島並海道〜石鎚山輪行日記(その4... 投稿者:野崎一夫 投稿日:2006/04/08(Sat) 01:09 No.1072 | |
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瀬戸内島並海道〜面河渓・石鎚山・輪行旅日記(その4) 13:00分いよいよ次の高峰、瓶が森山に向って乗り出し、一気によさこい峠に下った。 よさこい峠の分岐点を右手に取ると高知市に出るルートがあった。ここからは白笹峠に向って アップダウンのコース、所々崩落箇所の修理工事があり、各社製ミニ建機が活躍していた。 白笹峠は標高1300mここから瓶が森山まで標高差約400mの登りが続き、だいぶ疲労が溜まって来た。 途中、土小屋の見晴台で知り合った家族のワゴン車が負い越していった。軽くクラクションを鳴らし、 皆で手を振りながら”軽快”に走り去って行った。こちらはスタミナに”警戒”の重い走りだった。 やっと、子持ち権現山(1677m)登山口に接する地点(1500m)に到達した。 聞きしに勝るここからの石鎚山の勇姿は雄大だった。見事な景観が広がっていた。
残り標高差200mを必死で漕いだ末に瓶が森山(1850m)の直下のドライブ休憩地点をゲットし暫し休息。 15:30分、辺りの様相は緑の絨毯模様を呈し、お花畑が点在する、ピクニックに最適な場所であった。 風もなく、爽やかで、長閑な夏の高峰と広い野原の中、多くのドライブピクニッカーが群れて、楽しげな 語らいがあちこちから聞こえた。車のbゥらその多くは高知県側からよさこい峠を上がってきた車であった。 東温市のうどんやの店主の薦めとは言え、我ながら思えば良くここまで来たものだ! これから何年か先に待ちうけるであろう夢の長旅(上海〜西安〜シルクロード〜ローマ:約16,000km)の肥やしとして 活かすべき旅でもあった。 やれやれ、ここまでくれば、占めたもの後は、寒風山手前を経由して伊予西条駅めがけて下り一方のルートである。 ディスクブレーキを奮発して良かった。ここから45qの下りをVブロックブレーキでは下りの快適性を損なったであろう。 15:45分瓶が森発、スピードの出し過ぎと、狭く見通しの利かない山岳道路と対向車に細心の注意を払って下った。 石鎚山、瓶が森山がぐんぐん彼方後方に移動した。快適なツーリングの醍醐味を味わった。 16:15分寒風山遂道と寒風山トンネル方面への分岐点着、寒風山遂道は通行止めの標識で塞がっていた。 うどんやの店主の教えどうりに新寒風山トンネルを跨いで、巻きこみ取りつけ道路から右折で、西条方向のルート を行こうと思ったが、自転車の身軽さも手伝って遭えて教えに逆らい、通行禁止の旧寒風山遂道に入り込んだ 中は真っ暗闇で懐中電灯を便りに突き進んだ。トンネル内の縁せきにライトを当てて漸く遂道を抜けた。 抜け出た所で、珍しい蝶を採取していると言うランクルを使った、コレクターに逢った。案の定彼はこの先約10q 地点で道路が崩落し、道が無くなってしまっていて通行不能ですよ!先ほどそこまで行き、引き返してきたのだと 状況を教えてくれた。丁寧に礼を述べ、自己責任で、不可能なら戻ってくるだけとと答えて、先に突き進んだ。 果たして、そこは沢筋を跨いでカットした取りつけ道路で、長さ約30m程の道路が根こそぎ谷底に崩落していた。 崩落の起点から更に上を強化固定する工事に差しかかろうとしている時期であった。 新規の道路用の縁石として、幅20p程のコンクリートが流し付けてあり、上にビニールシートが被せてあった。 この幅20p程のコンクリートの上を自転車を担いで30m渡る事が出来るか否かが勝負である。ザックを 背負った上に、13kgの自転車を担ぎ、歩く事は可能だが、問題はコンクリートを流してから何日経過し、 個化しているか?乗って崩れないか?が心配であった。シートをめくり、石で叩いて個化の具合をチェックして見た。 最低でも2〜3日は経過していると判断した。自転車を肩に載せ、慎重に渡渉した。谷の深さは約40mはあった。 滑落でも起こせばいい物笑いの種になるか、それ所では無かったであろう。反省もするが、懲りないおじさん でもある。グルグル山道を下って方向音痴になった。16:30分県道に出た場所で、向こう側のわき道から出てきた 軽トラックに確認して西条市内に向った。
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| Re: 島並海道〜石鎚山輪行日記(... 野崎一夫 - 2006/04/13(Thu) 02:41 No.1079 | |
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石鎚山スカイライン頂上の土小屋を後に瓶ヶ森山にて記念撮影。
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