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「私 の 三 菱」 4 古 谷 利 男

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通常 「私 の 三 菱」 4 古 谷 利 男

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2010/8/10 8:08
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 三菱鉱山の存在は、生野という山間の集落に県下でも珍しいモダナイゼーションを齎しましたが、矢張り「田舎」という実態は中々拭うことが出来ませんでした。

 先程のN君と駅の近くで遊んでいましたら、突然N君が『古谷君シ―の57だ!』と叫びました。 私は何の事だか分からないので、N君の顔を見直しますと、『あれ、あそこに、シ―の57が来たよ!』と言うではありませんか。 其の時は機関車のC-57型が来た、と私に教えてくれるつもりだったようです。 しかし、私は未だABCも知らず、ましてや、蒸気機関車にC-57型というのがあることも知りませんでした。 『お前バカか!』とののしられたのは勿論です。 このN君が我々町のジャリに、ボクシングごっこをしよう、とか、アイススケートごっこをしよう、など色々遊びについて提案してくれるのですが、N君が言っているスポーツを未だ見たこともない我々は、只ポカンとしているだけでした。

 昭和十七年(1942年)になるまで生野には未だ中学校が無かったものですから、私の兄は神戸の中学に入っていました。兄はその中学の剣道部に居まして、早めに夏休みを繰り上げて剣道部の合宿に参加すべく8月20日頃神戸に帰るというのです。 そこで母が兄に『利男(私のこと)に一度神戸を見せてやって欲しい。』と言い、兄が私を連れて神戸の元町へ着きました。 初めて見た大都会で、沢山の人がぞろぞろ歩いていましたので、私は兄に『今日は神戸のサンジンサンかな?』と聴いたのです。 「サンジンサン」というのは、生野の最大のお祭りで、“山神祭”と書き、山=鉱山の神様をお祭りするもので、その時は生野の町だけではなく、近郷の町や村から沢山の人が来て芝居や映画や相撲があり一年中で一番賑やかな時です。生野の人は山神祭をサンジンサンと呼んでいました。

 此の時兄に『大きな声で恥ずかしいことを言うな!』と、どなりつけられましたが、私としては何故どなられなければいけないのか、さっぱり分かりませんでした。
  
 そう云えば、同じ頃、母の弟の叔父が東京へ行く用が出来、東京駅八重洲口側の旅館を予約していたそうです。 東京駅に着いた叔父が早速タクシーに乗り、『○○旅館まで!』と言いますと、運転手が『この道の向こう側に見えるあの家がその旅館ですが?』と言ったそうです。しかし、一旦乗ったタクシーなので、叔父としては今更降りる気にもならず、『いいから兎に角行ってくれ!』と言ってムキになった、とか。 意固地な田舎者にはタクシーの運転手も手を焼いたことでしょう。

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