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リグーリア旅行記ーその弐ー 投稿者:紋次郎 投稿日:2005/08/24(Wed) 19:05 No.825  

そもそもの始まりは、6チャンネルかどこかのテレビ番組で、チンクエテッレの特集をみて、ぞっこん惚れ込んだことがキッカケだった。それまではサルデーニャあたりに焦点を絞っていたが、これをみて急に気が変わった。あの番組を見たら、是が非でもあの、陽光輝くリグーリア州へ行ってみたくなったのだ。

今回の旅行では、あらかじめガイド(ブック)やインターネットで調べて、現地のホテルにアクセスしたが、なかなか思うに任せず、取れたのはニースのホテル・マセナ、デイヴァ・マリーナのホテル・クレリア、それにもう一軒という、あまり芳しくない成績だった。もともと出発日に制約があったし、選んだ場所がいずれも人気の高い場所だったせいもあるだろう。

アクセスの際、満員で断られたけれど、好感の持てたホテルが一つあった。それはモンテロッソ(チンクエテッレ村の一つ)のホテル・パスクアーレだ。メールに「丁度その頃は、当館は満杯ですが、他のホテルをご紹介しましょう」とあり、その後に、同じ村の同業者だけでなく、いくつもの町村のホテルの電話や、ファックスの番号を書いてくれたことだ(その数は11にも上る)。さらに文末に「それでもダメなら、モンテロッソヘ着かれた時にでも、ご一報賜れば、キャンセル分をお回しできるかもしれません。」と書き添えがあったのにもジンと来た。

寄り道でまくらがチョッと長くなったが、一行はフランス国鉄のニース駅で、ジェノヴァ経由ラ・スペッツィア行きの通し切符を買った。ラ・スペッツィアまで買ったのには訳がある。帰りの空港がまたニースになるので、一番遠くまで行っておいて、そこから段々に戻ってくるのが一番と判断したためだ。

今までの旅は、名所旧跡の見物が主だったが、こたびは海の景色を楽しむのが大目的。列車へ乗り込むが早いか、早速海の見える、眺めのいい窓を占領した。幸いあちらの電車は、いつもがら空きなので、席取りで苦労することはない。

このところ、天気のいいのが何より、どこまでも蒼い海、海岸に張り出すような町の佇まいは、心行くまで一行の目を楽しませてくれた。この季節、線路わきに咲く、紫のブーゲンヴィリアや黄色のジネストラは、とてもなつかしく、いつも五月だった今までのイタリア旅行の、あれこれを思い出させてくれた(つづく)



Re: リグーリア旅行記ーその弐ー 紋次郎 - 2005/08/24(Wed) 21:41 No.826  

これがジェノヴァで買い求めた国鉄の切符ですが、向こうのはケッコウおっきいですね。たてが8センチ、横が20円センチはあります。


Re: リグーリア旅行記ーその弐ー 紋次郎 - 2005/08/25(Thu) 21:26 No.830  

駅に行くと方面別に沢山の時刻表が置いてある。畳むと本当に小さくなる。(フランス国鉄・ニース駅で)



リグーリア旅行記ー参 投稿者:紋次郎 投稿日:2005/08/25(Thu) 13:31 No.827  

 海はいつまで眺めていても飽きないもの、車窓に張り付いて眺めているうち、ふと思った。イタリア語では海はil mareで、男性名詞なのに、フランス語ではなぜ女性形のla merなのか?真相はよく分からないが、海の二面性を現しているのかとも思う。ある日はいつになく大漁で、あらゆる海の幸を惜しげもなく振舞ってくれるかと思うと、もう翌日には荒れ放題に荒れ、人の命を容赦なく奪っているかもしれない。そんなたわいもない事を考えているうち、列車はジェーノヴァ・プリンチペ駅に滑り込んだ。

 ここからはローカル線になるので、乗り換えのため下車しなければならない。今日の宿がまだ決まっておらず、もともと時間の余裕などないのだが、折角ジェノヴァまで来たんだから観光の真似事くらいはしておきたい。というので、取り合えず荷物を駅の一時預けに託し、王宮美術館というのを見学することにした。ここの展示場は二階にあるが、不思議なことに切符を買うのは別棟の一階だ。初めてのものはまごつくこと必定。しかもその場所が目立たぬところにあって、すぐと分からない。むしろ二階で売れば便利なのに。この美術館はだいたい商売気がないのかとむかっ腹を立てる。

 またここの展示物の説明はイタリア語と英語の二ヶ国語でなされ、それ自体なんら問題がないのに、何のためか分からぬが、係員がどこまでもついて来る。何のためかよく分からない。展示物にも大した物はなく、正直云って失望したが、屋上から見下ろす庭園は実に美しい。ただジェノヴァは現役の商港でもあるので、大きなクレーンや赤さびた貨物船などが目障りといえば、目障りだ。美術館の階段下には、由緒のありそうな馬車がおいてあったが、何の説明もない。

 ジェノヴァの国鉄駅の前には、郷土の英雄クリストーフォロ・コロンボ(いわゆるコロンブス)の銅像があるが、駅前があまりに狭く、さらにバスの発着所にもなっているので、写真を撮るのには苦労する。構内の両替所で、持ち金を少しばかりユーロに変える。

 列車はとっくに出たはずで、大分待たされるものと覚悟していたが、乗車予定の列車は45 minuti in ritardo(45分遅れ)とのことで、いよいよイタリアに来たことを実感した。こちらでは列車の遅れは日常茶飯事だ。

 ラ・スペッツィアへ着く。さあ、宿探しだ。予約なしの旅はいつもリスキーだ。まず、インフォーメーションを見つけなくては。ところが、この町では駅前になく、かなり歩かなくてはならないらしい。時刻もすでに午後五時を回っている。荷物もケッコウ重い。そこでたまたま駅の近くあったホテル・フィレンツェ・コンチネンタルに旅装を解くことにした。

 後で気がついたのだが、このホテルは、モンテロッソのホテル・パスクアーレが、メールで、very nice and close to the station と書いてきた所だが、まさに文面どおりだった。

 絵葉書に貼る持参のアドレスシールがチョッと大きすぎたので、フロントへ行き、大きさを整えるため、鋏を借りる。また借りに行くのも面倒と、あとで町へ出たときに、買うことにした。

 空港のターンテイブルでの待ち時間や受け取りの煩わしさのため、今回の旅行では荷物といえば、機内持ち込みのリュック一つだ。これでは鋏などのしまいどころがない。そこで髭剃りも持ってこなかった。絵葉書屋で聞くと、髭剃りはタバッキ(タバコ屋というより万屋)が扱っているという。タバッキへ行くとニッポンのような安物はない。一個1000円くらいもする。

 鋏はタバッキでは駄目だし、この町には文具屋はなさそう。そこで思いついて、イタリアならどこにでもあるFarmaciaへ飛び込んだ。「鼻毛を切るところの小型の鋏はないか」と切り出すと、ドットーレ(みんながそう呼んでいた)は即座に乳児用の産毛を切る小さな鋏を出した。後で小箱を開けてみると、先端がチョッと湾曲している。旅先のことゆえ、贅沢を云ってもしょうがない。(-_-;)
*ドットーレは学士のこと。イタリアでは、大学入学は比較的やさしいが、卒業は超難しいという。まさに学士様なら嫁にやろかですが、女学士はドットレッサ。



Re: リグーリア旅行記ー参 紋次郎 - 2005/08/25(Thu) 13:44 No.828  

 この町で、大発見をした。ふつうあちらでは、ホテルやレストランの古いのは幾らでも目にするし、耳にすることも多い。しかし、バルやカフェの老舗というのにはお目に掛かったことがなかった、ところがこのラ・スペッツィアときたら。うっかりしていると、通り過ぎてしまいそうなパットしない店構えの店がそうだった。軍港なので、オープンテラスには、水兵が五六人、たむろして談笑していた。



なぜ、人は 投稿者:あや 投稿日:2005/08/17(Wed) 22:44 No.816  
  なぜ、人は

   無銭飲食

 体操の帰り、久しぶりにバーミヤンへ行った。
 小さい子を連れて、斜め後ろあたりに座っていた夫婦がいた。テーブルの上はかなりの皿があった。ジョッキも。子どもを連れながら、あんなに飲んでと思っていた。
 しばらくして、店員が何となく不思議な動作をしているので、振り向いたら三人はいない。勘定書きは残っている。店員はトイレを覘きに行った。「三人いっしょにトイレに行くわけないよね」と心の中で思った。戻ってこなかった。
 私は気がつかなかったが、友人は男性が子をあやしていたと言う。大人だけならまだしも、小さい子どもまで巻き込んでの無銭飲食。子どもの成長にどんな影響を与えるかを思うと、たまらない気持ちがした。
 テーブルの上を片付けはじめた店員、三人が食べたとは思われないほどの皿数、大ジョッキの空もいくつかあった。
 子どもの事故や、事件が多い昨今、こんな親がいるからとも考えてしまった。

 家に帰ってのテレビは、
 都内のマンションに監禁されていた小六の四人の少女が保護された。犯人と見られる男は隣りの部屋で死んでいた。
 長崎では四歳の男の子が融解されて殺された。犯人は十二歳の少年で、立体駐車場の上から生きたまま投げ落とされたと言う。
 沖縄では中二の男子が同じ中学生たちに殺害され埋められていた。
と報道していた。


   試食

 スーパーへ出かけたときのこと。試食販売の女性が、小学校高学年らしい男子に注意していた。誌食品を片端から食べているのだ。お腹がすいているようにも思えた。
 私はそばにいたので、
「これはね。買おうかなと思う人が試食してみるのよ。食べるところではないの」
と注意したが、こういう形式もよくないのかもしれない。子どもはそんなこと頓着ないだろうけど。と思いながら、
「なんで」
と聞いてみたら、
「お母さんが、塾に行く前に、食べて行きなさい。と言ったんだ」
と驚くようなことを口にした。そして走って行ってしまった。
 そのあと、やってきたおばあさんという年配の女性が、
「食べたら買わなくてはね。年齢の差かね」
と言った。
 困っていたのだろう、販売員は私に言った。
「注意していただいてありがとうございます。そんなふうに注意してくれる人はいません。私たちがあまり言うと、親から苦情がくるのです」
 なんて親だろうと思う。自分の子が、否、自分が悪いことを教えておいてと腹がたった。
 三十年ほど前、近所にいつも自転車に乗ったおじさんがいた。そのおじさんは、桜木町や、横浜のデパートで試食を食べて歩くので有名だった。それで、毎食を満たしているようだとみんなは言ってた。そんな歳でもないだろうに早くに亡くなったと聞く。

 靴についた車(ローラースケートみたいなもの)が流行っている。少し前のこと、同じスーパーで、ときどき走ってる子がいた。
「ここは、買物をするところ、いろいろな人がいるのよ。ぶつかったら危ないでしょ。そんなもので走るところではないのよ」
と注意したことがあった。
 夫はよけいなことをすると言うが、黙ってみていられない。ばかな私。
                      2003年7月


   万引き

 散歩に出て、そのあと回ったスーパーで失敗をした。手にはビニール袋を下げていた。その中には、他店で買ったポチ袋が入っていた。
「ブルーベリージャムを買う」
と言いながら、棚の前に立ち瓶を袋の中に入れかけたとき、夫はあわてたように、
「そこに入れてはだめだろう」
と言った。私は、
「えっ、あっ、いけない」
とあわてて出した。近くにいた女性が笑っていた。
「万引きってこうなんだね」
 私は言いながらかごを取りに行った。監視カメラはあるだろう、瞬間的だったからいいようなもの。夫がいっしょだからよかったと思った。
                      2003年8月


   拾って

 家に近づいたとき、前をホームレスらしき男性が立ち止まり、菓子の袋のようなものを踏んだ。後ろから見ていて、お腹が空いているのだろうかと思った。
 前に歩きはじめたので、その袋へ近づいてみたが、靴先で確認しなくても空っぽとわかるものだった。私は哀しくなった。そのあと、その人の横を通り抜けたが、顔を向けることができなかった。
 何メートルか歩いたところにあるゲーム店の前で女性が携帯で話していた。その足元近くにどうしたわけか、フランスパンを小さくしたようなパンの袋が落ちていた。もちろん封は切られていない。私は天の助けではないかと思った。
 振り向くことはできなかったが、
「パンが落ちているわ。早く来て拾って」
と心のなかで叫んでいた。
 家に着き六階まで上がり、下を見ると、男性は、そのパンの袋のそばまで行ったのに、元へ戻った。私は、
「なんで、どうして、パンが落ちているのよ。気がつかなっかったの」
と後ろ姿に憤っていた。ほんとに変だった。忘れ物を思い出したように、回れ右をしたのに何か違和感を感じていた。そんなことを思いながらなお見ていた。
 その人は戻ってきたのだ。
「やっぱり、気がついていたんだ。よかった」
と思った。それは下を眺めているうちに、携帯の女性が立つ位置を変えたので、気がついたのだ。パンには気がついたが、女性がいたので拾えなかったのだ。まだ恥じらいが残っているのだろう。
 女性が去ったあと、パン袋を拾って、落とした人がいないかを確認するように、一、二歩、ゲーム店の入り口へ近づいて行った。そして元へ戻り、道を歩きはじめた。
 私が見下ろす下あたりで、どこにしまおうかというしぐさをしていた。結局は上着の下へ入れた。ポケットに入る大きさではないのだ。
一部始終を見てしまったが、
「よかった。一回助かるよね。どこで食べるの。少し行ったところにある公園でかな」と自分のことのようにうれしくなってしまった。
 涙がじわっとにじんできたのは、ソファに身を沈めてからだった。
 ストーブが、いくのまにかいらなくなった。
             
                      2003年9月




Re: なぜ、人は マサちゃん - 2005/08/18(Thu) 08:19 No.817  

あやさん

 >「パンが落ちているわ。早く来て拾って」

 思い出しました。朝鮮から引き揚げてきて飢えていた頃、友達から貰った兎の餌の草を穫りに国鉄の総武線の線路を歩いていました。
と、砂利の間に白いものがパラパラと落ちていて、拾ってみると真っ白な食パンの屑でした。
拾って口に入れたら甘ーくとっても美味しかった。



Re: なぜ、人は あや - 2005/08/18(Thu) 22:20 No.818  

マサちゃん

読んでいただいてありがとうございました。
朝鮮から引き揚げていらしたんですね。大変でしたでしょ!
私は父が病気、母が死にという生活で、貧乏のどん底だった
と思いますが、性格でしょうか、呑気にしていたようです。

砂利の間に、どうして食パンの屑があったかわかりませんが、
甘くて、おいしかったとは、幸せな時間だったでしょうね。
あのころの日本の光景が目に浮かぶようです。

 飽食といふ字の重し終戦日 あや 







Re: なぜ、人は 紋次郎 - 2005/08/19(Fri) 21:30 No.820  

あや さん、こんばんは。あや さんの「試食」というのを読んで大いに反省しました。実はあの、試食おじさんと言うのはあっしのことだったんです。デパ地下に行くたび、たしかに試食サーフィンをやっておりました。でも、あの文章を読んでからは心を入れ替え、もう絶対にするまいと心に誓いました。

 話は変わりますが、先日物を贈ろうとデパ地下へいきました。
ゼリーかプリンのようなものだったと思いますが、人に贈るのに、美味いかどうか分からなくてはドーモね、とつぶやくと店員が間髪を入れずに出してきたのがこれ。ふ〜〜ん、こんな紋があるんだ、と感心し、試食してみると流石有名店だけあってこれがめっぽう美味い。そこで、大量に?注文した次第。それにしても、あや さんのあの書き込みはごっつう効きましたぜ。(-_-;)



Re: なぜ、人は あや - 2005/08/20(Sat) 17:39 No.821  

紋次郎さん、こんばんは。

お読みいただいてありがとうございます。

試食おじさんは、佐倉にもですか。
横浜だけかと思ってました。(^_-)なんて。

サーフィンでなんてまた、すごいでーす。

いいえ、いいえ、心を入れ替える必要はありません。
試食ならいいんです。食べるとだめなんです。

へへへぇ、声に出して言ってみるもんですね。
でも、少し試食して、大量に買ったんではつまらん
かったですね。もらった人はうれしいけど。
大量?マークがついてるので、???ですかね。

ありがとさんです。紋次郎さんを懲らしめることが
できたなんて! 鼻が高いです。^/^ わかりますか。

お願いがあります。陽だまりが寂しい。書き込んでく
ださい。









Re: なぜ、人は あや - 2005/08/20(Sat) 17:42 No.822  

紋次郎さん

書き込むの忘れました。追加です。

試食の写真、あんなのが試食としてあるんですか。
食べたたくなるのも、当然ですね。

おじさんが増えるわけです。



Re: なぜ、人は 紋次郎 - 2005/08/21(Sun) 13:47 No.823  

 無銭飲食もやったこと、あります。常習犯ではありませんが…、多分もう時効になってるんとちゃいまっか。(^_-)

>ありがとさんです。紋次郎さんを懲らしめることが
>できたなんて! 鼻が高いです。^/^ わかりますか。
 
 あやさんに懲らしめられて幸せです。天にも昇るような気持ちです。だいたい、勧善懲悪はニッポンでは、いっちゃん人気があります紋ね。

>お願いがあります。陽だまりが寂しい。書き込んでく
>ださい。

 あっしが書き込むと碌な事書かないからそこが心配。雰囲気を壊すことにでもなると←もう壊れてるって、ニゲリニゲロ。(-_-;)




iイタリア旅行記−3 投稿者:ら、めーる 投稿日:2005/06/07(Tue) 23:31 No.796  

ピサ
翌日タクシーに乗って町の城壁の外側に着きます。そして城壁をくぐると、おなじみの「ピサの斜塔」が見えるのです。昨年までは工事中で昇れなかったそうです。幸い予約ができていたので
時間になって呼ばれて上まで昇った東西南北眺められて高所恐怖症の私も写真をとりまくった。
今でこそ、ピサはトスカーナ州の小さな町の一つですが、中
世にはヴェネチア、ジェノバと並んで繁栄を誇った海洋国
家でした。紀元前2世紀ころ、ローマ帝国の海軍基地になった
ことがピサの都市としての始まりとされています。
イタリアの諸都市の中でも発展が早くて、いち早く11世紀には自治権を獲得してコムーネになりました。そして海上貿易で得た莫大な富をつぎこんで11世紀から建築が始まったのが、町のシンボルであるこのドゥオモです。イタリアの大寺院はドゥオモ(大聖堂)、洗礼堂、鐘楼が3点セットである場合が多いのですが、有名な「ピサの斜塔」はこのドゥオモの鐘楼にあたるそうです。。
ピサの斜塔は広い青々とした広場にありました。
ピサのドゥオモは11世紀〜12世紀に西ヨーロッパに広がった
ロマネスクという様式なそうですが洗礼堂が完成したのは14世紀つまり、ゴシック建築様式なのです。
下層は半円アーチ型が特徴のロマネスク様式、上層は尖鋭アーチ
のゴシック建築様式です。  次回に、、、、、


 



Re: iイタリア旅行記−3 白兎山人 - 2005/06/08(Wed) 21:14 No.797  

それから、それから?(^^)

ところで「コムーネ」って何です?



Re: iイタリア旅行記−3 ら、めーる - 2005/06/14(Tue) 20:20 No.803  

山人さん。()をつければよかったです。
イタリアのほうで、アムト(県)に対してコムーネ(市町村)
をさしたようです。
たとえば、今東京汐留シオサイト5区にイタリア街開発プロジェクト構想で、銀座と新橋に隣接する東京・汐留(しおどめ)地区では今、都心でも最大規模の再開発事業が進んでいます
この別名をコムーネ汐留とよんでいます。

さてなかなか紀行文に手がつきません。
でもがんばりますね。



Re: iイタリア旅行記−3 紋次郎 - 2005/07/11(Mon) 23:50 No.814  

ピサの斜塔を見ているうちについ、懐かしくなって一二枚アップしたくなりました。あっしのころは、塔内への立ち入りが禁止中でした。で仕方なく、前にいたカワイ子ちゃんへ視線が行ってしまいました。←いい年こいて、まあ〜。(-_-;)



Re: iイタリア旅行記−3 紋次郎 - 2005/07/11(Mon) 23:53 No.815  

 あっつ、失礼。こっちの方でした。(^_-)



日の盛り 投稿者:ゆき 投稿日:2005/07/11(Mon) 21:21 No.813  

ためしにサウンドを入れて見ましたけど
アラマ!聞こえる!!
色々楽しめる場所ですね、アチコチ
屋敷内を歩いて居ります

今日も暑かったですね

*犬小屋の足だけ見せて日の盛り ゆき



映画音楽 投稿者:ゆき 投稿日:2005/07/11(Mon) 21:12 No.812  

Download:812.mid 812.mid サウンドも入りますの?



耳寄り情報 投稿者:紋次郎 投稿日:2005/06/20(Mon) 10:49 No.811  
マーチャンのことですが、この間、北ドイツのリューベックから絵葉書が来たと思ったら、もう成田へ着いたらしいです。
  
 みなさん、もうすぐ面白そうな旅行記が載ると思いますので乞う、ご期待!ひょっよしたら、New F-Mellowの方へ出るかな。



イタリア旅行記ー4 投稿者:ら、めーる 投稿日:2005/06/14(Tue) 20:59 No.804  

おもいだしました。わすれてならないピサ斜塔で、ガリレオが
数学教授となり落体の実験をした話、大聖堂の天井から吊るされたシャンデリアのゆれるのを見て自分の脈拍で周期を測り振り子
の等時性をはっけんしたという話が伝説となっていました。

フィレンツェでルネサンスの話をするときは、サン・ジョバンニ洗礼堂の東側の、後にミケランジェロによって天国の扉と称され
る扉の前から始めるのです。1401年、停滞していたフィレンツェを活気づけよう
と、洗礼堂の扉の彫刻の制作者を決定するコンクールが行われました。今では普通のことですが、これが史上初ともいわれるコンぺ。この最終選考でブルネルスキがギベルティに負けたとも、同れます。コンクールではゴシック風でしたが、半世紀を経てルネサンス式に脱皮していました。現在のキンピカの扉はレプリカで、本物はドゥオモ付属美術館にあるそうです、、
次・ウフィティ美術館-Galleria degli Viffzi この美術館は、1560年コジモ1世の命によりジョルジオ・ヴァザーリがオフィスとして設計し、ウフィティ-ufficioとはイタリア語でオフィスという意味。1581年にメディチ家所有の美術品を収容するギャラリーが開設され、何世紀かの時の中で美術館として発展、今では全イタリアの主な画家ほとんどの作品が展示されている。サンドロ・ボッティチェルリの「ヴィーナスの誕生」、レオナルド・ダ・ビンチの「受胎告知」、ラファイエロ「ヒワの聖母」、ミケランジェロ「聖家族」など…。があるのですが、」外国に貸し出された数点がなくて残念!宗教画も素晴らしいとおもいました。
次はウフィツ美術館へ途中、いのししの鼻、、街の中にあってこれを触ると又フィレンツェに戻れる伝説の置物に触れてきた。  続く



Re: イタリア旅行記ー4 白兎山人 - 2005/06/14(Tue) 21:47 No.805  

ウ〜ム 盛り沢山で スイスイと頭に入って来ない(@@)


Re: イタリア旅行記ー4 ら、めーる - 2005/06/15(Wed) 19:55 No.806  

山人さん。今日は!
ウフィティ美術館とウフィツ美術館は同じです。

私も今になって画像をあちこち混同して頭の中ガグチャグチャ
どうしたらよいのかホームページに分けるのに困っています。
又出直して再調査してこなくっちゃ.(^。^/)ウフッ
又先日PMOさんや釜山の金允子をさんを2日間三保の松原や日本平にご案内した珍道中の画像の整理、どうしたらいいのやら
思案投首です。(◎_◎) ン?



Re: イタリア旅行記ー4 あや - 2005/06/16(Thu) 16:40 No.807  

ら、めーるさん

ら、めーる先生の講義、イタリアの歴史の教室に出席している
気持になっています。外国だから、カタカナが多いのあたりま
えなのですが、難しい!
礼拝堂の扉の製作者を決めるコンテストがあったとは!



Re: イタリア旅行記ー4 紋次郎 - 2005/06/17(Fri) 23:42 No.810  

 たしか、ウッフィーツィ美術館は、世界の三大か、四大美術館のうちの一つでしたね、それはいいところへ行かれました。かなり昔ですがあっしがマーチャンと行った時の写真です。後ろの尖頭の着いている建物がパラッツォ・ヴェッキョで、その後ろに見える大円蓋が、洗礼堂扉絵で敗北を喫したかの、ブルネッレスキの作でしたね。



南アルプス縦走賦 投稿者:白兎山人 投稿日:2005/05/29(Sun) 13:40 No.791  
(鉄道唱歌のメロディーで)

汽笛も鳴らさず宇都宮 早や我が電車離れたり 筑波の山の吐き出せる 仲秋名月友として

兼好法師に逆えども 隈なき月の美しき 明日の好天さぞかしと 心は疾くにアルプスへ

東の京に降り立ちて 乗り継ぐ甲斐路の乗客は 少なからず多からず 軽くビールで前祝い

甲府の駅のコンコース 河岸の鮪かルンペンか 蓑虫ルックで転がって 暁までを高いびき

早朝バスは8月で 終わりと知ってタクシーに 五人と四人で分乗し 走る山道揺れ激し

まだ薄暗き登山口 準備の合間に振り仰ぐ 北岳のみが陽に映えて 感嘆の声ここかしこ

大樺沢を正面に 橋を渡りて登り初む 遥かに見上ぐる雪渓が
先ず第一の目当てなり

岩石多き急登は 右に左に花の咲く ホタルブクロやキツリフネ 季節混じりて面白き

雪渓下に辿り着き グッと近づくバットレス 段々眺めは良くなれど 肩に食い込む荷の重さ

雪渓過ぎて一休み 右に迫りし岩壁に チラホラ見ゆる岩登り 渡る谷風心地良し

九人の内の最後尾 シンガリ努める我が足は 徐々に遅れて後続を 三々五々とやり過ごす

噴出す汗に喘ぐ息 尾根に着きなば頂上は パスして北岳山荘に 向かうか否か一思案

尾根からピークは二十分 北を指したる道標に やっぱり行かずばなるめいと 最後の力振り絞る

正午を過ぎて三十分 遂に頂上踏み締める 無風ウララの山上は 四方ガスにて視界なし

嬉しや南のアルプスは 今や吾等の下にあり 昼餉済ませて暫くは 昼寝楽しむ贅沢さ

記念撮影二三枚 ヴィデオ持つ手も軽々と 下る岩場は一時間 北岳山荘今日の宿

畳一枚二人ずつ 暑さに眠れぬ床を脱け 山荘の外月の夜 雲海の上富士朧ろ

同じく眠れぬ人ありて 二言三言交しつつ やがて冷えたる体にて 押し合いへし合い寝ねにけり

三時ガサゴソ音がする 四時大抵は起き出して 四時半我等も皆起床 五時山荘を後にする

東の空は朱に染まり 富士はくっきりシルエット 荷物降して一休み カメラヴィデオと忙しし

アッと言う間に中白根 朝陽の中で朝餉摂る 辺りに広がるハイマツに 時折見ゆるホシガラス

暫く続く登り道 所々で立ち止まり 返り見すれば北岳や 千丈鳳凰大展望

気温の低き尾根筋は 西風冷たく肌を刺す 半袖長袖ブレーカー メンバー服装まちまちに

中白根岳出でしより 一時間余で間の岳 農鳥正面塩見右 富士は左手常に見ゆ

岩場ガレ場の尾根道は いずこも花の絶え間なし 当薬竜胆主役にて その他枚挙に暇なし

ここまで来たる道すがら 中央アルプス右に見え 槍や穂高も千丈の 後ろに小さくクッキリと

かなり下って農鳥の 小屋の主人の情報に 大門沢をキャンセルし 奈良田泊まりに変更す

急登暫く頑張りて やがて緩やか岩の道 西農鳥に来て見れば 又々豪華な大展望

農鳥岳は正面に 右手近くに塩見岳 荒川三山その向こう 富士はやっぱり左手に

登り下りの岩尾根も 下り主体で農鳥へ ルート最後のピークにて 見回す名残の各名山

大門沢の下降点 目指すリーダー足速く 時に雨粒顔を打ち 昼食地点先送り

下降点から水場過ぎ 鹿も驚く急降下 ガクガク膝で急げども 先頭の影さらに無し

沢音聞いて沢を見て さらに下って林中で 中間隊と合流し 暫し休憩行動食

先頭二人はどこへやら ヨッコラショイと腰を上げ 下り始めたその途端 木陰に見えた赤い屋根

大門沢の小屋の前 差しかけ張りのシート下 やっとありつく昼食は 北岳小屋のひどい飯

九人で食べる六杯の 力ラーメンあたたかし 奈良田の宿にリーダーは 下降開始を連絡す

少し下りも緩やかに 岩場の道を歩き出す 途端にE氏のハプニング ウェストバッグの忘れ物

リーダー残して七人は ゆっくりペースで下山する 一時間後に追いつくは 持ち降りくれし人の徳

どうやら雨は降らねども 矢鱈に長い長丁場 途中の沢水救いにて 顔を洗いてまた歩く

吊橋四つユラユラと 踏み板朽ちたる処あり オッカナビックリ一人ずつ 写真撮影一騒ぎ

ルート最後の上り坂 薄暗がりの杉林 ムジナ峠のひと越えで 林道に出て万々歳

十分歩いて出迎えの アルプス荘のワゴン車に 人も荷物もごちゃ混ぜで 軽く宿まで一走り

早速飛び込む温泉で 痛む足腰もみさすり 夕食タイム待ち兼ねて 早くもビール五六本

夕餉の卓は豪華なり 天麩羅鹿さし焼き魚 豆腐山菜加わって 下りガンバの甲斐があり

食後もビール追加して ウィスキーやらブランデー 熟年男女が一室に 山の喜び語り合う

奈良田の里は小じんまり 二十余軒の集落で 山手に村営奈良田の湯 泉質上々木の湯船

六畳三間の部屋割りは 北岳小屋に較ぶれば 四倍余りの広さなり 疲れを癒す良き眠り

白旗史郎の写真館 民俗資料の館など 朝はノンビリ巡り見て 又々温泉楽しんで

マイクロバスをチャーターし 早川沿いにひた走り 下部温泉JR 各駅停車で甲府まで

帰りの特急甲斐路号 客も少なくヨックリと 仕入れしビールとワインにて アルプス山行総決算

完歩適いしその上に メンバー天候ベストなり わが生涯に花添うる 快挙の成就有り難し
                      
                       (ゆっくり)わが生涯に花添うる 快挙の成就有り難し



山行途中詠み始め 帰り車中で大方は ひねり出したるものなれど 語り尽くせぬこと数多

              1992年 9月  白兎山人

  




 



Re: 南アルプス縦走賦 ぎっちょ - 2005/05/30(Mon) 11:00 No.792  

白兎山人さん

 ふぅー・・。良くも詠んだり!!
情景描写抜群!ちゃ〜あんと声出して
歌っちまいましたよー。ん?1992年
ですかぁ。まだ、マーちゃん(奥様)
ご健在当時ですねぇ。苦しい思いをして
極めた山頂、子を産むきつさを女性が
産んだ途端に忘れる如く、山にも同じ
魔力があるようですねぇ。以来未だに
山男続行中・・・お見事な出来に大拍手!
楽しませて貰いました、今度は、昔、
昔、その昔・・・なんて事にならぬよう
いつまでも登山現役で頑張ってくださりませ。



Re: 南アルプス縦走賦 あや - 2005/05/31(Tue) 00:06 No.793  

白兎山人さん

パチパチ(拍手)です。
みごととしか言いようがありましぇーん。

>甲府の駅のコンコース 河岸の鮪かルンペンか 蓑虫ルックで転がって 暁までを高いびき<

ここは私も経験がありますです。
昨年も、夜半ではありませんでしたが、各駅停車の旅で、
待合せ時間が長いため、ここで降りてお世話になったとです。

山歩きを今でもなさっているのには感服!

私などは、昔々のことです。今は丘というところを歩いて
ます。



Re: 南アルプス縦走賦 白兎山人 - 2005/05/31(Tue) 00:33 No.794  

ありゃりゃ! あやさんな九州生まれんごつありますな、あたしゃあ八幡生まれですたい。
九州男児ち言われると ちょっと恥ずかしかですけんが・・
酒をようけ飲むとこだけは九州生まれんごつあります。



Re: 南アルプス縦走賦 あや - 2005/05/31(Tue) 22:43 No.795  

白兎山人さん

私が九州生まれとはこれいかに?
わたしゃ、東京の大森という田舎生まれでごわす!

そちは九州男児であらせられるか。

箱根の芦ノ湖畔で、30人ほどが輪になって座り、
九州から送られてきた焼酎を飲んだことが思い出さ
れますとたい。

会社に入社した新人の、親御さまが送ってきたうれ
しいものでしてね。慰安旅行に持っていったとです。

なつかしい、なつかしい思い出であります。

また、書いてくださいね。「陽だまり」をお忘れなく!



Re: 南アルプス縦走賦 ら、めーる - 2005/06/17(Fri) 09:12 No.809  

山人さん。鉄道唱歌のメロディでつい口づさんでしまいました。
この甲斐路をうまくまとめられて、私もでかけたくなりました。

たのしそうですね。次男と以前岩場ガレ場の北八ヶ岳頂上の山荘
に泊まった昔をおもいだしました。(多分北八つ?大変でした。)
月がとてもきれいでした。



尾瀬ケ原の旅 投稿者:あや 投稿日:2005/06/16(Thu) 22:07 No.808  
 6月の尾瀬は、水芭蕉や尾瀬コウホネ、あやめが、7月にはニッコウキスゲの黄色で埋めつくされます。秋は紅葉がまたきれいです。
 今から13、4年も前になるでしょうか。女性ばかりで出かけたときの文章です。お読みいただければ幸いです。


   尾瀬ケ原の旅
                           
「尾瀬に行く人、この指止まれ」という鍋島さんの細い指に、止まりにも止まったり8人。夜行バスの日帰りという小さな旅である。
 7月6日、新宿から夜11時の出発の、バスの中は眠るばかりと思っていたのに、さにあらず。食べる音と、しゃべる声の大合唱となった。いやはや元気なものです、中年女性どもは。もちろん私も含めてだが。
 
 戸倉へ着き、宿で朝食をとり、バスで鳩待峠へと向う。家にいれば白河夜船のころだろう。遊びとなると眠くないから不思議。
 コースとしては、鳩待峠からヨセ沢、テンマ沢を通り、山ノ鼻小屋を経て上田代の牛首までの折り返しで、尾瀬ケ原のほんのとばくちまでだった。燃え立つような朝焼けに見送れて、鳩待峠を勇躍出発した。
 山ノ鼻小屋までは1時間10分、木道を渡る爽やかな風にうっとりと進んだのも束の間、早く早くと急き立てられて、まわりの景色など目に入らず、足元ばかりを見つめて、ただ夢中で歩いただけだった。 そのせいか、山ノ鼻小屋へ着いたとたん、富沢さんが音をあげてしまって、ここで待つと言う。もう少しでお花畑に会えるからと言っても、動かない。それではと7人で歩く。
 
 数百メートルも歩いただろうか、尾瀬ケ原へ一歩踏み出したとき歓声が上った。白い雲を浮かべた青い空はどこまでも続き、見渡すかぎりの緑の原には、紫や黄色の花がそこかしこに咲き乱れて、前には燧ケ岳が輝き、振り返れば至仏山が雪渓を見せて、美しい姿でほほえんでいる。
 一瞬目を閉じて、その感動を心の奥に焼きつけた。20数年前から、何度か足を運んだことがある尾瀬。その中でも、なつかしい青春時代の思い出が、走馬灯のように頭に中を巡った。
 たいていは、2泊3日の小屋泊まりの日程だった。
 
 そんな尾瀬は自然の宝庫、ウグイスやカッコウ、そしてブッポウソウの鳴き声に耳を傾け、アヤメの葉を愛で、ニッコウキスゲの色に驚き、オゼコウホネやサギソウ、トキソウの可憐さを見出しながら歩いた。
 そう、若い男性からカエルのたまごを教えてもらった。ふわふわした泡みたいなものだった。
 また、「お早う」「がんばってね」行き交う人たちとあいさつを交わしたが、俗界でもこうだったらといいな思いながら、しみじみと自然のよさを味わった。
 
 やがて、柳場さんが脱落宣言、おいてけぼりにして進んだ。
 折り返し点の牛首に着く。ニッコウキスゲの群生があると聞き、休むこともせず、武井さんと2人で走って見に行く。一番年上かも知れないのに歩きなれていて、とても軽やかな人。群生はみごとだった。
 山ノ鼻小屋へ戻り昼食をとったが、涼風の通り抜ける木蔭のテーブルでのおにぎりはおいしく、話がはずんだ。
 いつまでも止まっていることはならず、尾瀬ケ原と別れて帰途に着いたが、往きには目に入らなかった川の流れや、木々、草にも、1つ1つ立ち止まって観賞する余裕も生まれた。
 
 ともかくも、時間通りに皆元気で歩けてよかった。「プロのつもりよ」とスラックスの裾を靴下の中に入れた市川さん。いつも静かにやさしい笑顔の根本さん、佐藤さん。すばらしい自然とすてきな8人の仲間たち。最高の2日間だった。
 
 新宿でビール2本とスパゲッティで乾杯、再会を約して別れを告げた。


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