 137
らごらさん

引用:
 戦前の頃ですが、リットル枡といえば、一升瓶とリットル瓶があってリットル瓶が一升瓶より若干大きかった。つまり1升は1.8リットルですが2リットル瓶があったのです。

ん? リットル瓶は戦前からあったのですか。
お酒やさんは瓶の違いに気がつかなかったんでしょうか。いや、商売ですからそんなことないでしょうね。気がついていても、ほだされたんでしょうね。らごらさんのお父様は知能犯でしたね。

お米やさんの話では、お酒や醤油《しょうゆ》の一升瓶はまた復活しているとのことでしたが、私は大瓶のものはすべて一升と思っていましたので、容量が1.8ℓなのか2ℓなのかは、確かめたこともありませんでした。こんど気をつけて見てみます。

                       かれい
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2004/6/10 17:02
Pan  常連 居住地: 大阪府  投稿数: 59
引用:
Pan さんの一斗枡に触発されて米俵をアップします。
でも、これはお米やさんの店頭に飾られていた雛型です。
  雛形ですね? 安心しました。藁《わら》が太くてビックリしました。
引用:
1俵4斗(60キロ)で、俵はしっかりした内俵とやや薄めの外俵の二重になっており、お米を入れた後で、農家の人が蓋の部分を編み、それから男手で横縄をかけて縛ったんだそうです。今はもう、俵を縛れる人もいないだろうなとのこと。
  胴体の部分は木製の専用編み機で作りました。いわゆる筵《むしろ》のような物で、
それを巻くと俵になります。この機械は簡単ですから農家では自作だったと思います。
  農機具の記念館には残っていることが多いです。
  蓋《ふた》の部分は藁を丸い座布団のように編みます。
  桟俵(さんだわら)と云います。
引用:
60キロ入りの袋を担ぐのは大変だからというのようです。
  昔は一人前の男なら普通に担ぐ重さだったそうです。(^_^)
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2004/6/10 23:43
かれい  一人前   投稿数: 137
引用:
  胴体の部分は木製の専用編み機で作りました。いわゆる筵のような物で、
それを巻くと俵になります。この機械は簡単ですから農家では自作だったと思います。
  農機具の記念館には残っていることが多いです。
  蓋の部分は藁を丸い座布団のように編みます。
  桟俵(さんだわら)と云います。

藁は叩いてしなやかにしてから編むんでしょうね。
稲を脱穀した後の藁はいろいろなものに加工されましたね。
莚はどこのうちにもありました。地べたに敷いて、漬物にする白菜を並べて干してあったのを思い出します。ママゴト遊びにも使いました。
さんだわらという名前は聞き覚えがあったのですが、米俵の蓋のことでしたか。米俵には縁がなかったですけど、どこで聞き覚えたんだか?
                     かれい   
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2004/6/14 12:28
Pan  常連 居住地: 大阪府  投稿数: 59
  かれいさん、こんにちは。
引用:
藁は叩いてしなやかにしてから編むんでしょうね。
  縄をなったり草履にする時は、大きな石の上で大きな木槌《きづち》で叩《たた》いて柔らかくしました。
  その前に「袴」《はかま》と呼ぶ根本から附いている葉を熊手のような道具で削《そ》ぎ落としておき
ました。
  これを怠ると後の作業もやりにくいし、できあがりも良くありません。

 しめ縄を作る時は藁の先端部の縄になる部分だけ柔らかく叩き、暖簾《のれん》のようにぶら下
がる部分は叩きません。
 
 本題の俵の胴体部分は、柔らかくすると米が洩《も》れて困るので叩かなかった筈ですが、
本当の筵は柔らかなのが身上ですから叩いた藁を使ったと思います。
  細かなことで済みません。
 
 草履《ぞうり》の作り方を覚えていますので、その内にスレッドを改めて一連の手順をまとめて
みます。(^-^)
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2004/6/15 13:27
かれい  一人前   投稿数: 137
Pan さん、みなさま

束ねた藁を叩いている情景は見たことがあると思います。
実物か映画か絵か、その辺ははっきりしないのですけど。
引用:
 しめ縄を作る時は藁の先端部の縄になる部分だけ柔らかく叩き、暖簾のようにぶら下
がる部分は叩きません。
そういえば、下はストローのままでしたね。何でも叩けばいいわけではなく、用途別に素材を準備しなくてはいけませんね。
引用:
 草履の作り方を覚えていますので、その内にスレッドを改めて一連の手順をまとめて
みます。(^-^)

さすがPan さん、察しがいいです。
わらじを編めるとおっしゃっていたことは、しっかり覚えていましたのです。(^_-)☆

藁ではなく、福岡の堅香子さんのご紹介で、藍色の木綿布で編んだ草鞋を買ったことがあるのですが、とっても履き心地がよかったですよ。夏は草鞋にショートパンツが最高です。ドテッ!でしょ。(^○^)

編み方を教えて頂いたら、私が作って皆様にご紹介しますので、どうぞよろしく!

          かれい
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