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Re: 我家の8月15日前後(李鍾根)

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あんみつ姫

通常 Re: 我家の8月15日前後(李鍾根)

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3
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2004/10/22 12:28
あんみつ姫  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 485
我家の8月15日前後(李鍾根) ―4―

さて、部隊編成が終ると僕ら幼年兵を集めて、射撃姿勢、小銃
の使い方等を徹底的に教えてくれた。ソ連軍は重戦車を先頭に
清津市内を制圧して、次は師団司令部がある羅南市に総攻撃体
制で布陣した。我が軍は敵の重戦車を撃滅しなければ勝算が無
いのは、新兵の僕でも良く解っている内容だ。

我が第3小隊長は40歳前後と見える陸軍准尉《じゅんい=
もと陸軍軍人の階級の一つ。将校と下士官の間》
で、その名は
忘れたけれども、彼はとても人情深い人だった。

夜間攻撃命令が下達《かたつ=上の人の意思・命令を下の者に
伝えて、その趣旨を徹底させること。》
され、第3小隊は全員
“被甲《ひこう=かぶとをかぶった》爆雷《ばくらい=爆発の
条件を備えた爆弾》
特攻隊《とっこうたい=特別の目的のため
に体当たり行動をする部隊》
”と名付けられた。

爆雷は白い木造箱で背嚢に担ぐように準備してあり、横に紐が
付いていた。その紐を引っ張ると爆発するようになっていた。

「戦車のキャタピラを破壊して自決《じけつ=自殺》せよ」と
の命令である。
全身を草で擬装《ぎそう=カムフラージュ》して、真夜中にソ
連軍重戦車がある地点に向かって、死を決した総攻撃時間が迫
って来た。

僕は、ああこれが特攻隊の死の寸前か、飛行機に乗って出発す
る神風特攻隊だったらスリルがあるが僕らは草の上で敵の重戦
車に迫って行く可憐《かれん》な少年達だ、年寄りの特攻隊長
よ、敵の戦車を爆破後 自決せよとの暴令か?

後25mの距離に到達した時、突然 敵の照明弾《しょうめい
だん=あたりを照らすための爆弾》
が破裂《はれつ》して、
我等は全身敵に露出された。特攻隊長の大声が響いた。
“特攻隊員 全員爆雷を捨てて後退しろ、命令だ”

隊長の命令は迅速《じんそく=大変早い》に伝播《でんぱ=伝
わる》
し、我等は超速度で四方に散会、後退した。敵の機関銃
《きかんじゅう》が頭上すれすれにかすめて行った。数百米を
後退して点検すると、戦死者も負傷者も居なかった。
《まさ》に天佑神助《てんゆうしんじょ=天や神の助け》
あった。原 敬総理の第一次救助か? 
我等は特攻隊長を神の如く囲んで、救世主のように尊敬した。

1945年8月10日以後、202部隊全軍に後退命令が一斉
に下達され、我が中隊も1名の戦死者も無く後退作戦の先頭に
立った。
第一次後退は咸鏡北道吉州に到着後、日本人鉄道作業員官舎に
入って休息した。鉄道従業員は皆一番先に逃げたらしい。我が
安部中隊はその官舎に一晩大休止《だいきゅうし=行軍中長い
時間休むこと》
した。                ― 続く ―

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あんみつ姫

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