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ジャワ島紀行2 投稿者:とんぼ 投稿日:2006/11/16(Thu) 16:10 No.1167  

 ジョグジャカルタ周辺にはボロブドール仏教遺跡とプランバナンのヒンドゥー遺跡のがありどれも世界遺産になっている。ジャワ島へ来たからにはこの二つはなにを措いても見なきゃと決めてB氏に希望を伝えていた。
 日曜日にB氏の車に乗って先ずはボロブドールと見に行った。1814年発見されるまでこんな大きな仏教遺跡が千年近く椰子の樹海に火山灰に埋まって眠っていたとは! 巨大な石材はすべて朝に夕に山荘から眺めていたMt.Merapiからの石という。どうしてここまで運び、あんな高さにまえ積み上げたのだろうかと、B氏に訊ねたら聞きたいのはおれだといった。物売りには閉口した。
 翌日はプランバナンへ行き、近くの発掘現場と天に燃え立つような巨大な寺院群を見に行った。この5月に起こったジャワ沖地震でいくつかの寺院は崩れ石が無惨にも地上に転がっていた。
 とてつもない労働と資材と時間を費やして祈りの場を造り、ひとびと挙って神の加護を祈祷してきたが未だに貧困・争い・災害に喘いでいる。釈迦も仏も、耶蘇もアッラーもいないのか、というのが実感だった。



お元気なご夫妻に接し 投稿者:とんぼ 投稿日:2006/11/16(Thu) 14:15 No.1166  
オアシスさん、
レスを頂き有り難うございました。
全国オフでご夫妻にお目にかかれ光栄でした。
ジャワの話はいっぱいあって立ち話ではなんですのでいつかまた…。
オアシスさんが飲めればいいんですがね〜
          とんぼ



インドネシア ジャワ島紀行1 投稿者:とんぼ 投稿日:2006/11/13(Mon) 05:52 No.1164  

インドネシアのB.M氏に招かれジャワ島に半月ほど滞在した。
B.M氏は64歳、スマトラ島に住む元Caltex社の技師でふとした縁で付合い家族ぐるみの付合いになった。
今年春、家内を亡くした小生を気遣ってくれたのだろう、ラマダン明けの祭りにジャワ島山荘に呼んでくれたに違いない。有り難く応じた。
彼のジョグジャカルタ近郊の山荘に着いたら一族21人が各地から集まって談笑、哄笑のるつぼになっていた。
そんな場に見慣れぬ異人が闖入したことで皆の目がこちらに集中し、落ち着かないことこの上なかったがそれもしばしの間だけ、事前にB氏夫妻から当方に関する予備知識を吹込まれていたのだろう、直ぐに仲間に入ることができた。
3日目にはジョグジャカルタの王の弟君、Joyo Kusumoの宮の邸宅で宴となった。
ガムラン音楽が奏される中、伝統舞踊が始まり次いで食事となった。食事はフルコースに違いなかろうがアルコールっけのない宴にはまいった。ワインでもあれば申し分ないがイスラムでは詮無いこと。食事後は男性ダンサーによる荒々しい剣舞が演じられた。
女性司会者がお開きの挨拶をしている時、なにやら名前を呼ばれたような気がしたと思ったら舞台に引き出され宮様からのバティックのマフラーを手渡された。
竜宮城で過ごしたような一夜だった。 



Re: インドネシア ジャワ島紀行... おアシス - 2006/11/13(Mon) 21:09 No.1165  

とんぼさん、まさに今様竜宮城の旅でしたね。
とんぼさんのお人柄のしからしめる所、良い友 賑やかに親族、知人など集まっての慰め 励ましの集い、楽しかったでしょう。
写真では美女を側にご機嫌のさまが窺えます。
公式でない 身内での食事も全くアルコール抜きなんですか。

王様の弟君の邸宅でのフルコースの宴、親しき友の縁での設営だったんでしょう。アルコールがあれば言うこと無でしたね。
豪華版での歓待、宮さまからのプレゼントと至れり尽くせり、
いい思い出になりましたね。
全国オフでのご披露、お裾分けを 期待しています。

                      オアシス



世相一人百句抄 投稿者:白兎山人 投稿日:2006/11/03(Fri) 15:06 No.1157  
ひさかたの ひかりのとけく ひるねかな

さひしさに やとをたちいて いさかやへ

あひみての のちのおもひに まよひあり

はるすきて なつきにけらし しろきはた

おくやまの もみちふみわけ きのことり

ももひきの ふるきのきはに ふらさかり

はなのいろは うつりにけりな かうねんき

ひとはいさ こころもしらす いぬとすむ

わたのはら やそしまかけて あふらうく

はるのよの ゆめはかりなる たからくし

いまこむと いひしはかりに たへそこね

たれをかも しるひとにせむ まちくらし

しのふれと いろにでにけり ぬすみさけ

ひともおし ひともうらめし てもとりは

たまのおよ たへなはたへね ほけぬうち

なけねとて てきやはものを うりつける

こころにも あらてうきよに みやつかへ

とをしめて ぬしのそらねを ゆりおこし

ちきりおきし すももかつゆを こしにけり

せをはやみ いはにせかれて いかたさけ

かきのことは たへてひさしく かへりみす



Re: 世相一人百句抄 唐辛子 紋次郎 - 2006/11/03(Fri) 20:40 No.1160  

う〜〜〜〜〜〜〜〜ん、う〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん、う〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん。上手すぎる!(拍手も忘れてタダ、感心)



Re: 世相一人百句抄 あや - 2006/11/04(Sat) 22:04 No.1162  

なんでこんなことできる時間があるんですかー。
仮名もいいけど、漢字にしたらどうなるんだろ、とも思いました。
でも、やっぱり仮名だから、なんとなく色気や余韻があるんでしょうね。



Re: 世相一人百句抄 白兎山人 - 2006/11/04(Sat) 22:53 No.1163  

紋次郎さん、あやさん、こんばんは。
読んでいただいて有難うございます。
時間と言っても、これは永い時日をかけての作り溜めですがな(^^)

これだけではなく、色々な文字遊びの作り溜めをしておりまする。
曰く百人一首パロディ、曰く短歌形式回文、曰く読み込み都都逸・・・



時間が勿体なかった話 投稿者:おアシス 投稿日:2006/10/25(Wed) 21:26 No.1152  
兎に角4時間半頑張りました         

朝食が済み 片付け仕事を済ませ、昼食の時間をあたふたと終え また
続きでと 提携クレジットカードの変更にかかりっきり、都合4時間半程 無駄な時間を費やしました。最後はもう執念と意地でした。                   
一体なにごと?と思われるでしょ。

私 @niftyと○○カードの提携カードを持っていて、たまに使っているんです。
そのカード会社からの請求書は 毎月初 5日に「ご利用代金明細書」が来ます。去年も11月指定口座から引落の請求書が来て、カード年会費 1,312円と420円が明細に記載されており、ほんの僅かとは言え毎年馬鹿馬鹿しい支出だなぁ、と思っていたんですが 今年も同じく請求されているので○○カード会社に照会するとともに他の大手カード会社はどうなっているかインターネットで調べて見たんです。

上位2社を調べただけで、@niftyとの提携分は継続的に年会費無料なのがわかりました。
それぞれ各社とも @niftyと大きくカードに表示されており、カード会社と他提携のVIZAやMasterはカードの右三分の一ほどに上下に載っているんです。
そして カード会社は 一流・有名会社との提携で特典つきの年会費無料のカードって沢山用意していることがわかりました。
そりゃそうですよね。大きく宣伝・広告してもらえるんですから。

で、会員数確か2位?の ☆☆カード会社に切り替えることにしました。
合計で1,732円とは言え、もう何年間も払わされていたので 頭に来て昨日今までのは解約しました。

さて、今日は新しく新規加入の手続きをと始めたら、なんとその件は提携先に聞いてください、その事は ☆☆カードに聞いてくださいと都合6往復の電話のやりとりをやらされました。ウンザリ (*_*) マイッタ
お互い相手の所管でわからないと振り回され、途中頼りないのが出てきて間違ったことを云うやら、、、一体全体カード会社と提携会社の業務提携ってこんなにユーザーを舐めたやり方が罷り通っているのには呆れました。
一番癪だったのは、私の無知 ・馬鹿さ加減 (--;)アホジャノーッ!

ようやく一件落着。
東京は今日は11月下旬の気温とか、風も強く冷たい雨の日でした。
気分転換に傘をさして、桜1,2,3丁目界隈のなるべく今まで通ったことの無い道を散歩して4500歩、スッキリしました。
デジカメの小さいのを持って出たら、電池切れ そんな日に限って被写体があるんですよね。早くもサザンカ?が二軒咲いていました。
美味しいおかずで、ホット割り麦焼酎が旨い! 良い1日?でした。

http://homepage2.nifty.com/SYoasys/frametoukatu.htm
より転載 11月24日をクリックしてください。




Re: 時間が勿体なかった話 あや - 2006/11/04(Sat) 22:00 No.1161  

お久しぶりですね。一件落着でよかったですね。
雨なのに傘をさして、散歩とはさすがです。でも、デジカメの電池切れは残念でした。
私などひどいものです。泊まりの介助に出かけ、何があって連絡が来るかわからないのに、携帯電話の充電がされてなく使えませんでした。あほですね。

美味しいおかずは、あららさんの手料理ですね! なんだったのでしょう? うらやましい。



死に場所考 投稿者:唐辛子 紋次郎 投稿日:2006/11/01(Wed) 13:52 No.1153  
 終の棲家なぞと気取ってみても死に場所は死に場所、しかしどこででもくたばっていいわけじゃない。というのは、死ぬにも金がかかるからだ。

 ニッポンでは大阪辺りが安い気もするが、関東でも公営のところでやれば割安に上がりるらしい。人を呼ばないでやる、家族葬と言うのも割安だ。もちろん、生活保護を受けていれば、お上からお金が出る。

 さて、海の向こうのイタリアの事情はどうか、それはあっしには関わりのねえこって、と仰いますか?今は外国へ旅行する人も多いし、国際結婚も多い。他人事ではないのである。

 かの地では、いまローマが、いっちゃん安いらしいのである。死ぬならローマで、これがいま、全イタリア人の合言葉になっているようだ。ゆめゆめミラノあたりでは死なぬよう、日頃からミラノ方面は鬼門として避けている手合いもある、かどうかは、あっしにも、断言はできないが…。

 そういえば、ローマを通ったとき、「葬式をやるなら絶対ローマで!」とう大きなポスターを何回か見たような気がするがあれはやっぱり、気のせいだったのか。(^_-)

 ある調査機関の調べによると、イタリアの八つの都市(ローマ、ミラノ、トリノ、パレルモ、バリ、レッチェ、ナーポリ、ジェーノヴァ)のなかでは、ローマが葬儀費用が2155ユーロで最も安いらしい。

 高い方の筆頭はミラノで、3575ユーロ、1420ユーロの開きがある。安い方は、ローマについで、ナポリの2300ユーロ、パレルモの2375ユーロ、バーリの2450ユーロ、レッチェの2558ユーロ、ジェーノヴァの2700ユーロ、トリノの3250ユーロと続く。

 細かく見れば、公営と市営では大きな差があり、上限を1000ユーロに設定したり、私営に近い2000ユーロとするところ、またローマのように、松(1500)竹(1200)梅(900)などするところとまちまちだ。(ニッポンのように、談合、協定価格はないらしい)

 この料金は標準で、最高になると、10000ユーロに跳ね上る。(といっても、150万だから、ニッポンにくらべりゃ…)

 ところで、ニッポンでは、チョンとキーを叩けば、すぐ全国の相場が出てくるが、イタリア人はよその町の相場を今まで知らなかったのか、のんびりした紋である。

 やはりこの国でも、葬儀屋に騙され、ぼられるケースが多いのだろう。費用の、こみこみの値段をなかなか出さないらしく、また費用には、お上や石屋のとる費用は、ふつう含まれていないという。けっきょく、この記事も、明細をちゃんと出している業者さんを選びなさい、というごく当たり前のアドヴァイスで、終わるのだが…。

 そういえば、トーマス・マンに、美少年に恋した初老の作家がヴェニスで死ぬ話があるが、ヴェネツィアでは葬儀費用は一体いくらなのだろうか?分かったらすぐ、速達便で、マンに教えてやらなければ。(-_-;)



Re: 死に場所考 白兎山人 - 2006/11/01(Wed) 21:53 No.1154  

紋次郎さん、こんばんは。

ジャック・レモン主演の「アバンテ」と言う映画を見たことがあります。
彼の役どころはアメリカの大会社の社長。イタリアの島の観光地で
交通事故死した彼の父親を引き取りに来てのドタバタ。
役所が昼食時は休みだったり、遺体引取りの手続きに一週間もかかると言われたり。
実情はどうなのか分かりませんが、映画自体は面白かったです。
ただ レモンが全裸で海で泳ぐ姿は醜怪でしたが・・・



Re: 死に場所考 唐辛子 紋次郎 - 2006/11/02(Thu) 15:03 No.1155  

白兎さん、早速のレスありがとうでござんす。(^_-)

 正直、アメリカの映画は殆ど観ていませんので、それが出てくるのが一番困ります。(^_-)なんでも、その映画は、ニッポンでは「お熱い夜をあなたに」というのじゃござんせんか?

 映画の舞台となったのは、イタリアはナポリ湾に浮かぶ「イスキア島」と知って、何だかすこし懐かしい気持ちになって来ました。実は以前訪れたことがあるのです。(実際の撮影の方は、島には渡らず、本土のソレントで行われたようですね。スタッフに船嫌いが大勢いたのでは?)

 赤い糸ではありませんが、この島で交通事故死した父親が、頑固一徹のくせして、地元の美女と浮名を流したという秘密がそのうち明かされ、最初は反発していたウェンデル(レモン)と同乗していた女の、遺児である娘パメラ(ジュリエット・ミルズ)が同じように熱々になる、という、いかにもアメリカ人の喜びそうな筋書き。

 映画の中で、ミケランジェロを見たまえ、彼は腎臓を患っていたが、ここのマッドテラピーのおかげで、結石が二つも出た。
しかも、それが、いまでもチャンと保管されていて、誰でも見られるようになっている。なんという台詞が出てくると、ますます懐かしくなってきます。(これも、口の悪いレモンにあうと忽ち「ああ、それならもう、来る途中の汽車の中でお試し済みだよ。ただし、連中はマッドセラピーとは呼ばず、エスプレッソとか云っていたがね」と茶化されてしまう。)

 実は泊まっていたホテルにも、その体験が出来る施設があったような。

 これもどうでもいいことですが、レモンだけでなく、ヒロインも裸になるとか聞いてますが。映画の中のホテルは、イスキア島ではなく、正確には、本土の(ソレント)「グランド・ホテル・エクセルシオール」だそうですね。考えて見りゃ、島にはロクなホテルがなかった紋な。(-_-;)

 どうでもいいことですが、映画のでなく、レモンの実父は、レモンなどの果物ではなく、ドーナッツの会社の社長さんというのはいいとして、レモンの生まれたのが、病院でなくボストン近郊のニュートンという町の、とあるエレベータの中、というのもチョッと変わってますね。まさか、そのエレベーターが、「シンドラー製」ということはない、とは思いますが…。(-_-;)
でわでわ。



Re: 死に場所考 白兎山人 - 2006/11/03(Fri) 02:12 No.1156  

アハ 流石に色々とお詳しいですね。
流れる音楽も南欧風の軽快なもので楽しかったです(^^)



Re: 死に場所考 野口 瑠美 るみ - 2006/11/03(Fri) 19:58 No.1158  

60歳ぐらいからどうしよとよく考えていました。
私は死んでからまでお金をかけるのが嫌なのです。お金もないしけちだから。
一番良いのは葬式、戒名不要、葬儀は家族だけ。
そして散骨が一番良いのでは。
病院での長患いの死だけはごめんこうむりたいが、これだけは予想がつかない。30年前ぐらいまでは半分ぐらいは自宅で死んだそうだが、今は無理やり病院に入れられ、無理やり延命治療をされおお嫌だ。



Re: 死に場所考 唐辛子 紋次郎 - 2006/11/03(Fri) 20:32 No.1159  

 るみ さん、コメント有難う御座います。(^_-)
散骨がベストかどうかは分かりませんが、大げさな葬式より、家族葬はこじんまりしていて、いいかも知れませんね。

 また、延命治療もお断りですね、華やかな「艶名」ならいいけれど…。延命では、ね。あ、どうも失礼しました。(-_-;)



鳳凰三山 投稿者:白兎山人 投稿日:2006/10/22(Sun) 22:35 No.1151  
、南アルプスの主脈中の白眉・白嶺三山の東側に、地蔵・観音・薬師と連なる尾根を
鳳凰三山と言い、2800m内外の山々を結ぶ稜線は白嶺三山の展望ルート、
今を去ること15年前の夏に縦走した記録文をアップして見ます。
1991年7月26〜28日の山行です。

 塩原から1名、宇都宮から5名、雀宮で2名と、予定の電車に次々乗り込み、四列車乗り継いで深夜甲府着。改札口を出たところ、二階のコンコースで各所に登山客が仮眠しているので、我々も涼風の入る窓際に場所を占め、トイレを探すが県都の駅にそれがない。
 
、直ちに就寝の組、は改札を通してもらって駅構内のトイレへ、前夜祭組は駅裏のウェスタン・スナックで軽く乾杯。夜通し足音・人声の絶えないコンコースの床面、薄いマットの上でしばしまどろむ。
 
、明けて(ないけど)27日、4時発と聞いていた広河原行きバスが3時に出るとのことで乗り場に向かう。整理員の言う通りの場所で待っていたところ、数台のバスは先客で満員となり、荷物共々通路や乗降口ステップに腰をおろしての出発となった。
 
、夜空を覆う薄雲が月明かりでボンヤリと白い。少し小ぶりのバスは急カーブで左右に車体をゆすりながら、かなりのスピードで突っ走り、約1時間で夜叉神峠入り口に着いた。
 
、此処で降りた人数は少ないが、大田原の団体がチャーターバスで来ていたりして、辺りの人影は多い。朝焼けの空の下で各々に朝食や身支度を済ませ、バス停標識の上、トイレの傍を通って登りにかかる。
 
、程なくポツリポツリと降り始め、樹間の広い道を傘をさして登る。1時間余りで夜叉神峠に着いたが雨は本格的になり、北アの展望はゼロ!。小屋の横にあった太陽電池利用の公衆電話で自宅に出発を連絡する。
 
、クガイソウやヤナギランが咲く中、上下雨具の者、下だけ雨具をつけた者、雨傘だけの者、と、思い々々の姿でまた登り始める。段々と風も強くなって来て、何回かの休憩の間に全員雨具姿となった。
 
、全般に登りは緩やかで道も広いので、傘をさして歩くことが出来る。Hさんは雨具をつけるとデカく見えるね、背丈が?胴回りが?態度が?などと、雨にも負けず相変わらず賑やかなこと。とは言え、寝不足が足に出たAさん、Mさんはステップが右に左にとフラついている。Uさんは最近山行不足で気力はあるけど足がついて来ないとボヤく。
 
、「未だ曾って止まなかった雨はない」「歩けば着く」等、メンバーの過去の語録を掘り起こしながら、苺平では後方に富士山を見て、やがて雨も小止みになり、ダラダラと樹林中を下って南御室小屋に近くなった頃、時々青空も覗くようになった。
 
、食事タイムに雨が上がるとはラッキーと、早速小屋の前の木製テーブルを囲んで、共同食のイカメシをボイルし、その他色々の昼食を摂る。これよりビデオカメラも活躍開始、同じくハイテク機器の無線機の方は、山上ハムを呼んで見たが応答無し。下界の電波を時々傍受出来る程度であった。
 
、南アルプスは森林限界が高いが、それでも好展望場所が多くなり、また、薬師小屋への時間が見えて来たこともあって、展望の撮影やスナック喫食と歩行は止まり勝ち。1時間で砂払岳に着いたが相変わらず北岳は見えず、強風で、砂払岳の名前の如く、砂粒がピシピシと顔に当たる。巨岩の重なる尾根を越えて13:10薬師小屋に到着した。
 
、途端にポツポツ雨の音、嗚呼!何たるラッキー!!。小屋の前にしつらえてある雨よけテントの休憩所で祝宴を始める。缶ビールのあとはペチャンコ水筒に入れて来たウィスキーとイイチコ。ビーフジャーキーが旨い!。
 
、雨の方は雷を伴って土砂降りとなり、上に張ったシートに忽ち水が溜まって丸く垂れ下がって来るので、時々押し上げて端の方からザアーッと流し落とす。ひとしきり歓談ののち、夕食までのひとときを、UNOゲーム組と昼寝組に分かれて過ごした。
 
、坐った状態で頭が天井につかえるような2階の床で、ウトウトしているところを夕食の声で起こされ、小狭い一室に入って口に入れたメシの、アッ!と驚くその不味さ!!。標高が高く沸騰温度が低いのは分かるが、槍ヶ岳山荘だってこんなにヒドい飯ではなかった。メンバーの中には喉が拒否反応を起し、持参のパンで我慢した者もいた。(後年 不評の薬師小屋の飯は改善されたとの噂を聞いた)
 
、仮眠の間に続々と到着した泊り客で小屋は満杯、断られて鳳凰小屋まで行った人もあるらしかった。ゆっくりするスペースもなし、日が暮れればあとは寝るだけ。早々に2階で横になった。
 
、28日、前日昼寝をした上、就寝が早かったので夜半に目が覚め、以降は寝ているのが苦痛になって来たので、兎に角トイレに起き出す。風が強く、物干し竿で届きそうな高さを雲が吹っ飛んで行き、その合間に満月が顔を出す。小屋から30mばかり離れた林の中にある男子用の小用トイレは屋根も囲いもなし。更に30mばかり奥にある大便用も、男子用は扉が外れ、2m以上の深さの大きな穴に丸太を二本渡し、板を乗っけただけのオソロシイ代物で、ヘッドランプの光芒のなか、はるか下方でXXXが山になっていた。
 
、月明かりのなか、小屋の南側の岩稜上に登って見る。東方には韮崎と思われる街の灯、南方は富士山の黒いシルエットの中ほど、五合目の小屋群の灯りがキラキラと見える。三千メートル近い山上の深夜の雰囲気は何か物凄さを感じさせる。風や雲も無く満天の星空ともなれば、素晴らしい見ものになるだろうと思いながら、早々に小屋に戻る。
 
、玄関脇の小部屋で、ランプの灯に照らしながら南アの地図を丹念に読む。2時ごろになると他の登山客も三々五々起き出して来た。3時過ぎ、メンバーに「満月だよオ」と声をかけても応答なし。でも、やがて一人二人と降りて来て仕度をし、4時半出発、すぐ薬師岳到着。荷物を置いて東側の岩稜上に行き御来迎を待ったが、雲の動きが激しく望み薄なので、岩陰で風を避け(切れないながらも)朝食にする。
 
、東や南の展望はひらけ、遠い富士山が見えるのに近い北岳は雲の中、しかし楽しい尾根歩き、観音岳を越えたあとも各所で時間を取り8時に賽の河原、と、少し遅れ気味になって来た。地蔵岳オベリスク(ここの巨大な岩塔をこう呼ぶ、甲府市内からも望見出来る)をバックに全員でザックを前に並べ、パノラマカメラを縦位置にしての撮影などのあと、砂の斜面を駆け下りる。
 
、足元はホタルブクロ・クルマユリ・グンナイフウロ等を中心としたお花畑、30分足らずで鳳凰小屋に着き一息入れる。「青木鉱泉まで3時間半」の標識を見ながら下り始めたが、これからが難行苦行とは知らぬが仏。30分後に五色の滝、さらに20分後は白糸の滝、等と、ウォッチングを楽しんでいたものの、2時間を経過した頃から足に疲れが出て来た。
 
、地図上、「ドンドコ沢」の下り、と言うことで、ドンドコドンドコ下り一方のつもりで意気込んでいたのだが、落ち込むような急降下のあと枝沢を渡り、だらだらと登ってまたまた急降下して沢を渡り・・・これを何度も繰り返すうちに南精進滝の入り口では嫌気が差して、50m先と案内のある滝を見に行く気分も無くなった。
 
、段々足に力が入らなくなる。Aさんの足元が怪しくなったので、二、三人で荷物を引き受ける。私はと言えば足フニャフニャで自分の身体と荷物が精一杯。雷鳴が轟いて10分余りの通り雨に雨具をつけたりしながら歩き、午後1時頃周囲がひらけ、前方に川や車道が見え始めてホッとした。
 
、クガイソウやセンノウ等の花も、下界に降りて来たことを感じさせる。13:30青木鉱泉着、鉄分臭気の浴槽中で思いっきり身体を伸ばした。ビールで乾杯し、ソバを味わって、鉱泉のワゴン車に相乗り12人、私を含む四人は荷物室にザックと同居で最後の苦行となった。韮崎よりの列車中、ビールやワインで良い気分になり、往路と同じ駅で乗り換えて無事宇都宮帰着。
 
、以後三日間、太ももの前側が痛かったが、あとからHさんが読んだガイドブックによれば、今回の下りのコースは南アルプスの中でも屈指の急坂で、足がガクガクになること請け合い、と書いてあったとかで、クラブ中のツワモノ族、HさんもAさんも足が痛かったと聞いて、多少安心(?)した。

                           終わり



メロメロゥ でした 投稿者:あや 投稿日:2006/09/19(Tue) 16:38 No.1150  
6日の朝、もうそろそろ支度にかかってもらおうと、電話したら留守電になっていた。まだ早いのにもうお出ましかと、携帯電話にしたが繋がらない。心配になった。
 
 やむを得ず会議場へ向かった。もちろん時々携帯に電話しながら。
「電話くれたー」
ときた。
「どこにいるんですか」
「○○荘に来てるよ」
「うっ、今日は違うでしょ。県民センター」
「そうだったか。駅で待っていても、誰も来ないから来ちゃったのよ。行きますよ。女性センターだね」
場所はわかっているが、女性センターと覚えこんでいる。
「着いたら電話してください」
と私は言った。
 
 10日の場所と、今日6日のと間違えたのだ。10日は近くの駅で待ち合わせていたのだもの。そこへ誰も来なければ、誰にでもいいから電話くれればと、つい言ってしまった。ごめんなさい!
 
 受付の女性に、風体をいい、歩いていたら声をかけてもらうように伝えた。わりと早くやってきた。よかった!

 会議が終って、受付の前のロビーに下りた。ら、なんとそこにメンバーがいた。遅れてやって来て、
「お知らせ板を見たら、6時半からとなっていたので、確か1時からと思ったけど、間違えたのだろう」
とロビーで待っていたと言うのだ。お知らせ板の6時には、私たちと同じ題名の会議が書いてあったのだ。それにしても3時間も待ったことになる。ご苦労様!
 
 私たちは部屋を取って頂いた都合上、その方のサークル名で申し込みされていたのだ。
 
 そのあとの2次会は、そんなおもしろい話も肴に賑わった!

 10日のこと、もうそろそろと電話した。
「そろそろ出ようと思っていたところ」
と、前回のようなことはなく通じた。待ち合わせをして、時間通りに4人は集まることができた。
 
 ホームへ行き、電車がすぐにやってきたので乗り込んだ。
「うっ、○○○さんは」
私は思わず言った。電車の中を見渡してもいない。
あわてて電車から降りて、見回したがいない。△△さんが、
「あそこ」
と指差したところは、何と反対車線の電車の中、しかも悠然と座っていらっしゃる。飛んで行った。急いで下りてもらった。
 両方とも1分の停車時間があって助かった!

 その帰りのこと、12名でレストランでビールを飲んだ。
 
 電車に乗る段になって、来た電車にみんなといっしょに乗り込んだ。同じ方向へ帰る人がいたので、何にも思わず信用していたのだ。
しばらくして、
「反対へ来てしまった」
と案内人は言う。
 その電車でいい人たちの笑いをあとに、あわてて下りて、戻ってきた。
 
 新幹線で帰る△△さんは、
「58分の列車です」
「間に合いそうだね」
と新幹線改札まで送った。間に合ってほっとその時はしたのだった。
 
 ところが、お礼のメールが来たが、「53分の列車だっだので、間に合わず1時間待ってしまいました」とあった。
 53分を、58分と見間違えたのだ。それにしても、反対方向へ行かなければ十分間に合ったのにと、後悔した。

 6日と10日の2日間の、おもしろいと言っては叱られるかもしれないが、メロメロゥの出来事でした。
 
 



『トウーランドット』 投稿者:変蝠林(1917-) 投稿日:2006/09/13(Wed) 21:24 No.1139  
最近のwowowは結構見せる。

今夜は題記の物を二時間、感動と想起を交えて堪能しました。
此の歌劇は有名なので皆様も良く御存知だと思います。

之を北京の紫禁城で公演した時の記録です。
京劇にも紛う豪華衣装に小物も全て中国仕立て、兵士は中国軍隊
の現役数十名の特別出演、古代衣装を着せて太鼓のリズムも完璧
で政府の居れ込みも流石。

観終わって想起したのが数十年前の甘き想い出。
Y−CATが静岡英和の二年生、私も未だ中学五年。
英和の制服は紺の水兵服仕立て、女学校の中でも傑出して居た。
当方も学帽に白線二本、どちらも派手は見え見え。

当時の事だから中学生の映画館入りなどは御法度だが、二人共に
制服制帽で敢行したのだから正に大冒険である。

幸い検閲にも掛からず歌劇の真髄を堪能して夜道を帰った。
僅かの反骨だったが実を結んだ映画の縁、あの頃を回顧して今夜
の独酌は格別の味わい。

惚気になって御免なさい>みなさま

                     変蝠林(1917-)









Re: 『トウーランドット』 あや - 2006/09/14(Thu) 07:25 No.1141  

変蝠林さん

2時間もお休みなく、目をらんらんとして観たのでしょうね?
それにしても、Y−CATさんとはその頃からのお付き合いだったんですね。すごいです!

映画を観ながら、壁に目をやってる姿が目に浮かびます。
「いいなぁ!」とは感想です。

                     あや



Re: 『トウーランドット』 YKOMA - 2006/09/14(Thu) 15:49 No.1142  

英和女学校は静岡と甲府と二つの姉妹校があって、制服も共通でした。両方ともお城の近くにありました。

紺色は冬服で、夏は白服で空色の襟がついてましたっけ。わたしはワケありで双方とも知っています。アメリカやカナダの女教師が沢山居ましたから、横浜で言えばフェリスかな。



Re: 『トウーランドット』 変蝠林(1917-) - 2006/09/16(Sat) 02:28 No.1146  

そうだ、YKOMA さんも山梨だったね。

英和はカナダミッションで生徒数も少なく変ったのが通って
居ましたね。一学年が三十名足らずで西草深にこじんまりと。

Y−CATに三人の親友が居て皆美貌、其の一人が大杉栄の
三女で特に親しくして居ましたが先年亡くなりました。

彼女等の組は変り者揃いで校禁を破って旗行列に参加したり
ストライキを敢行したりで校史に名を残した様です。

今は大学まで併設して結構有名校になって居ますよ。



Re: 『トウーランドット』 マサちゃん - 2006/09/17(Sun) 07:55 No.1147  

変蝠林さん

 トウーランドットですか。
この歌劇の中の「眠ってはならぬ」という曲は僕の大好きな曲でして、バヴァロッティのものを時々聞いています。
荒川静香がトリノオリンピックのフィギャースケートで金メダルをとったときの曲もこれでしたね。




Re: 『トウーランドット』 変蝠林(1917-) - 2006/09/18(Mon) 17:45 No.1149  

マサちゃん

貴方も御気に入り?
荒川静香も良い曲を選びましたね。

でも、あの時の映画は正に美しくも怖い童話の世界。
もう一度見られないかなあ。

         又、稚くなった・・・変蝠林(1917-)



動物に魂はあるか? 投稿者:唐辛子 紋次郎 投稿日:2006/09/17(Sun) 12:39 No.1148  
このほど、イタリアで行われた調査で、驚くなかれ、二人に一人は動物に魂があると思いこんでいる、という結果が出たという。西洋哲学もキリスト教も否定しているのに何故?それが、大家さんの前ですが、大笑い、ディズニーの教育なんだそうである。

 そういえば、彼の(に限らないが)アニメでは、動物が実に流暢な英語をしゃべっている。イタリアではトーゼン、お国の言葉に吹き変えられている筈。そんなことをいえば、昔のおとぎ話でも同じことだが、今のナウイ人間は世界中誰も本を読まない。映画で育つからそういうことになる。人間と動物の地位関係は旧約時代にとり決められたそうで、今更、動物側が不服を唱えてもどうにもなるものではないらしい。

 しかし、先住のケルト人などは、修道院を建てる際、イノシシが手伝い、一番に建築主の聖者の弟子となったのもそのイノシシで、出来あがった聖堂にはアナグマ、キツネ、オオカミまでがやって来て、仲良く暮らしたという。まさに涅槃図の世界だ。

 調査をしたイタリアにだって、かのアッシジの聖フランチェスコがいる。かれは、小鳥に説教で有名だが、他に獰猛なオオカミを大人しくさせたり、森羅万象を愛する詩を作ったりした。先年物故したヨハネパウロ二世も、動物と人間との関係改善に熱心だったようだ。

 この結果は調査対象がディズニー世代だったことが大きく影響しているが、あっしは、動物には、ぜったい魂があると思う。なぜなら、動物はanimale、魂はanimaだからだ。もっとも、英語(soul)だと、こうはいかないが…。(-_-;)

 最近の世相を見ると、人間の方が動物に寄りかかり、動物の方が実質的に上位に居るような気もするが、まあ人間の優位は未来永劫に揺るぎそうにない。

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