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幸次郎伯父の調査 (1) 斉藤 匠司

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通常 幸次郎伯父の調査 (1) 斉藤 匠司

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2007/4/21 8:38
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
 
 私達の一族に幸次郎と名乗る人がいました、彼は昭和20《1945》年3月10日の東京大空襲で行方不明となり、その後幸次郎と名が書かれた遺骨が東京都慰霊堂《注1》に安置されている事を知りました。
 これは本当に幸次郎の遺骨なのか、本人は何処《どこ》に住み、何の仕事をしていて何処でどのようにして亡くなったのか、昭和59年に出来る限りの調査をおこなったが、更に平成19年春、以前に書いた調査書の疑問点を洗い出し、改訂版を作成しました。
 東京大空襲では一晩に10万の人が亡くなった事も遠い記憶となり、当事者もどれだけの人が生きているか、全て過去の闇に包まれようとしています。幸次郎も被災《災害をうける》時死亡した多数の人々同様、歴史にはなにも残らない人でした、しかし我々一族には記憶に残ってはいる人ではあります、そこでこの調査書を作り齊藤一族に配布しました。 
 今回何か一つでも死んだ本人のために残したい、その思いで以下の文章を公開する事にしました。 
  

  文中の理解を助ける為に当時の家族関係を記しておきます。
  
  母斎藤マツ 長男斎藤幸次郎 次男斎藤安三郎 四男斎藤富五郎
  安三郎の姉の子供山本幸雄 
  斎藤美智子 安彦 義隆 和子 何れも安三郎の長女、長男、次男
  次女、 筆者 安三郎の三男で生後すぐ富五郎の長男として入籍

  以上です。


1、 はじめに

 昭和59年(西暦1974年)の夏、所用があって美智子姉に電話した所、昭和20年(西暦1945年)3月10日の東京大空襲の際行方不明のまま死亡したものとされている幸次郎伯父と同名の遺骨が引取者のないままに東京都慰霊堂に安置されているとの話であった、そこで東京都慰霊堂に電話でたずねた所そこの主任より「確かに斎藤幸次郎名の遺骨があり、空襲直後猿江公園に仮埋葬された多数の遺体を3年後掘り出して火葬に付したがその際氏名の判明している遺体については名を記し東京都慰霊堂に安置したものである」との事であった。
 後日東京に用務で出張した際確認をかねて東京都慰霊堂に出向き、同所の主任の特別のご好意で拝観させていただいたが現在の骨壺より大型でまさにぎっしりと言う感じで遺骨がおさめられていた。
 
 私は幸次郎伯父がどのような人であったかは知らず、会ったと言う確かな記憶も無く、全く知らない、第一どこで生活をし、どこで死亡したかも分からないが少なくとも昭和20年3月10日の東京大空襲で行方不明となり、後述する除籍簿では同日、時不明で深川区新大橋3丁目6番地で死亡と届けられている。
 そこで幸次郎伯父の被災時の状況の調査と出来れば遺骨の確認を思い立ったが、なにぶん40年近く前の最も混乱した時代の事ではあり、確証は得られないかも知れないが出来る限りの追求をした結果が以下の記述である。
 なをこの調査に当たっては後述する多数の関係機関と多数の人々のご協力を得て完成したものであり、心から感謝申しあげます。
 
2、 調査方法

 一般的に物事を追求する場合、仮説を立てそれを実験的に追求する方法と、ある事柄、それも古い時代の事柄を当時の文献、記録から調査して事実を証明する方法がある。
 前者の場合は実験結果の分析から仮説が正しいかは判定出来るが後者の場合 はよほどの証拠物件が出ない限り可能性が高くなるだけで断定は出来ない、その良い例として高松塚古墳と太安万侶(オオノヤスマロー日本最古の歴史書古事記の編者ー)の墓を取り上げる、前者は美術史的にも築造年代からも有名で忍壁皇子《おさかべのみこ》の墓であろうと推定はされるが決定は出来ない、何故なら墓のどこにも誰の墓かは書かれていない、後者は遺物と共に「太安万侶」と書かれた墓銘誌(埋葬者の名前が書かれてる)が共に出土したので直ちに決定した。
 幸次郎伯父の調査方法も当時の記録、文献を主としてそれに当時の関係者の聞き取り調査なので結果は推定されても確定は出来ない。

 昭和20年3月10日の幸次郎伯父の行動は全く不明であるが多くの記録を参照するとある程度推定出来る、即ち一個体(個人)の行動は不明でも多数の個体(群衆)の行動が判れば一個体(個人)の行動も推定出来る事になる、以下に参考にした資料及び調査に協力頂いた機関、方々の名を記す
 
 1) 東京大空襲戦災誌 第一巻 都民の空襲体験記録集 3月10日編
 2) 東京大空襲戦災誌 第三巻 軍、政府公式記録集
 3) 東京大空襲記録集(写真集)
    以上三編 東京大空襲戦災誌編集委員会編
         東京空襲をを記録する会刊
 4) 東京大空襲ー昭和20年3月10日の記録
    早乙女 勝元著 岩波新書社刊
 5) 日本の空襲第三巻 東京空襲 
    日本の空襲編集委員会編 三省堂刊
 6) 東京都慰霊堂
 7) 東京都庁都民資料室
 8) 東京都江東区役所市民課
 9) 京都市上京区役所市民課
10)京都法務局戸籍課
11)長崎地方法務局戸籍課
 
12)深川警察署警務課
13)電電公社隅田局
14)京都市 鳴虎《なきとら》報恩寺

15)旧平野警察署警部補 小坂部正己氏 大槻善三郎氏   
16)旧深川区佐賀町一丁目在住 稲垣氏
17)旧深川区佐賀町二丁目在住 朝日奈文子氏
18)旧深川区新大橋三丁目在住 遠藤藤吉氏 遠藤豊之助氏 酒井氏 小野氏 浅野氏

注1 東京都慰霊堂(とうきょうと いれいどう)=東京都墨田区横網の横網町公園内にある慰霊施設。 1948年より、各地に仮埋葬された身元不明の遺骨を納骨堂に改葬し、1951年に「東京都慰霊堂」と改称した


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編集者 (代理投稿)

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