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母との往復書簡 <英訳あり>

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ほのぼの

通常 母との往復書簡 <英訳あり>

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2004/11/5 17:32
ほのぼの  半人前   投稿数: 33
  
もう60年も前の話である。 私は当時、中学1年修了時、満13年と8ヶ月で陸軍幼年学校《*1》に入隊した。 まさに少年兵である。 陸幼《=陸軍幼年学校》では、出来るだけ頻繁《ひんぱん》にふるさとの両親に手紙を書くように指導された。 私は、陸幼に在籍した4ヶ月と15日の間に、両親宛《あて》だけで14枚も出している。 両親はそのハガキを全《すべ》て大事に保管してくれていた。 従って、今も私の手元に残っている。 母からは5通の封書が来た。 それを私は大事に保管している。 そのうちの一部を、ありのままに、此処《ここ》でご披露《ひろう》したい、と思う。 


家へのハガキ
昭和20年4月25日

父上・母上お元気でありますか? お手紙がないので心配しております。
もう、初夏の気候となりました。 報国神社の境内では「せみ」が、じんじんとやかましく鳴いております。 
昨日は「かんしん寺」から「楠ぴあん」へと行軍をなし、大楠公《*2》の忠誠の偉大《いだい》なるに感心すると共に、又、七生報国《しちしょうほうこく*3》の精神を磨きました。 
今、数学では方程式を習って居りますが、何も判らず大困難をしておりますーーー自習の時など泣きたくなることもあります・・・しかし頑張ります。
この三十日には帰るかもしれませんから、お楽しみに。 ではお体を大切に。 さよなら

大阪陸軍幼年学校 第四十九期生 第六訓育班 第三寝室                   落合英夫

《*1》陸軍幼年学校=陸軍士官学校をめざす子供に予備教育をする学校
《*2》大楠公   =楠正成《くすのきまさしげ》南北朝時代の武将、忠臣として名高い1294-1336)
《*3》七生報国  =楠正成の子、正行《まさつら》が戦死に当たって残した言葉(七度生まれ変わって国に報いよう)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

母からの手紙
宛先 大阪府南河内郡長野町
大阪陸軍幼年学校第四十九期生
   第六訓育班第三寝室
      落合英夫 殿           

五月四日
落合加代子

この間は無事に帰ったことと思います。 あの時お前が京都駅のかいだんをのぼっていくのを見落としたので、まっすぐに行ってしまったのではないかと、私は心配して貨物置き場の裏へまわったりして、プラットホームを見渡しましたが、とうとうすがたを見る事が出来ませんでした。 けれどもきっと無事に帰校したことと信じて居ります。

今度はほんとに立派な姿を見て、私もお父さんも真実から嬉しく、そして軍人の母となった誇りをつくづく感じました。
お前と同じような年頃の学生さんは、学徒《がくと*1》として勉強も休んで働いているのですのに、あなた方は何不自由なく勉強さして戴くなんて、只只《ただただ》もう陛下《天皇》の御稜威《みいつ=ご威光》のしからしむ《=による》おかげです。 何卒《なにとぞ》この御国の御恩を忘れず、お前の本分は 学生としての修学にあるのですから、しっかりやり通して下さいますことを、母はひたすらに御願いいたします。 尚また修学院学校、一中《京都府立第一中学校》の名を上げなくてはなりませんよ。 帰校の途中、お目にかかった青野先生も、ほんとうに嬉しそうでしたね。

明日は男の方の御節句《*2》でもありまして、鷺森神社《さぎのもりじんじゃ》の御祭りです。 床の間《とこのま=和室の正面を一段高くして掛け軸を掛けたり花を生けたりして飾る》に軍刀を飾ってお前の武運を祈りお国の必勝を祈りました。 よく警報《空襲警報・警戒警報》が出ますが、何事にもよく気を付けて、身体は決して害《そこ》ねてはいけませんよ。 この間帰ったときにお前が植えた畠の玉ねぎ、とても大きくなったので、見てもらうつもりでしたのに、わずかの時間でしたから、案内することが出来ませんでしたね。

また、お父さんも私も、お前が数学に困っているよしの話をきいて、ほんとうに心配です。はじめはなんといっても、二年生の方達のようには行きませんのですから、お母さんがいつも申すとおり「聞くは一時の恥聞かざるは末代《まつだい》の恥」という言葉があります通り、何卒《なにとぞ》どしどし先輩の方々にたづねなさいよ。
私も蔭ながら六勝神社にお祈りし、また兄さんのみたまにも御願いしています。 決して決してわからないからといって、嫌気が差してはいけませんよ。 あくまでも奮闘《ふんとう》して兄様の様に頑張ってみてください。 幸いお父さんが来る十三日(日曜日)には大阪方面には御用がありますので、都合をつけてお前の学校へ参ります。 それゆえ自由に外出があっても学校にいて下さい。

そして静かなところでお前にわからないところの数学を教えてやりたいと言ってますから、、たづねておきたい事をしらべておきなさい。
お母さんは当分面会には行かれません。お前の元気な姿を瞼《まぶた》に描《えが》いては私も一生けんめい増産《=農作物の増産》しますよ。
ではこれにて、御機げんよく。   母より

             五月四日
  英夫さんへ


《*1》学徒= 太平洋戦争中、中等学校以上の生徒、学生が学徒動員令により軍需工場や農作業に強制的に従事させられた。
《*2》お節句=端午(たんご)の節句 5月5日は男の子の祝日であった

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立志《りっし=志を立てる》して、陸軍幼年学校を受験し、大阪陸軍幼年学校に入隊した、13歳のあどけない少年兵。帰省時、遺影のつ
もりで撮影してもらった。
京都市左京区元田中の有名写真館にて

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