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Re: 我家の8月15日前後(李鍾根)

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あんみつ姫

通常 Re: 我家の8月15日前後(李鍾根)

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1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2004/10/7 9:31
あんみつ姫  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 485
我家の8月15日前後(李鍾根) ―2―

朴仁鎬さんは姉の履歴書を彼が勤務して居る和龍県開公所
に提出すると、開公所の人事担当は 「こんな履歴書を提出
しては困る、本人直筆の履歴書を出す様に」と言われた。

朴さんは本人が書いた履歴書ですと説明すると、本人の直筆
であるかを試す事になった。
姉の直筆を確認した担当者は、姉の達筆に驚いて即日採用が
決まった。

姉は大邱喜道小学校5年の時、東京で開催された全日本学生
書道大会に小学校代表として出品した作品が銅賞を受賞した
才媛である。
受賞後 京城・大邱の各新聞社の紙面に報道され、学校では
人気者であった様である。

開公所で4個月勤務の後、達筆処女との評判で和龍県県公署
人事課に ピックアップされ、昇給は言うに及ばず、当時は食料
配給も日系、鮮系、満系、中系の4段階があったが、日系の
配給券を特別配慮される程優遇を受けたと聞いて居る。

姉は大邱に手紙を出して事情を説明し、洋服を送ってくれる
様頼んだ。
大邱では家族が総動員して8着の洋服を送り届けたため、姉
の衣装は衆人の注目を浴び「アリモノ屋だなあ」と羨望の的
であった様である。

姉は1944年5月に満州に避難し、1945年7月15日、
故鄕の大邱に戻った。
その頃、女子挺身隊の風向が変ったので、母が母危篤と数回
電報を打ったのが奏效し、帰郷する事が出来たのである。

1個月後終戦と成り、若し帰郷して居なければ、どんなひど
い目に会ったかわからない。
本当に 姉は 好運であった。

              ― 続く ―

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