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Re: 我家の8月15日前後(李鍾根)

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あんみつ姫

通常 Re: 我家の8月15日前後(李鍾根)

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2
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2004/10/22 11:54
あんみつ姫  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 485
我家の8月15日前後(李鍾根) ―3―

僕は清津製鉄所の養成工の基礎教育を受け、化工科cokes係
で専門教育を受ける予定であったが、戦況はますます不利に
なり、沖縄も占領され神風《かみかぜ》特攻隊《とっこうた
い=飛行機で航空母艦などに体当たりする目的の特別攻撃隊》

も大した効果もなく、本土決戦《=最後に日本の本土で戦う》
状態であった。

戦略物資《せんりゃくぶっし=戦争に必要なもの》である鉄
の生産にはコークスが必須《ひっす=必ず必要》であるので、
連日無給のコンベアーベルトのコークスが落ちてベルトが運転
不能の状態となるのを防ぐため、僕らは毎日重労働を
余儀《よぎ》なくされた。

朝9時から午後5時まで、落下したコークスをベルトに上げなけ
れば溶鉱炉《ようこうろ=製鉄に用いる大きい炉》が稼動で
きないので、毎日12名を1組として編成し、10組くらい
が作業をした。

僕は体力が無く重労働は無理であった。
連日の労働は限りなく続き、同僚《どうりょう》の労働者は
同情してくれたが、人情は雀の涙ほどもない労務課長には通
じなかった。休息の15分間は、母・兄・姉の顔が浮かび、
涙と苦痛の連続であった。
ああ、この戦争は何故《なぜ》起って、何故戦わなければな
らないのか?

1945年8月6日 広島に原爆《げんばく=原子爆弾》
投下されたが“新型爆弾が投下され我方の被害大なり”と新
聞に報道された程度である。

1945年8月7日11:00頃、運命の日が来た。

ウラジオストック軍港を出港したソ連艦隊と上陸用船団は、日
ソ不可侵条約《ふかしんじょうやく=相手を侵略しない約束》
期限が締結《ていけつ》されているのを無視して、米英連合軍
と隊列を共にして清津港に艦砲射撃《かんぽうしゃげき=軍艦
から大砲や高射砲を発射する》
を開始、上陸準備を始めた。

我々はコークス爐《ろ》の扉を一斉に解放して製鉄所を離れた。
清津市清訓合宿52号室で手荷物を整理し、南の故鄕に向けて
走った。羅南(Lanam)駅前100m付近に到着した時、突然憲兵
けんぺい=軍事警察官》
30余名が現われ「満16歳以上の青年は
全員軍隊に入隊して羅南を死守し、清津に上陸したソ連軍を撃
《げきめつ=打ち滅ぼす》する。」と宣言した。

皆 手荷物を捨て、憲兵の指示に従った。
羅南師団司令部がある軍部隊に入隊してみると、外観上木造単
《たんそう=一階建》の建物に案内されたが、内部は2階で
一寸《ちょっと》驚いた。軍需《ぐんじゅ=軍が必要とする》
倉庫で軍服《ぐんぷく》、軍靴《ぐんか》、階級章《=階級を
示す印を軍服の襟に着けた》
、背嚢《はいのう=すべての持ち
物を入れる背負い袋》
、小銃、短剣《たんけん》、弾薬120
発を支給され、予備弾50発は背嚢に入れた。
我が部隊は「朝鮮202部隊、星野部隊、安部隊」と公式に発
表された。
僕は第3小隊第2分隊陸軍2等兵 原敬三(李鍾根)となった。

僕の姓の原は我家の元祖の姓で“高麗《こうらい》時代《918
~1392》
”に中国の大将軍が高麗に帰化して高麗王から下賜さ
れた姓である。僕の祖先が高麗王から下賜された姓をそのまま
継承《けいしょう=受け継ぐ》した。
理由は、陸軍2等兵に変身した僕を朝鮮の大将軍の祖先が僕の
武運《ぶうん=戦争での運》を守護してくれるだろうとの微
《かす》かな望みでもあった。

226事件で射殺された原敬さんの名の後に3を付けたのは命
が3つあって欲しいという欲望でもあった。
226事件の内容は、当時明治大学に遊学《ゆうがく=留学》
中であった兄李鍾潤の小学校同期生が夏休みに帰郷して、細密
に説明をしてくれたのを覚えている。日本は神国で、天皇陛下
を乗り越えて反乱を起した種が育ってこのような敗戦に導き、
僕のか弱い力まで要求するのは酷《ひど》すぎる。

僕は日本人の美点を愛している。僕の恩師、税所健次郎(九州
熊本出身)、長尾 勉先生の正直一辺倒の教えを、僕はこの世
を去るまで守ってゆきたい。

                 ― 続く ―

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あんみつ姫

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