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「私 の 三 菱」 3 古 谷 利 男

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通常 「私 の 三 菱」 3 古 谷 利 男

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2010/8/7 8:22
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 赤い富士山とえんどう豆

 小学校4年になって、N君の家族が東京からやってきました。勿論“社宅族”でお父さんは三菱鉱山の会計課長をしていて月給百円もらっているというので学校中の話題になりました。 バットという煙草が一銭値上がりしたというので、「バットが一銭上がったとさ」という歌が出来た時代ですから、百円というのは大金でした。

 ある日、N君のおバアチャンが我が家にやってきて、『今日は重明の誕生会をするから、6時にいらっしゃい。(重明はN君の名前です)』と言うので私は喜び勇んでN君宅へ行きました。 食事の前にアイスコーヒー(これは生まれて初めて飲む物でした)を頂き、こんなおいしい飲み物があるんだ、と感心しました。 その次に出てきたのが、赤いご飯で、富士山の形をしていて、その富士山の頂上にえんどう豆が乗せてありました。 これがまたおいしいご飯で、これこそ今まで見たことも聴いたこともない物でした。

 誕生会が終って家に帰ると母が『どんな御馳走が出たの?』と早速聴きましたので、その状況をつぶさに話しましたが、『富士山とえんどう豆ね?』と言ったままで、会話はそれで終りました。 多分母もそれ以上分からなかったのでしょう。

 そこで、その次の日に芳賀君に聴くことにしました。 芳賀君の家は小学校を出たところで「日の丸食堂」というのをやっていて、うどんと洋食を作っていましたし、芳賀君が自転車で「洋食」と書いた岡持ちを運んでいるのを時々見かけていたからです。そこで、芳賀君に『君、昨日N君ちに洋食持って行かなかった?』と聴きますと彼は『うん、チキンライスを6人前持って行ったよ。』と言ってくれました。『あれはチキンライスと言うのか!』と、忘れないように紙切れにメモって家に帰り、母に『あれはチキンライスという洋食なんだって!』と伝えたのですが、負けず嫌いの母は『ああ、チキンライスね。』と言ったまま空を見つめていました。 多分良く理解出来なかったのでしょう。

 そんな我が家に一度だけ父が帰ってきました。東京の陸軍省に或る報告をするために帰ったのだそうです。 お土産にカラフルな紙で包んであったロシア飴、ノコギリでしか切れない程硬い、カモシカやトナカイや熊の形をしたチョコレートなどを一杯持って帰って来たのを覚えています。これは私が小学校に入るか入らないかの頃(昭和九~十年)ではないでしょうか。 勿論私が意識して父を見た初めての機会でしたし、父が日本の土を踏んだ最後の機会だったと思います。 当時の世界情勢は混沌としており、それから1~2年後の昭和十二年七月七日には日支事変が勃発し、同じ七月に父が戦死していますから。

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