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Re: 玉音放送の想い出

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あんみつ姫

通常 Re: 玉音放送の想い出

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1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2004/6/11 23:22
あんみつ姫  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 485
しんちゃん  こんばんは!

玉音放送のあった日は、酷い暑さで、絶え間ない蝉の鳴き声だけが記憶に残っているという話を良く聞きます。

私は昭和18年生ですから、戦争の事は殆ど知りませんが、当時は町の人間は食糧難で、多くは田舎に「買出し」に行ったそうですね。

赤ん坊の私を背負った母が、祖母と一緒に買出しに行った日に、艦砲射撃《かんぽうしゃげき=戦艦から大砲を撃つこと》に遭い、田圃《たんぼ》の中を逃げ惑って九死に一生を得たと聞きました。

祖母はその時に焼夷弾《しょういだん=さく薬と油や黄燐などを入れた小型爆弾》の破片が膝《ひざ》に当たり、医薬品は勿論《もちろん》医師なども不足だった当時ですから、満足な治療も受けられなくて、歳を取ってからも良く膝が痛むと言っていました。
引用:
 私は、これはきっと本土決戦に備え、国民は最後の一人に至るまで米軍と戦えとの放送に違いないと固く信じておりました。

きっと勝つと思うからこそ、国民は耐え難きを耐え、忍び難き
を忍んでいたのですから、玉音放送があると言われて、やはり
しんちゃんと同じように思った人は多かったでしょうね。

昭和20年当時 既に大人だった人たちからも、この時の印象
を伺いたいですね。


--
あんみつ姫

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