フランクフルトの鉄道駅に行くには別に空港の外へ出る必要はない。歩いているうち、誰でも出札口へたどり着ける。荷物のある人は荷物用の車に上乗りして、移動することも出来る。出札係は親切な男で、往復を買うと安くなるからと勧めてくれた。
清潔感のあるIC(ドイツではイーシーでなく、これをイーツィと発音する)、乗り心地はたしかにいいんだが、難を云えばすこしスピードが速すぎる。せっかく風光明媚なライン川に沿って走るのに、その景色を十分に楽しめないのがチョッと残念だった。車両はコンパートメント式なのだが、昔のと違って、真ん中がうす空きで、完全に閉めるわけには行かない。防犯上は、たしかにこの方がいいんだろうが…。
この頃ヨーロッパでも、日本のやり方を真似たのか、車内アナウンスがあり、その放送によって、列車がやがてコーブレンツに着くことが分かった。駅前のタクシーに「ホテル・ディールス」というべきだったが、生まれつきアバウト人間のうえ、正確な名前を忘れていたので、つい「ヴィールス」と云ってしまった。日頃コンピュータウィルスの脅威に曝されているせいもあっただろう。これは下手をすると、病院か保健所へでも、連れて行かれるのではと、戦々恐々としていたが、そういう名前のホテルはこの町にはないらしく、チャンと正しいホテルへ送り届けてくれた。さすがドイツである。
きょうのホテルはなんと四つ星。ライン川にかけられた大橋を渡った川向こうにあり、閑静ないいホテルだ。チェックインして部屋へ通ると、えらく暑い。廊下のドアの辺りまで、強い日差しが差し込んでいる。これは堪らぬと、早速ライン川の川風を求めて、外へ出る。フロントで聞くと、通船はもう最終が出たあとだという。どうしようかと思っているところへ、渡りに船と、泊り客のかっこいいビジネスマンタイプの男が現れ、これからダウンタウンへ繰り出すところなので乗せてやると、申し出てくれた。
マーチャンと行くと、こういう困ったときには、必ず助け舟が出ることになっている。この町の盛り場でもあろうか、ツェントゥルム・プラッツというところで降ろしてくれた。ベルリンの出身だといっていたが、名前は聞かなかった。通行人にモーゼル川に出る道を聞き、モーゼル川とライン川の合流点を目指す。ここはドイツ語でドイチェス・エック(ドイツの角)と呼ばれ、一見の価値がある。
合流点に立つと、誰しも何がしかの感慨を抱くはずである。この地点を際立たせるためか、ドイツやEUや、そのほか色とりどりの旗が立ち並び、目の前を大きな遊覧船がひっきりなしに通るので、観ていて飽きるということがない。
旗のある場所の近くには、父なる川ラインを見下ろす形で、ウィルヘルム一世の銅像がある。ここへ上がると眺めが抜群によく石段が何百段かあり、旅の疲れの代表のような、我々にはとても無理と諦める。
その代わり、マイン川沿いのガストホーフのオープンテラスで、ドイツで初めてにして最後の、夕食をとることにする。ここまで来る間に見かけたビアガルテン(ビアガーデン)は、ニッポンでのように、ただ申し訳程度にそこここに貸し植木を並べたような代物ではなく、文字通り森の中にあって、みな愉しそうにジョッキ(ビアマグ)を、傾けていた。
またオープンテラスの話に戻るが、事前にあたりを偵察すると、食事の量がかなり多そうだったので、これならと「イタリア風サラダ」というのをえらんだ。しかし、これも実はイタリア風「ドイツサラダ」に過ぎなかった。マーチャンがその上にザワークラウトを二人分も頼んだので、当然のことながら、沢山余してしまった。付け合せのジャガイモとて、半端な量ではない。
チョッと大げさに云えば、「多摩御陵を幾分小さくしたくらいの」大きさはあった。巨大なソ−セージは、半分しか食えなかったが、たしかに美味であった。それから、ここのワイングラスは、チョッとゴツイが、特徴のある形をしていた。これはモーゼルワイン専用の、名物グラスだそうだ。
「日本人は胃袋が小さくて」というのを、うろ覚えのドイツ語でやってみたら、ベイシックな動詞、ハーベンの変化形を早速直されてしまった。帰りは、歩いて帰るには余りにも遠すぎたので、店でタクシーを呼んでもらった。翌朝のヴァイキングは、さすが四つ星と思わせる出来栄えだった。
まだ見たいところ、行きたいところは山ほどあったが、旅に未練はつき物、十分満足してフランクフルト行きの列車の乗り込んだ。波乱に富んだ我々のリグーリア旅行も、ついに終わりとなった。
ここまでご愛読くださった皆様、長い間ほんとうに有難うございました。心から「グラッツェ・ミッレ」と申し上げたい。 (FINE)