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Re: 玉音放送の想い出

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Amiさん

通常 Re: 玉音放送の想い出

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1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2004/7/22 10:26
Amiさん  新米   投稿数: 1
しんちゃん こんにちは。
またあの日が近づいてきました。

玉音放送。何のことか分からず疎開先の河内松原の小学校の校庭で聞きました。分からないまま帰宅し泣いていた親から説明されました。その夜から灯火管制《とうかかんせい=空襲の目的となるため、電灯を消したり黒い覆いを掛けた》の必要が無くなり明るい部屋で過ごしたのを覚えています。度々停電がありましたが・・。

当時小学校では勉強は殆ど《ほとんど》なく農家の手伝い、手旗信号《てばたしんごう=赤白の小旗を動かして信号を送る》、モールス信号《=長短の符号を組み合わせて文字にする電信》の暗記、いなご100匹糸に刺してくる《いなごは貴重な蛋白源だった》などが宿題でした。

その後大阪市内の小学校に戻りました。教科書を墨で塗りつぶし軍国主義を抹殺《まっさつ》しそれを進駐軍《しんちゅうぐん=占領軍》が視察に来ました。DDT《殺虫剤》を盛大に振り掛けられたり、ララ物資《LARA=大戦後にアジアに物資を援助したアメリカの民間組織》とかのミルク給食があったりしました。とにかく変化の激しい年でした。

あの時代は酷暑、厳冬にも何も感じず元気に遊んでいたようにおもいます。   (Ami)


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