成瀬孫仁日記(六)昭和十七年四月~昭和十七年八月
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- 成瀬孫仁日記(六)昭和十七年四月~昭和十七年八月 (あんみつ姫, 2009/3/16 8:38)
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あんみつ姫
居住地: メロウ倶楽部
投稿数: 485
弁明の辞
私の日誌は昭和十六年と昭和十八年は市販の日記帳に記しています。昭和十六年のは日本の博文館の当用日記(定価金七十銭)、昭和十八年のは新京特別市・五星書林の新日記 (定価一円五十銭)(哈爾浜堂で購入)に書いています。ただし昭和十七年は普通のノート三冊に分けて書いています。
その一冊目(一月から三月まで)がどうしても見当たりません。昭和五十五年ごろ抜き書きなどしてある人に送ったことがあることは確かですが、ちょっと今見当たらないので四月からのでご勘弁願います。早急に家探しして見つけることに全力をあげるつもりです。
昭和十七年四月
半田教授、学院を離れる
五日(日) 晴後曇少々雪 涼
朝食は寮ですまし午前中は自習室の机の整理。胡麻本先生が呼びに来られ、松並(博)らと学校へ行く。
昼食後、新寮に行って見ると馬場が一人で寝ていたが、春日はいなかった。小原と一緒に散歩に出る。風が強くなり、小雪などもまじってきたので怱々に帰寮する。
夜、大場(明・23期)発熱四十度大いに苦しむ。
六日(月)快晴 寒 涼
朝から病院へ行く。授業は四時限目から出る。北方亜細亜研究会の翻訳を小原と分けて分担。私の分担は И3вестная Bостчн ая Сибирь のうち次の三項目である。
1. Краткое цсторико-географическое и статистиче скео описанце Ⅹудлнбуирскй Области(О.Боржинский)
2. Прот сказании и Песни Бурят(И.А.Подгорбунскцй)
3. Бадарчик(О.Боржинский)
夕方、六時からキタイスカヤの「グロート」で四国県人会あり。胡麻本先生、島木先生、武内教官、入川、松並、成瀬、山本、菅原元之(22期)、それに新入生の京野(治・現森友・23期)を加えて九名だった。寒い風に当たると一度に酔いがさめた。
森山(吾郎・20期)さんの出発を見送りに行かなかったが、彼は飲んで、つぶれて、出発していなかった。
帰って見ると大場は熱が下り、元気になっていたので安心。邪気はないが、津田(栄・22期)の口の悪いのには閉口する。
私の日誌は昭和十六年と昭和十八年は市販の日記帳に記しています。昭和十六年のは日本の博文館の当用日記(定価金七十銭)、昭和十八年のは新京特別市・五星書林の新日記 (定価一円五十銭)(哈爾浜堂で購入)に書いています。ただし昭和十七年は普通のノート三冊に分けて書いています。
その一冊目(一月から三月まで)がどうしても見当たりません。昭和五十五年ごろ抜き書きなどしてある人に送ったことがあることは確かですが、ちょっと今見当たらないので四月からのでご勘弁願います。早急に家探しして見つけることに全力をあげるつもりです。
昭和十七年四月
半田教授、学院を離れる
五日(日) 晴後曇少々雪 涼
朝食は寮ですまし午前中は自習室の机の整理。胡麻本先生が呼びに来られ、松並(博)らと学校へ行く。
昼食後、新寮に行って見ると馬場が一人で寝ていたが、春日はいなかった。小原と一緒に散歩に出る。風が強くなり、小雪などもまじってきたので怱々に帰寮する。
夜、大場(明・23期)発熱四十度大いに苦しむ。
六日(月)快晴 寒 涼
朝から病院へ行く。授業は四時限目から出る。北方亜細亜研究会の翻訳を小原と分けて分担。私の分担は И3вестная Bостчн ая Сибирь のうち次の三項目である。
1. Краткое цсторико-географическое и статистиче скео описанце Ⅹудлнбуирскй Области(О.Боржинский)
2. Прот сказании и Песни Бурят(И.А.Подгорбунскцй)
3. Бадарчик(О.Боржинский)
夕方、六時からキタイスカヤの「グロート」で四国県人会あり。胡麻本先生、島木先生、武内教官、入川、松並、成瀬、山本、菅原元之(22期)、それに新入生の京野(治・現森友・23期)を加えて九名だった。寒い風に当たると一度に酔いがさめた。
森山(吾郎・20期)さんの出発を見送りに行かなかったが、彼は飲んで、つぶれて、出発していなかった。
帰って見ると大場は熱が下り、元気になっていたので安心。邪気はないが、津田(栄・22期)の口の悪いのには閉口する。
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あんみつ姫
あんみつ姫
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七日(火)快晴 暖
一日中おとなしく模範生の生活をする。
米内先生に昨夜は相当「くだをまいていた」と皮肉られた。
八日(水)晴 暖
朝早く起きて市民病院へ直行。
伊藤鎭の下宿から高峰三枝子のブロマイドを持って帰る。机の上に置いていると、その日のうちに誰かに持って行かれた。
九日(木)晴 暖
蒙古風が烈しく吹いて誰かに貰った風邪が愈々悪くなる。授業終って帰寮、蒲団にもぐり込む。夕食の五目飯を食って又寝る。夜、故里の海の夢を見た。
十日(金)晴 寒
露語が漸く解りかけて着たような気がする。午後、種痘あり。寮に風呂なし。日之出湯に行く。
金もないし、一人静かに本を読む。剣道部、野球部等新入生歓迎会あり。皆点呼に遅れて帰る。
十一日(土)晴 涼
風邪気味で遂に学校をさぼる。全く意気地がないかもしれないが、嬉しかった。昼から桝井(渉・20期)さんとマルスで会う。
夜、寮の小母さんところで話し込んで、茶やコーヒーを頂き、長い時間をつぶす。
点呼後、三年生連中の一行が来て激論を飛ばして学院の使命を説いている。彼等の頭の中には二十期の姿が座っているのだ。その通りだ。
十二日(日)晴後雪 寒
日曜日、おまけに風邪気味だと言うのに登校。体操のみ。
マルスで清水(繁・19期)さんに会う。名古屋グリル、哈爾浜会館(映画)、天満(てんぷら)、マシンで秋林へ、難波寿司(寿司)を廻って帰る。
尻の穴の周りにシコリみたいなものがある。春日に聞くと痔の前兆だと言う。病院へ行って見るか。
十三日(月)晴後曇 寒
尻のことで市民病院へ行く。医者と医大の学生四、五名に尻を覗かれた。口の悪い医者だった。「君、大便の時尻をふくのか、良くふいておればなおる」と薬も呉れない。何でもなかったのだろう。
夕食後、春日、一年生の江口(英夫・23期)と共に鈴木の下宿へ行く。愉快に時を過ごして点呼に遅れそうになる。
十四日(火)晴 暖
蒙古語の最初の授業あり、これからこのミミズと取組む。蒙古人はミミズを切るのを嫌って農耕をしないと言うが、そのためミミズが増えて字にまで具現されたのか?
夜、夕食後クラス会あり。皆激しく論議する。一致団結して学院の改革の為に邁進することを議決する。私は自分のことに全然自信が持てないので、覚めた気持で一言も発せず、眺めていた。
会後、ニヒルな松並の下宿に行く。これで三日間何もせず遊んだ。
十五日(水)晴 暖
柔道の試合あり。途中で抜け出し宴会のある新華楼で待つ。
宴後、収穫は帰り途にあった。川村先生に御話を伺う。蒙古民族について、満州国の現状について、これに対応する学院の使命について、感激する。併し本当に出来るのだろうか。
一日中おとなしく模範生の生活をする。
米内先生に昨夜は相当「くだをまいていた」と皮肉られた。
八日(水)晴 暖
朝早く起きて市民病院へ直行。
伊藤鎭の下宿から高峰三枝子のブロマイドを持って帰る。机の上に置いていると、その日のうちに誰かに持って行かれた。
九日(木)晴 暖
蒙古風が烈しく吹いて誰かに貰った風邪が愈々悪くなる。授業終って帰寮、蒲団にもぐり込む。夕食の五目飯を食って又寝る。夜、故里の海の夢を見た。
十日(金)晴 寒
露語が漸く解りかけて着たような気がする。午後、種痘あり。寮に風呂なし。日之出湯に行く。
金もないし、一人静かに本を読む。剣道部、野球部等新入生歓迎会あり。皆点呼に遅れて帰る。
十一日(土)晴 涼
風邪気味で遂に学校をさぼる。全く意気地がないかもしれないが、嬉しかった。昼から桝井(渉・20期)さんとマルスで会う。
夜、寮の小母さんところで話し込んで、茶やコーヒーを頂き、長い時間をつぶす。
点呼後、三年生連中の一行が来て激論を飛ばして学院の使命を説いている。彼等の頭の中には二十期の姿が座っているのだ。その通りだ。
十二日(日)晴後雪 寒
日曜日、おまけに風邪気味だと言うのに登校。体操のみ。
マルスで清水(繁・19期)さんに会う。名古屋グリル、哈爾浜会館(映画)、天満(てんぷら)、マシンで秋林へ、難波寿司(寿司)を廻って帰る。
尻の穴の周りにシコリみたいなものがある。春日に聞くと痔の前兆だと言う。病院へ行って見るか。
十三日(月)晴後曇 寒
尻のことで市民病院へ行く。医者と医大の学生四、五名に尻を覗かれた。口の悪い医者だった。「君、大便の時尻をふくのか、良くふいておればなおる」と薬も呉れない。何でもなかったのだろう。
夕食後、春日、一年生の江口(英夫・23期)と共に鈴木の下宿へ行く。愉快に時を過ごして点呼に遅れそうになる。
十四日(火)晴 暖
蒙古語の最初の授業あり、これからこのミミズと取組む。蒙古人はミミズを切るのを嫌って農耕をしないと言うが、そのためミミズが増えて字にまで具現されたのか?
夜、夕食後クラス会あり。皆激しく論議する。一致団結して学院の改革の為に邁進することを議決する。私は自分のことに全然自信が持てないので、覚めた気持で一言も発せず、眺めていた。
会後、ニヒルな松並の下宿に行く。これで三日間何もせず遊んだ。
十五日(水)晴 暖
柔道の試合あり。途中で抜け出し宴会のある新華楼で待つ。
宴後、収穫は帰り途にあった。川村先生に御話を伺う。蒙古民族について、満州国の現状について、これに対応する学院の使命について、感激する。併し本当に出来るのだろうか。
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あんみつ姫
あんみつ姫
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投稿数: 485
十六日(木)晴 暖
小谷(保・のち玉置)先生の新任式あり。法律学教授。バサッ(ボサッではない)とした感じ。学究的でない感じ、併しこれは当てにならない。つまり大陸的、満州的な感じ。案外将来の大物的感触がある。
十七日(金)晴 暖
朝から春日と街へ出る。名古屋グリルに行く。定価表を見て高かったので丸商へ行き、かつどんとそばを食って哈爾潰会館へ入る。
〝風の又三郎″俺は断然又三郎になった子供が気に入った。春日は風見章子に気があるらしい。 〝海の見える家″小豆島を想って見たが、つまらない。
会館を出て中央飯店で夕食、金がないのでビールも飲まないで帰る。
十八日(土)晴
〝束京空襲さる″とのニュースあり。大いに驚く。何も言わずに海軍の活躍を待つ。名古屋、神戸も同様に襲撃されたと。
十九日(日)晴 蒙古風激し
朝からひどい蒙古風が吹き、目も明けていられない。口はザラザラだ。脚が痛かったのに柔道の練習したので、学校から寮への途中脚がおかしくなり三度転ぶ。夕食の弁当も二人で別けて食べた。
ひどい日だったが、プヘットで飲んだモロコーの味は大したもんだ。
川村先生宅へ寄る。ウドンを御馳走になる。寮に帰って話し合った。あれ先生宅の夕食を皆食ってしまったんではないか、年の一番上の奴があやまりに行けと云ったが、どうなったか。
二十日(月)晴 暖
川辺が赤十字病院に再び行く。帰ると痛そうにして寝ていた。
二十四日(金)晴 暖
すっかり春らしくなった暖い天候である。こうなるともう気持が抑えられない。二時間目からさぼって街に出る。
平安座に入り〝暖流″を見る。水際の砂浜でボロボロ涙を流して泣く高峰三枝子の姿は感動的であった。他に文化映画〝銀杏″、日本ニュース第九十六報。
夜、自習室で寮のコンパあり。百芸続出、十一時過ぎまで続く。
二十五日(土)雨 暖
靖国神社の臨時大祭。天皇陛下親しく英霊に御親拝あらせられる午前十時十五分を期して講堂で式典を行う。
其の後、半田(清春)先生と別離の記念写真をとり、次いで食堂で送別会を行う。皆、感概を込めて先生を送る。先生は学院生に対して、学院生は内地の学生に比べ次の五ケ条だけ余計に頑張ってもらわねばならないと離別の言葉を残された。
一、ロシヤ語を良くすること。
二、ロシヤ、ソ聯の事情に良く通じること
三、ソ聯、ロシヤの歴史、経済、法律、社会を良く理解すること。
四、右の事を実地に生かす手腕を有すること。
諸君にはチタ《注1》か、トムスク《注2》か、又はハバロフスク《注3》か何処かで再び相会おう。私は日本の北方国策に身命を賭けている、と。
午後、北方亜細亜研究会第三回例会で白井(長助)先生の御話あり。
寮へ帰る。一人で歩く。小雨がシトシトと降っていた。楽しい夢は自分の胸の中にだけある。
夜、一年生が学院の改革とか何とかと云う問題を提起して来て夜中の一時半頃まで論議し合った。
二十六日(日)雨 暖
朝は降っていなかったのが十時頃から猛烈な雨となる。今年は雨年らしい。
哈鉄厚生会館で国立大学のリーグ戦の武道大会あり。一般の部もあった。
学院
吉田(工大) × 内股 ○ 木山(学院)
猶井(工大) △ 足払 × 馬場(学院)
× 大場(学院)
向井(工大) × 裏逆 ○ 芝(学院)
塚野(工大) × ○ 平井(学院)
江島(工大) × 上四方 ○ 長戸(学院)
河野(工大) × 体落 ○ 福永(学院)
今村(工大) ○ 脊負ヒ ○ 和田(学院)
肥後(工大) × 左大外刈○ 川口(学院)
1 対 7.5
柔道は医大が棄権。学院と工大のみ。
剣道も医大、工大を破って優勝する。
川辺は病気が悪くて寝ている。
二十九日(水)曇
いよいよ暑くなって夏らしくなって来る。路を歩いていてもひっきりなしに汗が出る。
本日は天長節、学校で式典あり。式後、川辺と一緒に街へ出る。元気そうに見えた。元気そうに振るまっていたのかな。
夜、川村先生に注射して貰う。看護婦より上手。
半田先生十時半の列車で発たれる。皆哈爾浜駅まで送る。
三十日(木)晴 暖
学校から帰って見ると二年生委員が寮の委員は無能だと言っているのを聞いて来て大いに憤慨していた。この晩は米井(徳太郎・14期)先生を中心に二年生委員とも如何にするか協議し合う。
注1:東シベリヤ南部の都市
注2:シベリア西部に位置するロシア連邦の都市
注3:ロシア極東に位置し 日本海オホツク海に面する都市
小谷(保・のち玉置)先生の新任式あり。法律学教授。バサッ(ボサッではない)とした感じ。学究的でない感じ、併しこれは当てにならない。つまり大陸的、満州的な感じ。案外将来の大物的感触がある。
十七日(金)晴 暖
朝から春日と街へ出る。名古屋グリルに行く。定価表を見て高かったので丸商へ行き、かつどんとそばを食って哈爾潰会館へ入る。
〝風の又三郎″俺は断然又三郎になった子供が気に入った。春日は風見章子に気があるらしい。 〝海の見える家″小豆島を想って見たが、つまらない。
会館を出て中央飯店で夕食、金がないのでビールも飲まないで帰る。
十八日(土)晴
〝束京空襲さる″とのニュースあり。大いに驚く。何も言わずに海軍の活躍を待つ。名古屋、神戸も同様に襲撃されたと。
十九日(日)晴 蒙古風激し
朝からひどい蒙古風が吹き、目も明けていられない。口はザラザラだ。脚が痛かったのに柔道の練習したので、学校から寮への途中脚がおかしくなり三度転ぶ。夕食の弁当も二人で別けて食べた。
ひどい日だったが、プヘットで飲んだモロコーの味は大したもんだ。
川村先生宅へ寄る。ウドンを御馳走になる。寮に帰って話し合った。あれ先生宅の夕食を皆食ってしまったんではないか、年の一番上の奴があやまりに行けと云ったが、どうなったか。
二十日(月)晴 暖
川辺が赤十字病院に再び行く。帰ると痛そうにして寝ていた。
二十四日(金)晴 暖
すっかり春らしくなった暖い天候である。こうなるともう気持が抑えられない。二時間目からさぼって街に出る。
平安座に入り〝暖流″を見る。水際の砂浜でボロボロ涙を流して泣く高峰三枝子の姿は感動的であった。他に文化映画〝銀杏″、日本ニュース第九十六報。
夜、自習室で寮のコンパあり。百芸続出、十一時過ぎまで続く。
二十五日(土)雨 暖
靖国神社の臨時大祭。天皇陛下親しく英霊に御親拝あらせられる午前十時十五分を期して講堂で式典を行う。
其の後、半田(清春)先生と別離の記念写真をとり、次いで食堂で送別会を行う。皆、感概を込めて先生を送る。先生は学院生に対して、学院生は内地の学生に比べ次の五ケ条だけ余計に頑張ってもらわねばならないと離別の言葉を残された。
一、ロシヤ語を良くすること。
二、ロシヤ、ソ聯の事情に良く通じること
三、ソ聯、ロシヤの歴史、経済、法律、社会を良く理解すること。
四、右の事を実地に生かす手腕を有すること。
諸君にはチタ《注1》か、トムスク《注2》か、又はハバロフスク《注3》か何処かで再び相会おう。私は日本の北方国策に身命を賭けている、と。
午後、北方亜細亜研究会第三回例会で白井(長助)先生の御話あり。
寮へ帰る。一人で歩く。小雨がシトシトと降っていた。楽しい夢は自分の胸の中にだけある。
夜、一年生が学院の改革とか何とかと云う問題を提起して来て夜中の一時半頃まで論議し合った。
二十六日(日)雨 暖
朝は降っていなかったのが十時頃から猛烈な雨となる。今年は雨年らしい。
哈鉄厚生会館で国立大学のリーグ戦の武道大会あり。一般の部もあった。
学院
吉田(工大) × 内股 ○ 木山(学院)
猶井(工大) △ 足払 × 馬場(学院)
× 大場(学院)
向井(工大) × 裏逆 ○ 芝(学院)
塚野(工大) × ○ 平井(学院)
江島(工大) × 上四方 ○ 長戸(学院)
河野(工大) × 体落 ○ 福永(学院)
今村(工大) ○ 脊負ヒ ○ 和田(学院)
肥後(工大) × 左大外刈○ 川口(学院)
1 対 7.5
柔道は医大が棄権。学院と工大のみ。
剣道も医大、工大を破って優勝する。
川辺は病気が悪くて寝ている。
二十九日(水)曇
いよいよ暑くなって夏らしくなって来る。路を歩いていてもひっきりなしに汗が出る。
本日は天長節、学校で式典あり。式後、川辺と一緒に街へ出る。元気そうに見えた。元気そうに振るまっていたのかな。
夜、川村先生に注射して貰う。看護婦より上手。
半田先生十時半の列車で発たれる。皆哈爾浜駅まで送る。
三十日(木)晴 暖
学校から帰って見ると二年生委員が寮の委員は無能だと言っているのを聞いて来て大いに憤慨していた。この晩は米井(徳太郎・14期)先生を中心に二年生委員とも如何にするか協議し合う。
注1:東シベリヤ南部の都市
注2:シベリア西部に位置するロシア連邦の都市
注3:ロシア極東に位置し 日本海オホツク海に面する都市
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あんみつ姫
あんみつ姫
居住地: メロウ倶楽部
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昭和十七(康徳九)年五月
二日(土)晴 暖
「訪日宣詔紀念日」式典をさぼって、一日中寝る。痛くて脚、腰立たず。
今日一日の成果は「ハーモニカ」を吹く事を覚えたのと、さぼることの快味である。
夕方、伊藤から寮に来ているから来るように連絡があった。行くと二年生(二十二期)の木山(勇)と前田がいた。柔道部のことを種々聞かされる。彼はマネージャーだ。人一倍苦しんでいる。
後、「池田」へ行き「ぜんざい」。「しまや」で生菓子。寒い風に吹かれながらプラプラ帰る。
三日(日)雨 寒し
朝早く起き、登校。朝食後、雨がバシャバシャ降る中を斜紋五堂街の経偉国民学校へ行く。武道大会あり。柔道、剣道とも優勝す。
試合後、一年生と共にモストワヤに出る。支那飯店で焼包子、松美屋でゼンザイ、各一人二杯宛。「池田」でビール。一年生の楽しそうな顔を眺めていると幸福感にひたる。
「包子」一個三銭、二四〇個、計七円二十銭、税金七十二銭、総計七円九十二銭。
「ゼンザイ」九人一人当二杯、一杯二十五銭、計四円五十銭、税金四十五銭、総計四円九十五銭。
「ビール代」四円、金がなくなり、二年生の津田から一円借りて払う。
寮で「ベルの問題」があり、寮の旧体制は精算されなければならないと云う。ベルを合図に一斉行動するのではなく、各人の自覚に基いて行動しろ、もっと自由にさせろ、と云うのが新体制である。
朝の起床はどうするのだ。夜の就寝はどうするのだ。寮生活は団体生活なんだ。
四日(月)晴 寒し
今日から初めて朝食が食べられるようになる。未だ充分整備されておらず乱雑である。
寮で勤労奉仕あり。北寮の農場を拡張する大工事(?)が未だ三分の一も完成していないためである。北寮は風呂も大きく清冽な水が豊富である。
岡崎(赫生)(1)が良く委員室に来て学院改革の理想を語っていった。大言壮語の趣はあるが、態度は真筆である。大いに後援する価値はあるのではないか。
五日(火)晴 暖
面白くない授業ばかりが続く。「財政」が休講になると代りに教練などやらされてはかなはない。併し銃の手入れのみ、十分位で終り、後は自由。
寮の敷地の拡張工事も終り、広い土地が出来る。見ておれ今に大農園にして見せる。
翻訳を届けにハルビン書房へ行く途中、社主の原さんに会う。暫時話をして別れる。
夜、カルシュウムの注射をして貰う。この注射をすると、鼻、口、肛門等体中の穴から温かい空気が出たような感じで、頭がスーとする。後、蒙古人に蒙古語を教わる。
六日(水)晴 暖
柔道場の畳の修繕をしているので練習なし。
教練の時、あまり天候が良いのでついうとうとする。空には隣りの関東軍の航空隊が一時間あまりも、宙返り、横転、模すべり等を繰返している。教官日く「近頃の戦いは若い者だね」と。
昼から少し勤労奉仕をする。少しなら面白くやれる。
寮の風呂に初めて入る。浴後気持が良いのにまかせて散歩を楽しむ。「問題の女」(2)の家が解る。
一年生、赤堀信明の謹慎を、川辺と二人で行き何とか解いて貰う。うんと説教して放つ。
七日(木)晴 暖
万年筆を失う。又失費。
午後、一年生は農場の勤労奉仕。良く働くもんだ。(良く働かされるもんだ)。
一年生の室園と「オリエント」へ愛染かつらを見に行く二回目。
寮のおばさんに土産に柏餅を買って来たら、「ケーキ」が返って来た。かなわない。
柔道山部の問題。伊藤鎭が出して来た問題について一悶着起る。私は本当にどうして良いか解らない。
八日(金)雨 暖
夕方少しく雨が降り、濡れる。
どうも、昨日の問題が頭にこびりついていて離れず、一日ボーとして過ごす。
体育週間が始まる。柔道場で試合あり。一年甲組が優勝する。その御祝に「カブトスンジュ」(3)を一袋づつ贈る。
七時のニュースで日本軍大勝利の報あり。即ち、ニューギニア方面に作戦中の帝国海軍部隊は珊瑚海に於て米英連合艦隊を捕捉撃滅せり。その戦果次の如し。
米国、航空母艦撃沈二隻、(サラトガ、ヨークタウン)。戦闘艦、撃沈、一隻、(カリフォルニヤ型)。
英国、戦闘艦大破一隻、(ロッペーリ型)、甲巡大破一隻、(キャンベラ型)。
目下、残敵追撃中なり。更にマンダレー攻略の帝国陸軍部隊は北方への進撃を続け、遂にビルマ、雲南省国境を突破せり、と。 鳴呼!! 偉大なるかな!!
九日(土)晴 暖
三時限、四時限の教練の時間に新寮に植樹に行く。
午後、ラグビーの試合あり。一年甲組対三年甲組で延長戦までやった結果、三年甲組は負けた。一年生は元気が良いよ。
伊藤鎭に映画に誘われたが、拒わって青木(鮮系)と寮に帰る。
福永と馬場が来る。例の話になったが、駄目と云う結論になった。現在の寮生活を維持する限り、現状で行く外はない。
夜、遅くまで眠られぬ。
黒上(光男、22期)に「三年生は駄目だ」と言われてカッとなって、一言、二言、噛みついたが、思い直して直ぐ止めた。情けないことだ。何故下級生に面と向って言われなければならないのか。
十日(日)晴 暖
昨日、伊藤鎭に言われた通り、一年生を集めて柔道の練習があるから朝から行くように言ったのに、学校の道場には五人位しか集っていない。二年生、三年生も僅少。
伊藤に言った。「いくら言っても集らないのなら、俺はもうその価値がないから、寮の委員も、柔道部も止めてしまうか」と。伊藤もすっかり気が滅入ってしまったのか、頭が痛いと言って帰ってしまった。
北方亜細亜研究会の事で白井長助先生の宅に伺った。
帰途、伊藤の所に寄ると寝ていた。話そうと思った事も話さず寮に帰った。
一年生の帰寮した者があまりに少いので、夕食が沢山残っていた。
-注-
(1)岡崎はクラス会にも現れないのを見ると、未だ健康が完全に回復してないようだ。長い闘病生活に耐えられるのも、一見淋しさを感じさせるような繊細な風貌にも似ず、強靭な精神のたまものだろう。
昭和十八年十一月の末、遼陽の第三〇三部隊(輜重隊)に入隊した時、彼は体が悪く即日帰郷だった。兵営の廊下で顔を合せた時、「帰るのか」と言うと「うん、帰る」と言って別れたが、まさか兵営の中で「そりゃ良かった。万歳!」と言う勇気もなかった。その後一度和歌山の彼の事務所を訪ねたが、会えなかった。
(2)二年生で寮の委員をしていたKが北寮の西の団地に住む女学生と大恋愛?をして、夕方など寮の北の野原の凹地で毎日のようにデートしていると評判が立った。事実であった。意見は完全に割れた。恋愛は個人の自由だから干渉するなという自由恋愛支持派と、恋愛は個人の自由であるにしても、大勢の同僚学生の目の前で堂々と行うのは秩序を乱す。少しは慎むべきであるというやっかみ半分の干渉派と二派に分かれた。
結局、大っぴらにやってくれるなと言ふことになり、その役は川辺がした。Kも女学生も態度が堂々として立派だった。その後どんなになったか記憶にない。
(3)何のことか全然意味が解らないが、そのまま残した。
二日(土)晴 暖
「訪日宣詔紀念日」式典をさぼって、一日中寝る。痛くて脚、腰立たず。
今日一日の成果は「ハーモニカ」を吹く事を覚えたのと、さぼることの快味である。
夕方、伊藤から寮に来ているから来るように連絡があった。行くと二年生(二十二期)の木山(勇)と前田がいた。柔道部のことを種々聞かされる。彼はマネージャーだ。人一倍苦しんでいる。
後、「池田」へ行き「ぜんざい」。「しまや」で生菓子。寒い風に吹かれながらプラプラ帰る。
三日(日)雨 寒し
朝早く起き、登校。朝食後、雨がバシャバシャ降る中を斜紋五堂街の経偉国民学校へ行く。武道大会あり。柔道、剣道とも優勝す。
試合後、一年生と共にモストワヤに出る。支那飯店で焼包子、松美屋でゼンザイ、各一人二杯宛。「池田」でビール。一年生の楽しそうな顔を眺めていると幸福感にひたる。
「包子」一個三銭、二四〇個、計七円二十銭、税金七十二銭、総計七円九十二銭。
「ゼンザイ」九人一人当二杯、一杯二十五銭、計四円五十銭、税金四十五銭、総計四円九十五銭。
「ビール代」四円、金がなくなり、二年生の津田から一円借りて払う。
寮で「ベルの問題」があり、寮の旧体制は精算されなければならないと云う。ベルを合図に一斉行動するのではなく、各人の自覚に基いて行動しろ、もっと自由にさせろ、と云うのが新体制である。
朝の起床はどうするのだ。夜の就寝はどうするのだ。寮生活は団体生活なんだ。
四日(月)晴 寒し
今日から初めて朝食が食べられるようになる。未だ充分整備されておらず乱雑である。
寮で勤労奉仕あり。北寮の農場を拡張する大工事(?)が未だ三分の一も完成していないためである。北寮は風呂も大きく清冽な水が豊富である。
岡崎(赫生)(1)が良く委員室に来て学院改革の理想を語っていった。大言壮語の趣はあるが、態度は真筆である。大いに後援する価値はあるのではないか。
五日(火)晴 暖
面白くない授業ばかりが続く。「財政」が休講になると代りに教練などやらされてはかなはない。併し銃の手入れのみ、十分位で終り、後は自由。
寮の敷地の拡張工事も終り、広い土地が出来る。見ておれ今に大農園にして見せる。
翻訳を届けにハルビン書房へ行く途中、社主の原さんに会う。暫時話をして別れる。
夜、カルシュウムの注射をして貰う。この注射をすると、鼻、口、肛門等体中の穴から温かい空気が出たような感じで、頭がスーとする。後、蒙古人に蒙古語を教わる。
六日(水)晴 暖
柔道場の畳の修繕をしているので練習なし。
教練の時、あまり天候が良いのでついうとうとする。空には隣りの関東軍の航空隊が一時間あまりも、宙返り、横転、模すべり等を繰返している。教官日く「近頃の戦いは若い者だね」と。
昼から少し勤労奉仕をする。少しなら面白くやれる。
寮の風呂に初めて入る。浴後気持が良いのにまかせて散歩を楽しむ。「問題の女」(2)の家が解る。
一年生、赤堀信明の謹慎を、川辺と二人で行き何とか解いて貰う。うんと説教して放つ。
七日(木)晴 暖
万年筆を失う。又失費。
午後、一年生は農場の勤労奉仕。良く働くもんだ。(良く働かされるもんだ)。
一年生の室園と「オリエント」へ愛染かつらを見に行く二回目。
寮のおばさんに土産に柏餅を買って来たら、「ケーキ」が返って来た。かなわない。
柔道山部の問題。伊藤鎭が出して来た問題について一悶着起る。私は本当にどうして良いか解らない。
八日(金)雨 暖
夕方少しく雨が降り、濡れる。
どうも、昨日の問題が頭にこびりついていて離れず、一日ボーとして過ごす。
体育週間が始まる。柔道場で試合あり。一年甲組が優勝する。その御祝に「カブトスンジュ」(3)を一袋づつ贈る。
七時のニュースで日本軍大勝利の報あり。即ち、ニューギニア方面に作戦中の帝国海軍部隊は珊瑚海に於て米英連合艦隊を捕捉撃滅せり。その戦果次の如し。
米国、航空母艦撃沈二隻、(サラトガ、ヨークタウン)。戦闘艦、撃沈、一隻、(カリフォルニヤ型)。
英国、戦闘艦大破一隻、(ロッペーリ型)、甲巡大破一隻、(キャンベラ型)。
目下、残敵追撃中なり。更にマンダレー攻略の帝国陸軍部隊は北方への進撃を続け、遂にビルマ、雲南省国境を突破せり、と。 鳴呼!! 偉大なるかな!!
九日(土)晴 暖
三時限、四時限の教練の時間に新寮に植樹に行く。
午後、ラグビーの試合あり。一年甲組対三年甲組で延長戦までやった結果、三年甲組は負けた。一年生は元気が良いよ。
伊藤鎭に映画に誘われたが、拒わって青木(鮮系)と寮に帰る。
福永と馬場が来る。例の話になったが、駄目と云う結論になった。現在の寮生活を維持する限り、現状で行く外はない。
夜、遅くまで眠られぬ。
黒上(光男、22期)に「三年生は駄目だ」と言われてカッとなって、一言、二言、噛みついたが、思い直して直ぐ止めた。情けないことだ。何故下級生に面と向って言われなければならないのか。
十日(日)晴 暖
昨日、伊藤鎭に言われた通り、一年生を集めて柔道の練習があるから朝から行くように言ったのに、学校の道場には五人位しか集っていない。二年生、三年生も僅少。
伊藤に言った。「いくら言っても集らないのなら、俺はもうその価値がないから、寮の委員も、柔道部も止めてしまうか」と。伊藤もすっかり気が滅入ってしまったのか、頭が痛いと言って帰ってしまった。
北方亜細亜研究会の事で白井長助先生の宅に伺った。
帰途、伊藤の所に寄ると寝ていた。話そうと思った事も話さず寮に帰った。
一年生の帰寮した者があまりに少いので、夕食が沢山残っていた。
-注-
(1)岡崎はクラス会にも現れないのを見ると、未だ健康が完全に回復してないようだ。長い闘病生活に耐えられるのも、一見淋しさを感じさせるような繊細な風貌にも似ず、強靭な精神のたまものだろう。
昭和十八年十一月の末、遼陽の第三〇三部隊(輜重隊)に入隊した時、彼は体が悪く即日帰郷だった。兵営の廊下で顔を合せた時、「帰るのか」と言うと「うん、帰る」と言って別れたが、まさか兵営の中で「そりゃ良かった。万歳!」と言う勇気もなかった。その後一度和歌山の彼の事務所を訪ねたが、会えなかった。
(2)二年生で寮の委員をしていたKが北寮の西の団地に住む女学生と大恋愛?をして、夕方など寮の北の野原の凹地で毎日のようにデートしていると評判が立った。事実であった。意見は完全に割れた。恋愛は個人の自由だから干渉するなという自由恋愛支持派と、恋愛は個人の自由であるにしても、大勢の同僚学生の目の前で堂々と行うのは秩序を乱す。少しは慎むべきであるというやっかみ半分の干渉派と二派に分かれた。
結局、大っぴらにやってくれるなと言ふことになり、その役は川辺がした。Kも女学生も態度が堂々として立派だった。その後どんなになったか記憶にない。
(3)何のことか全然意味が解らないが、そのまま残した。
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あんみつ姫
あんみつ姫
居住地: メロウ倶楽部
投稿数: 485
十一日(月)雨 涼し
10期の先輩、小川氏(11期の小川亮作氏か)来院。「アフガニスタンと英露」と題して時局講演があった。面白くなし。途中で出る。
晩十二時過まで山本(雄吉、22期)と映画論。毎日、不愉快な気分で寝る。
十二日(火)雨 寒
朝から風が吹き、雨が降り、寒くて思わずブルっとした。あまり寒いので尻の穴の周りまでビリビリする。冷えたな。
帰りに伊藤と「池田」へ行く。福永が芝(正春、23期)と一緒にいた。
柔道部に於て、三年生が個人的感情でBを排斥していると、二年生が誤解しているのを知って、驚くと同時に真実を語り、その事を理解して貰った。
十三日(水)晴 暖
教練の時間に、現地で実地に小哨の配備の図を書かせて提出させられた。小哨長教育か。天候、おだやかにして暖かく、眠りたくなる様に楽しかった。
十四日(木)晴 暖
竹内教授、「ソ連経政機構」の時間に試験あり。教材持込自由の試験だが、忘れて来て何も持っていなかったので逃げた。
夜、蒙克と「しまや」で一杯。
十五日(金)晴 暖
三年生は入寮のことにつき、先生から御注意があった。
染谷先生の露語の試験あり。何の事かさっぱり解らない。出来ない答案を出すのが何時の間にやら得意になっている。試験が十三日から始まると毎日全く驚木、桃の木である。
一年生がカンカン帽を貨って喜ぶような様子をしている。国立大学の威厳はあるかもしれないが、哈爾浜学院の威厳はない。
川村先生日曜日まで新京へ出張せられる。
十六日(土)晴 曖
午前中、建国十周年の英霊を祭る式典あり。風邪がきつく、福永と二人出なかった。夕方、新寮へブラブラ散歩。案外、部屋は感じが良かった。
十七日(日)快晴 暖
全くの快晴、惜しいような天候。
柔道部のコンパの為、一年生を送り出し、午前中大掃除をする。神代(忠信、23期)、室園(同)、山根(政治、同)は残ったが、他の者は皆行った。青木(鮮系)とプヘットで昼食。
午後、米内先生の南寮への移転を御手伝いする。先生からレインコート一着いただく。
最近、川辺が変な気持になって困る。俺まで変になりそうだ。
十八日(月)晴後曇 暖
今年になって、朝礼を初めて戸外でする。例の院長先生の馬鹿話あり。
柔道の練習に特習科のオッサンが来るようになる。 川辺が全く休んでしまうようになった。
十九日(火)晴 暖
中台先生のお宅にお芽出度があったそうだ。
二十日(水)晴
三年生が新寮(南寮)に移転する。寮の小母さんの人生論(世間話)を聞く。
二十一日(木)晴
午後、入院中の津田栄(22期、柔道部)を蜜柑を持って見舞う。福永、馬場と会う。
二十二日(金)晴
道場開き面白くない。伊藤(鎭)が怒る。つとに反感がつのる。
米内先生が病院で寝ている。悲しいことが多い。
二十三日(土)晴 暖
朝から老山頭に行く。楽しい一日の行程であった。老山頭《注1》は期待外れだったが、スンガリーで船遊びが出来た。兎に角私は水があるので嬉しかった。写真も沢山とった。宝探しもした。ポトスタービナ先生が特に嬉しそうにしていたのが、印象的だった。
二十四日(日)晴 暖
朝から蒙古風が烈しく吹く。一年生を起し柔道の練習に行くが、人数集らず中止する。
帰って寝る。寮の小母さん、心配かけてすみません。
室園と一緒に、極楽寺、露人墓地をめぐる。気分が悪くなり、一時寮の休養室で、重病人となって寝る。
二十六日(火)晴 暖
三年生全員兵営宿泊に向う。馬鹿になって三日間暮らした。生意気なл ес(森か?)Широкий?《露語=広い》も馬鹿だ。単に Cаⅹар《露語=砂糖》 третий《露語=第三の》(佐藤か?)のみ人らしく思えた。毎日、教練、昼も夜も、それは貴重な体験だった。如何にして生きるか、理由を抜きにして生きて行く所に軍隊らしい所がある。本当に真剣な三日間を送った。
軍隊宿泊の終った日は日満会館で充分、楽しく慰労した。
二十九日(金)晴 愉快
朝から寝る。昼から病院に行く。後柔道練習。後、神代(忠信、23期)と「池田」へ行く。蜜豆がうまかった。夜、農園の盗賊を捕らえに行く。ロスケ《-》注1しい。皆あわてるな。
三十日(土)晴 寒
忠霊塔で春季大祭に伴う柔道大会あり。初段三名打ち取る。
夕方、一年生数名と共に植物園へ行き、樅の木等九本取って帰る。寮の庭に植えるためである。夜、決死隊を組織して植物園を襲う計画をしていたが、之はより夜襲は取り止める。隊長として之に過ぎたることなし。
三十一日(日)晴、雨 寒
朝から寒い天候だった。
北方亜細亜研究会あり。会後、白井先生と学校の事、種々話し合う。院長を叩き出せ。
かねて入院中の津田栄、腹膜炎を併発、どうなるのか心配でたまらぬ。好漢失いたくない。
注1:黒龍江省南西部にある地域
注2:ロシア人を軽蔑していう
10期の先輩、小川氏(11期の小川亮作氏か)来院。「アフガニスタンと英露」と題して時局講演があった。面白くなし。途中で出る。
晩十二時過まで山本(雄吉、22期)と映画論。毎日、不愉快な気分で寝る。
十二日(火)雨 寒
朝から風が吹き、雨が降り、寒くて思わずブルっとした。あまり寒いので尻の穴の周りまでビリビリする。冷えたな。
帰りに伊藤と「池田」へ行く。福永が芝(正春、23期)と一緒にいた。
柔道部に於て、三年生が個人的感情でBを排斥していると、二年生が誤解しているのを知って、驚くと同時に真実を語り、その事を理解して貰った。
十三日(水)晴 暖
教練の時間に、現地で実地に小哨の配備の図を書かせて提出させられた。小哨長教育か。天候、おだやかにして暖かく、眠りたくなる様に楽しかった。
十四日(木)晴 暖
竹内教授、「ソ連経政機構」の時間に試験あり。教材持込自由の試験だが、忘れて来て何も持っていなかったので逃げた。
夜、蒙克と「しまや」で一杯。
十五日(金)晴 暖
三年生は入寮のことにつき、先生から御注意があった。
染谷先生の露語の試験あり。何の事かさっぱり解らない。出来ない答案を出すのが何時の間にやら得意になっている。試験が十三日から始まると毎日全く驚木、桃の木である。
一年生がカンカン帽を貨って喜ぶような様子をしている。国立大学の威厳はあるかもしれないが、哈爾浜学院の威厳はない。
川村先生日曜日まで新京へ出張せられる。
十六日(土)晴 曖
午前中、建国十周年の英霊を祭る式典あり。風邪がきつく、福永と二人出なかった。夕方、新寮へブラブラ散歩。案外、部屋は感じが良かった。
十七日(日)快晴 暖
全くの快晴、惜しいような天候。
柔道部のコンパの為、一年生を送り出し、午前中大掃除をする。神代(忠信、23期)、室園(同)、山根(政治、同)は残ったが、他の者は皆行った。青木(鮮系)とプヘットで昼食。
午後、米内先生の南寮への移転を御手伝いする。先生からレインコート一着いただく。
最近、川辺が変な気持になって困る。俺まで変になりそうだ。
十八日(月)晴後曇 暖
今年になって、朝礼を初めて戸外でする。例の院長先生の馬鹿話あり。
柔道の練習に特習科のオッサンが来るようになる。 川辺が全く休んでしまうようになった。
十九日(火)晴 暖
中台先生のお宅にお芽出度があったそうだ。
二十日(水)晴
三年生が新寮(南寮)に移転する。寮の小母さんの人生論(世間話)を聞く。
二十一日(木)晴
午後、入院中の津田栄(22期、柔道部)を蜜柑を持って見舞う。福永、馬場と会う。
二十二日(金)晴
道場開き面白くない。伊藤(鎭)が怒る。つとに反感がつのる。
米内先生が病院で寝ている。悲しいことが多い。
二十三日(土)晴 暖
朝から老山頭に行く。楽しい一日の行程であった。老山頭《注1》は期待外れだったが、スンガリーで船遊びが出来た。兎に角私は水があるので嬉しかった。写真も沢山とった。宝探しもした。ポトスタービナ先生が特に嬉しそうにしていたのが、印象的だった。
二十四日(日)晴 暖
朝から蒙古風が烈しく吹く。一年生を起し柔道の練習に行くが、人数集らず中止する。
帰って寝る。寮の小母さん、心配かけてすみません。
室園と一緒に、極楽寺、露人墓地をめぐる。気分が悪くなり、一時寮の休養室で、重病人となって寝る。
二十六日(火)晴 暖
三年生全員兵営宿泊に向う。馬鹿になって三日間暮らした。生意気なл ес(森か?)Широкий?《露語=広い》も馬鹿だ。単に Cаⅹар《露語=砂糖》 третий《露語=第三の》(佐藤か?)のみ人らしく思えた。毎日、教練、昼も夜も、それは貴重な体験だった。如何にして生きるか、理由を抜きにして生きて行く所に軍隊らしい所がある。本当に真剣な三日間を送った。
軍隊宿泊の終った日は日満会館で充分、楽しく慰労した。
二十九日(金)晴 愉快
朝から寝る。昼から病院に行く。後柔道練習。後、神代(忠信、23期)と「池田」へ行く。蜜豆がうまかった。夜、農園の盗賊を捕らえに行く。ロスケ《-》注1しい。皆あわてるな。
三十日(土)晴 寒
忠霊塔で春季大祭に伴う柔道大会あり。初段三名打ち取る。
夕方、一年生数名と共に植物園へ行き、樅の木等九本取って帰る。寮の庭に植えるためである。夜、決死隊を組織して植物園を襲う計画をしていたが、之はより夜襲は取り止める。隊長として之に過ぎたることなし。
三十一日(日)晴、雨 寒
朝から寒い天候だった。
北方亜細亜研究会あり。会後、白井先生と学校の事、種々話し合う。院長を叩き出せ。
かねて入院中の津田栄、腹膜炎を併発、どうなるのか心配でたまらぬ。好漢失いたくない。
注1:黒龍江省南西部にある地域
注2:ロシア人を軽蔑していう
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あんみつ姫
あんみつ姫
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投稿数: 485
六月
五日(金)晴
もう勉強もする気もしない。蒙古旅行のことも決まる。後は出発だけ。
佐山先生の試験があったが、相変わらず出来は良くないだろう。恥かしくて柔道なんかしているのが馬鹿らしくなった。勉強したくなかった。
※この一日分しか見当たらない。このあと蒙古旅行に行った筈である。旅行のレポートを学校へ出した記憶があるから、その基礎の資料となったものがある筈である、日誌も何も見当たらない。木元と旅行に行った者が全員集まって記憶を呼び起こして語らい合えば全貌が解かるのではないかと話したこともあった。
七月
十七日に小豆島に帰省している。が、この月の分は、全て出てこない。
八月
九日(日)晴
午後五時半、草壁港発の「神懸丸」で高松へ渡る。駅でチッキを二個にして馬鹿を見た。-個は金三円取られる。
十一時、宇高連絡船に乗る。岡山発は夜中の一時頃。
十日(月)晴
普通列車は案の定おそかった。下関まで殆んど十二時間を要した。暑くて眠られず。
下関で映画館に入り時間をつぶす。夜、九時半。関釜連絡船出帆す。船内は蒸風呂のようで、じつとしていても、タラタラと汗が流れて処置なし。甲板に出て、トランク枕に一夜を過ごす。
十一日(火)晴
朝六時半、釜山着。直ちに、新京行特急「のぞみ」に乗り込む。
昨夜の不眠がたたっている上に、同席の朝鮮人の一家又不愉快。腹立ちまぎれに、食堂車で、一人飲み荒れた。一年生の伊藤が同列車だったので一緒に晝食をする。夜半、安東《注1》の税関まで不愉快極まる。
十二日(水)晴、夕方大雨
朝九時、奉天着。下車、奉天見学する。街へ出て少し歩くと「宴楽書館」と云う看板が見えた。本屋と思って寄る。様子が少し変だ。一階と二階があり、四角な中庭を部屋が並んでいる回廊がめぐっている。本もない。二階へ上り回廊を行くと部屋の中に女がいる。一回ぐるりと回って始めて気がついた。ピー《注2》だ。朝から人のいない筈だ。何と感じの悪い事よ。早々にして出る。それにしても書館とは粋な名前を付けたものよと感心する。
次は映画の「はしご」。最初は「大陸劇場」。建物はドッシリして良いが、映画が悪い「エノケンの水耕伝」。次は「銀座」(文化映画劇)。「逞しき草原」「草原バルガ」「娘々廟」。
銀座を出ると、偶然に、本当に偶然、青木(鮮系)と会う。ビアホールで一杯。彼は用事があると云って別れた。春日町をブラブラしていると日本から来たと云う「綴方使節団」がいた。此の街は日蓮坊主が多いのか、太鼓を叩いて行をしているのに良く会う。
駅で待っていると、大雨が騒然と降り出し外へ出られない。おかげで随分と涼しい。
夜、二十三時五十五分発の普通列車に乗る。幸いに空いてガラガラ。併し、前から少しずつ腹の内に入っていた土産のリンゴ、三個残して全部食べちゃった。母から食べるなよとくれぐれ云われていたものを。
十三日(木)晴
朝九時頃新京着。直ちに千早町の谷上氏宅に行く。晩には脚が痛い程、疲れていた。
十四日(金)晴
朝から「大東亜博覧会」を見学する。入場料十五銭。施設は半分位完成していたが、大したものはなかった。ただ「熱河館」だけは誰か専門の人に案内し説明して貰いたかった。随分と解らない事があった。帰途、三省堂に寄り「蒙古辞典」「全休主義十講」を買う。
駅に行く。小荷物来たらず。仕方なく帰る。晩、涼し過ぎて風邪を引く。
十五日(土)曇
街へ出たが、今日からペストの予防注射証明書なしでは何処へも入れない。百貨店も、映画館もおことわりだ。
トラックで白衣の防疫夫が裾を翻がえして飛び回っているのが不気味だ。
駅に行きチッキ《注3》を受け取り、夜の列車で哈爾浜へ発つ。
十六日(日)晴
午前九時頃、哈爾浜着。昨夜列車の中で、満人の看護婦さんと日本人の兵隊と同席、看護婦さんが顔も気性も男顔負け、面白く一夜をすごす。
寮に帰って見ると寮母の小母さんが居たのに驚いた。二十三期の岩下良一郎、早川文三の二人が居残っていた由。
晩、川村先生の宅に伺うと先生は頭を丸刈にしておられたのには驚いた。
十七日(月)晴
朝、七時起床、駄弁って無為にすごす。
晩、ブヘットからカツレツを買って来て、晩餐会を開く。腹一杯になった所でスンガリーへ出かける。川村先生御夫婦をお誘いして、先生、奥さん、寮母さん、成瀬、早川文三、岩下良一郎、米田正興、坂本市郎の八名で行く。ボート二台に分乗して夕方スンガーを漕ぐ。始めてなり。
帰り途二つのグループに別れる。川村先生御夫妻、私、坂本はマルスに入り?を食べる。奥さんと坂本が食べないのでアイスクリームを頼んだので先生と私は二人前あたった。明日のスンガリー行を約して帰って寝る。寮の道場に変な夫婦ものが宿っている。武内先生変な人を泊めている。
注1:慶尚北道北部に位置する都市
注2:鉄道による手荷物輸送
注3:売春婦
五日(金)晴
もう勉強もする気もしない。蒙古旅行のことも決まる。後は出発だけ。
佐山先生の試験があったが、相変わらず出来は良くないだろう。恥かしくて柔道なんかしているのが馬鹿らしくなった。勉強したくなかった。
※この一日分しか見当たらない。このあと蒙古旅行に行った筈である。旅行のレポートを学校へ出した記憶があるから、その基礎の資料となったものがある筈である、日誌も何も見当たらない。木元と旅行に行った者が全員集まって記憶を呼び起こして語らい合えば全貌が解かるのではないかと話したこともあった。
七月
十七日に小豆島に帰省している。が、この月の分は、全て出てこない。
八月
九日(日)晴
午後五時半、草壁港発の「神懸丸」で高松へ渡る。駅でチッキを二個にして馬鹿を見た。-個は金三円取られる。
十一時、宇高連絡船に乗る。岡山発は夜中の一時頃。
十日(月)晴
普通列車は案の定おそかった。下関まで殆んど十二時間を要した。暑くて眠られず。
下関で映画館に入り時間をつぶす。夜、九時半。関釜連絡船出帆す。船内は蒸風呂のようで、じつとしていても、タラタラと汗が流れて処置なし。甲板に出て、トランク枕に一夜を過ごす。
十一日(火)晴
朝六時半、釜山着。直ちに、新京行特急「のぞみ」に乗り込む。
昨夜の不眠がたたっている上に、同席の朝鮮人の一家又不愉快。腹立ちまぎれに、食堂車で、一人飲み荒れた。一年生の伊藤が同列車だったので一緒に晝食をする。夜半、安東《注1》の税関まで不愉快極まる。
十二日(水)晴、夕方大雨
朝九時、奉天着。下車、奉天見学する。街へ出て少し歩くと「宴楽書館」と云う看板が見えた。本屋と思って寄る。様子が少し変だ。一階と二階があり、四角な中庭を部屋が並んでいる回廊がめぐっている。本もない。二階へ上り回廊を行くと部屋の中に女がいる。一回ぐるりと回って始めて気がついた。ピー《注2》だ。朝から人のいない筈だ。何と感じの悪い事よ。早々にして出る。それにしても書館とは粋な名前を付けたものよと感心する。
次は映画の「はしご」。最初は「大陸劇場」。建物はドッシリして良いが、映画が悪い「エノケンの水耕伝」。次は「銀座」(文化映画劇)。「逞しき草原」「草原バルガ」「娘々廟」。
銀座を出ると、偶然に、本当に偶然、青木(鮮系)と会う。ビアホールで一杯。彼は用事があると云って別れた。春日町をブラブラしていると日本から来たと云う「綴方使節団」がいた。此の街は日蓮坊主が多いのか、太鼓を叩いて行をしているのに良く会う。
駅で待っていると、大雨が騒然と降り出し外へ出られない。おかげで随分と涼しい。
夜、二十三時五十五分発の普通列車に乗る。幸いに空いてガラガラ。併し、前から少しずつ腹の内に入っていた土産のリンゴ、三個残して全部食べちゃった。母から食べるなよとくれぐれ云われていたものを。
十三日(木)晴
朝九時頃新京着。直ちに千早町の谷上氏宅に行く。晩には脚が痛い程、疲れていた。
十四日(金)晴
朝から「大東亜博覧会」を見学する。入場料十五銭。施設は半分位完成していたが、大したものはなかった。ただ「熱河館」だけは誰か専門の人に案内し説明して貰いたかった。随分と解らない事があった。帰途、三省堂に寄り「蒙古辞典」「全休主義十講」を買う。
駅に行く。小荷物来たらず。仕方なく帰る。晩、涼し過ぎて風邪を引く。
十五日(土)曇
街へ出たが、今日からペストの予防注射証明書なしでは何処へも入れない。百貨店も、映画館もおことわりだ。
トラックで白衣の防疫夫が裾を翻がえして飛び回っているのが不気味だ。
駅に行きチッキ《注3》を受け取り、夜の列車で哈爾浜へ発つ。
十六日(日)晴
午前九時頃、哈爾浜着。昨夜列車の中で、満人の看護婦さんと日本人の兵隊と同席、看護婦さんが顔も気性も男顔負け、面白く一夜をすごす。
寮に帰って見ると寮母の小母さんが居たのに驚いた。二十三期の岩下良一郎、早川文三の二人が居残っていた由。
晩、川村先生の宅に伺うと先生は頭を丸刈にしておられたのには驚いた。
十七日(月)晴
朝、七時起床、駄弁って無為にすごす。
晩、ブヘットからカツレツを買って来て、晩餐会を開く。腹一杯になった所でスンガリーへ出かける。川村先生御夫婦をお誘いして、先生、奥さん、寮母さん、成瀬、早川文三、岩下良一郎、米田正興、坂本市郎の八名で行く。ボート二台に分乗して夕方スンガーを漕ぐ。始めてなり。
帰り途二つのグループに別れる。川村先生御夫妻、私、坂本はマルスに入り?を食べる。奥さんと坂本が食べないのでアイスクリームを頼んだので先生と私は二人前あたった。明日のスンガリー行を約して帰って寝る。寮の道場に変な夫婦ものが宿っている。武内先生変な人を泊めている。
注1:慶尚北道北部に位置する都市
注2:鉄道による手荷物輸送
注3:売春婦
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あんみつ姫
あんみつ姫
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投稿数: 485
昭和十七(康徳九)年八月
十八日(火)より二十四日(月)まで
此の問良く遊んだ。本は一切読みたくないし、淋しくなると酒を飲んだ。22期の川口(利雄)が帰って来ると、大ハルビン、黒猫と飲み回ったが、最後に残るものはやるせない淋しさだけだった。
二十一日(金)に始業式があった。手塚院長先生は御母堂が逝去せられ内地へ御帰りになられた由、月末には帰哈されるとの事であった。又始業式は徳重先生が代って執り行われた。一学期の成績は一般的に非常に悪く、落第すべき者が二割から三割あるとの事である。
二年生の北寮への移転の件も全く静かになり、院長先生御帰還までお預けの形となった。川口と長戸(俊郎)は早く移りたい様子であった。
北寮では朝、乾布摩擦をやる事にする。今朝などは特に寒くてブルブル震えていた。
二十五日(火)晴 寒
川辺が日本から帰って来た(1)漸く安心だ。案外元気そうに思えた。晩、寺門寿(22期)が遂に亡くなった。肺結核で市立病院に入院してから四ケ月、遂に逝ってしまった。去年の冬十四号室で三人居た頃のことを偲び感無量である。
併し御兄弟にも会われ、はるばる日本から来られた御父上に抱かれて逝けば本望と思わざるを得ない。御父上も之は運命でどうしようもないと言っておられた。
市立病院からの帰途、月は煌々と白く原野を照らし、その死を悼んでいた。
二十六日(水)晴
川辺に寮を去ることを話す。何と云って良いか、複雑な気持で一杯だ。
寺門の告別式が哈爾浜寺である。
寮母さん西瓜を買って来る。アット云う問になくなる。買って来た当人の口に入らず。
二十七日(木)晴
川村先生に寮を出ることを御願いして許しを頂く。皆に済まず、本意なきも致し方なし。この事寮母さんにも話す。
点呼の後、ブフェットに行き有金全部はたいてしまう。総勢十五人。いい気持になって全員して寮の前の畑を襲う。収穫は、葱と南瓜。西瓜、甜瓜(マクワウリ)はいくら探しても見当たらず。諦めて引上げる。
二十八日(金)晴
朝点呼に出ていたのが、芝、山根、日下の三人だった。大場は二日続けて飲んで帰り、夜の点呼に遅れる。
二十九日(土)晴
夜、川辺が自分も南寮へ行くと言い出す。身体の事だけではないだろう。
青木とブフェットへ行き、ウオツカをまともに流し込む。更に聚楽、池田と二軒回る。川村先生と御話ししょうと酔って帰ったのに先生が来られないのでがっかり。
三十日(日)晴
起床七時。太陽島ヘビクニックあり。
注(1)
八月二十五日 川辺帰寮。
(成瀬孫仁日記(七)につづく)
十八日(火)より二十四日(月)まで
此の問良く遊んだ。本は一切読みたくないし、淋しくなると酒を飲んだ。22期の川口(利雄)が帰って来ると、大ハルビン、黒猫と飲み回ったが、最後に残るものはやるせない淋しさだけだった。
二十一日(金)に始業式があった。手塚院長先生は御母堂が逝去せられ内地へ御帰りになられた由、月末には帰哈されるとの事であった。又始業式は徳重先生が代って執り行われた。一学期の成績は一般的に非常に悪く、落第すべき者が二割から三割あるとの事である。
二年生の北寮への移転の件も全く静かになり、院長先生御帰還までお預けの形となった。川口と長戸(俊郎)は早く移りたい様子であった。
北寮では朝、乾布摩擦をやる事にする。今朝などは特に寒くてブルブル震えていた。
二十五日(火)晴 寒
川辺が日本から帰って来た(1)漸く安心だ。案外元気そうに思えた。晩、寺門寿(22期)が遂に亡くなった。肺結核で市立病院に入院してから四ケ月、遂に逝ってしまった。去年の冬十四号室で三人居た頃のことを偲び感無量である。
併し御兄弟にも会われ、はるばる日本から来られた御父上に抱かれて逝けば本望と思わざるを得ない。御父上も之は運命でどうしようもないと言っておられた。
市立病院からの帰途、月は煌々と白く原野を照らし、その死を悼んでいた。
二十六日(水)晴
川辺に寮を去ることを話す。何と云って良いか、複雑な気持で一杯だ。
寺門の告別式が哈爾浜寺である。
寮母さん西瓜を買って来る。アット云う問になくなる。買って来た当人の口に入らず。
二十七日(木)晴
川村先生に寮を出ることを御願いして許しを頂く。皆に済まず、本意なきも致し方なし。この事寮母さんにも話す。
点呼の後、ブフェットに行き有金全部はたいてしまう。総勢十五人。いい気持になって全員して寮の前の畑を襲う。収穫は、葱と南瓜。西瓜、甜瓜(マクワウリ)はいくら探しても見当たらず。諦めて引上げる。
二十八日(金)晴
朝点呼に出ていたのが、芝、山根、日下の三人だった。大場は二日続けて飲んで帰り、夜の点呼に遅れる。
二十九日(土)晴
夜、川辺が自分も南寮へ行くと言い出す。身体の事だけではないだろう。
青木とブフェットへ行き、ウオツカをまともに流し込む。更に聚楽、池田と二軒回る。川村先生と御話ししょうと酔って帰ったのに先生が来られないのでがっかり。
三十日(日)晴
起床七時。太陽島ヘビクニックあり。
注(1)
八月二十五日 川辺帰寮。
(成瀬孫仁日記(七)につづく)
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あんみつ姫