[No.270]
Re: 京のおばんざい
投稿者:男爵
投稿日:2013/01/24(Thu) 19:46
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大村しげ のことを書いた本を読んだので紹介します。
こういう本を読むと、改めて
大村しげという人の個性が知らされます。
木村衣有子(ゆうこ):ものを食う本、ちくま文庫
京都に住んでいた頃、街なかの路地にある町家があった。
ぴりっとする雰囲気が漂っていたその前を、用もないのに通りがかっていたものだった。
ぴりっとする、といっても、もちろん静電気みたいな嫌な感触ではなくて、薬味みたいな、ぴりっである。
大村しげさんの家やで、とは、同じ学校の誰かに知らされたのだったであろうか。
大村しげは、一九一八年に生まれた。祇園の仕出し屋のひとりっことして育った。
三十歳を過ぎてから随筆を発表しはじめ「おばんざい」という言葉にあらためて光を当てた人だったという。
「京暮し」は一九八〇年代に書かれたエッセイ集で、季節をなぞる生活の知恵が詰め込まれた本だ。
すべて、文章は口語体だ。京都の言葉で書かれている。
たとえば「千鳥漬」という干し大根の漬け物の出来上がりについて、こう書かれている。
「そのうち、ジをすっくり吸うてしもうて、おだいもおこぶも大きいのびきってしまうと、それは、たいたようにやわらこうなって、だいも漬けただけとは信じはらんぐらいである」
大村しげの文章は、徹頭徹尾、ほんものの京都の女言葉で書かれていて、だからなめらかに読めるのだ。白々しさがないのだ。
大村しげの書いた京都に、できれば住んでみたい、今になって思う。
京都に、大村しげに深入りするつもりなどなかった頃の私は、伝統をふりまわす厳格なおばあさんだから書くものもきっとお説教臭いはず、そう勝手に思いこんでいた。
「京暮し」を読めば、たしかに、かちっと京おんなの模範像というものを示しつつ、ところどころに、とらわれない自由さも垣間見えて、そこから彼女に興味がわく。
「物もので、おうどんは、塗りのおはしでなんぞ、とてもすべってたべにくい。これはもう割りばしにこしたことはのうて、百本が束になっている安物を、がさっとはし立てにさしておく」
大村しげは、一九六四年に朝日新聞京都版にて、秋山十三子、平山千鶴らと
「おばんざい」を連載開始。
「京暮し」を一九八七年、暮しの手帖社から刊行。