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Re: 成瀬孫仁日記(六)昭和十七年四月~昭和十七年八月

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あんみつ姫

通常 Re: 成瀬孫仁日記(六)昭和十七年四月~昭和十七年八月

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2009/3/16 9:24
あんみつ姫  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 485
昭和十七(康徳九)年五月

二日(土)晴 暖
 「訪日宣詔紀念日」式典をさぼって、一日中寝る。痛くて脚、腰立たず。
 今日一日の成果は「ハーモニカ」を吹く事を覚えたのと、さぼることの快味である。
 夕方、伊藤から寮に来ているから来るように連絡があった。行くと二年生(二十二期)の木山(勇)と前田がいた。柔道部のことを種々聞かされる。彼はマネージャーだ。人一倍苦しんでいる。
 後、「池田」へ行き「ぜんざい」。「しまや」で生菓子。寒い風に吹かれながらプラプラ帰る。

三日(日)雨 寒し
 朝早く起き、登校。朝食後、雨がバシャバシャ降る中を斜紋五堂街の経偉国民学校へ行く。武道大会あり。柔道、剣道とも優勝す。
 試合後、一年生と共にモストワヤに出る。支那飯店で焼包子、松美屋でゼンザイ、各一人二杯宛。「池田」でビール。一年生の楽しそうな顔を眺めていると幸福感にひたる。
 「包子」一個三銭、二四〇個、計七円二十銭、税金七十二銭、総計七円九十二銭。
 「ゼンザイ」九人一人当二杯、一杯二十五銭、計四円五十銭、税金四十五銭、総計四円九十五銭。
 「ビール代」四円、金がなくなり、二年生の津田から一円借りて払う。
 寮で「ベルの問題」があり、寮の旧体制は精算されなければならないと云う。ベルを合図に一斉行動するのではなく、各人の自覚に基いて行動しろ、もっと自由にさせろ、と云うのが新体制である。
 朝の起床はどうするのだ。夜の就寝はどうするのだ。寮生活は団体生活なんだ。

四日(月)晴 寒し
 今日から初めて朝食が食べられるようになる。未だ充分整備されておらず乱雑である。
 寮で勤労奉仕あり。北寮の農場を拡張する大工事(?)が未だ三分の一も完成していないためである。北寮は風呂も大きく清冽な水が豊富である。
 岡崎(赫生)(1)が良く委員室に来て学院改革の理想を語っていった。大言壮語の趣はあるが、態度は真筆である。大いに後援する価値はあるのではないか。

五日(火)晴 暖
面白くない授業ばかりが続く。「財政」が休講になると代りに教練などやらされてはかなはない。併し銃の手入れのみ、十分位で終り、後は自由。
 寮の敷地の拡張工事も終り、広い土地が出来る。見ておれ今に大農園にして見せる。
 翻訳を届けにハルビン書房へ行く途中、社主の原さんに会う。暫時話をして別れる。
 夜、カルシュウムの注射をして貰う。この注射をすると、鼻、口、肛門等体中の穴から温かい空気が出たような感じで、頭がスーとする。後、蒙古人に蒙古語を教わる。

六日(水)晴 暖
 柔道場の畳の修繕をしているので練習なし。
 教練の時、あまり天候が良いのでついうとうとする。空には隣りの関東軍の航空隊が一時間あまりも、宙返り、横転、模すべり等を繰返している。教官日く「近頃の戦いは若い者だね」と。
 昼から少し勤労奉仕をする。少しなら面白くやれる。
 寮の風呂に初めて入る。浴後気持が良いのにまかせて散歩を楽しむ。「問題の女」(2)の家が解る。
一年生、赤堀信明の謹慎を、川辺と二人で行き何とか解いて貰う。うんと説教して放つ。

七日(木)晴 暖
 万年筆を失う。又失費。
 午後、一年生は農場の勤労奉仕。良く働くもんだ。(良く働かされるもんだ)。
一年生の室園と「オリエント」へ愛染かつらを見に行く二回目。
 寮のおばさんに土産に柏餅を買って来たら、「ケーキ」が返って来た。かなわない。
柔道山部の問題。伊藤鎭が出して来た問題について一悶着起る。私は本当にどうして良いか解らない。

八日(金)雨 暖
 夕方少しく雨が降り、濡れる。
 どうも、昨日の問題が頭にこびりついていて離れず、一日ボーとして過ごす。
 体育週間が始まる。柔道場で試合あり。一年甲組が優勝する。その御祝に「カブトスンジュ」(3)を一袋づつ贈る。
 七時のニュースで日本軍大勝利の報あり。即ち、ニューギニア方面に作戦中の帝国海軍部隊は珊瑚海に於て米英連合艦隊を捕捉撃滅せり。その戦果次の如し。
 米国、航空母艦撃沈二隻、(サラトガ、ヨークタウン)。戦闘艦、撃沈、一隻、(カリフォルニヤ型)。
 英国、戦闘艦大破一隻、(ロッペーリ型)、甲巡大破一隻、(キャンベラ型)。
 目下、残敵追撃中なり。更にマンダレー攻略の帝国陸軍部隊は北方への進撃を続け、遂にビルマ、雲南省国境を突破せり、と。 鳴呼!! 偉大なるかな!!

九日(土)晴 暖
 三時限、四時限の教練の時間に新寮に植樹に行く。
 午後、ラグビーの試合あり。一年甲組対三年甲組で延長戦までやった結果、三年甲組は負けた。一年生は元気が良いよ。
 伊藤鎭に映画に誘われたが、拒わって青木(鮮系)と寮に帰る。
福永と馬場が来る。例の話になったが、駄目と云う結論になった。現在の寮生活を維持する限り、現状で行く外はない。
 夜、遅くまで眠られぬ。
 黒上(光男、22期)に「三年生は駄目だ」と言われてカッとなって、一言、二言、噛みついたが、思い直して直ぐ止めた。情けないことだ。何故下級生に面と向って言われなければならないのか。

十日(日)晴 暖
 昨日、伊藤鎭に言われた通り、一年生を集めて柔道の練習があるから朝から行くように言ったのに、学校の道場には五人位しか集っていない。二年生、三年生も僅少。
 伊藤に言った。「いくら言っても集らないのなら、俺はもうその価値がないから、寮の委員も、柔道部も止めてしまうか」と。伊藤もすっかり気が滅入ってしまったのか、頭が痛いと言って帰ってしまった。
 北方亜細亜研究会の事で白井長助先生の宅に伺った。
 帰途、伊藤の所に寄ると寝ていた。話そうと思った事も話さず寮に帰った。
一年生の帰寮した者があまりに少いので、夕食が沢山残っていた。

-注-
(1)岡崎はクラス会にも現れないのを見ると、未だ健康が完全に回復してないようだ。長い闘病生活に耐えられるのも、一見淋しさを感じさせるような繊細な風貌にも似ず、強靭な精神のたまものだろう。
 昭和十八年十一月の末、遼陽の第三〇三部隊(輜重隊)に入隊した時、彼は体が悪く即日帰郷だった。兵営の廊下で顔を合せた時、「帰るのか」と言うと「うん、帰る」と言って別れたが、まさか兵営の中で「そりゃ良かった。万歳!」と言う勇気もなかった。その後一度和歌山の彼の事務所を訪ねたが、会えなかった。

(2)二年生で寮の委員をしていたKが北寮の西の団地に住む女学生と大恋愛?をして、夕方など寮の北の野原の凹地で毎日のようにデートしていると評判が立った。事実であった。意見は完全に割れた。恋愛は個人の自由だから干渉するなという自由恋愛支持派と、恋愛は個人の自由であるにしても、大勢の同僚学生の目の前で堂々と行うのは秩序を乱す。少しは慎むべきであるというやっかみ半分の干渉派と二派に分かれた。
 結局、大っぴらにやってくれるなと言ふことになり、その役は川辺がした。Kも女学生も態度が堂々として立派だった。その後どんなになったか記憶にない。

(3)何のことか全然意味が解らないが、そのまま残した。

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あんみつ姫

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