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「私 の 三 菱」 6 古 谷 利 男

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通常 「私 の 三 菱」 6 古 谷 利 男

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2010/8/14 9:15
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 母が黙って抜いた伝家の宝刀

 私が小学校六年生になった頃(昭和十六年)、突然、社宅のN君のお父さん(会計課長)が九州に転勤になりました。 N君のお母さんとおバアちゃんが我が家に来て、N君は姫路中学を受けさせるので半年ほど我が家で預かってくれ、と半ば強制的に頼んできたそうです。 母は、三菱に非ざれば人に非ず、の生野では断ることもできず、引き受けました。

 ところが、受験の一週間程前からN君は姫路の知人の家に移ってしまいました。私も同じ姫路中学を受験しました。 ところが、小学校では遥かに私より成績の悪かったN君だけが合格し、私は見事にに落ちました。 母は小学校のF校長の所へ行き、どう考えても腑に落ちないと言いますと、校長が通信簿・学籍簿などで確認してくれた結果、それらが全て改ざんされていたそうです。

 そこで母は県会議長宅まで行って、本件の顛末を話したところ、『子供には将来もあるので、がっかりせずに頑張りなさい。』とお茶を濁らせただけでそれ以上何もしてくれなかったそうです。
 普段物静かで優しかった母が此の時だけは鬼になりました。 そこで、母は父の友人・知人の民政党代議士数人に事の次第を話したそうです。その後は小さかった私には何があったのか分かりませんが、取り敢えず中学受験のため大阪の高等小学校に一年通いました。

 ところが、その小学校が大変程度の悪い小学校で私が目指した大阪府立市岡中学校にはここ10年以上合格者が居ないとのことでした。 下宿をさせてくれていた大阪の叔母が心配して、小学校を代わった方がいいのではないか、と言うものですから、母に電話でその旨話したところ、母は『大丈夫、利男(私のこと)ならきっと合格するから、死ぬ気で勉強しなさい!』ときっぱり言うのでした。 
 その年にその小学校から市岡中学には11人受験しましたが、結論として私一人だけ、13年目に合格したそうです。 合格発表を見て母に電話しましたら『そう、これで仇は討ったね!』と一言だけ言いました。 
 母が黙って抜いた伝家の宝刀の切れ味は見事でした。 後に分かったことですが、小学校のF校長は島根県の田舎の某小学校へ転勤になり、私の担任だったM教諭は免職となり教育界から追放されたとのことです。

  しかし、これには後日談があります。2~3年前に生野高校の同窓会を東京で開催しましたが、同窓会終了後、私のところへ或る同窓生がやってきまして、『私は姫路中学から生野中学に転校してきた者ですが、古谷さん、姫路中学に行ったNさんを御存じですか?』と聴くではありませんか。 もう65年以上昔の話ですが、『知っています。 私の小学校時代の同級生で、お父さんが生野鉱山の会計課長をしていて、月給百円もらっているというので学校中評判になった人です。』と答えますと、その同窓生は『そのNさんは中学の勉強に付いて行かれなくなって、何時しか退学し、どこかへ行ってしまわれました。』と。

 三菱には我が家も大いに恩恵を戴きましたが、此の事だけが唯一残念な思い出です。

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