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母との往復書簡 その2

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ほのぼの

通常 母との往復書簡 その2

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2004/11/8 18:04
ほのぼの  半人前   投稿数: 33
母との往復書簡 その2です。 ハガキ、手紙とも原文のまま、記載しております。但し、勿論、原文は何れも縦書きです。

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家へのハガキ (注 この日はハガキ二枚に続けている。 ちなみにこの時期、ハガキは五銭である)
昭和二十年六月二日

謹啓《きんけい=手紙のはじめの挨拶》
御父上・御母上 御壮健なことと思ひます。 私も入校以来二ヶ月、病というものにかかる事もなく、至極《しごく》元気に毎日を愉快に暮らしております故、御安心下さい。
敵機頻襲《ひんしゅう=たびたび襲う》の今日、京都の防空態勢も、一家の防空態勢《*1》も完璧になった事と思ひ《おもい》ます。
本校に於《お》いても今後の空襲に対して、全校あげて防空作業をなし、又、冬夜袴《ふゆやこ=冬用ズボン》を疎開《そかい=被害を逃れるために安全な場所に移す》させたりして居ります。 又、本校で増産中の農作物は見事に成長して居ります。 秋の大収穫が予想されます。 家の麦ももうすぐ麦刈りだそうですが、みなでどれほど収穫出来ますか。

この間の休養日(二十七日)は、御面会を謝絶《しゃぜつ》致し、誠に相すみません事でありますが、お蔭で戦友と二上山《にじょうざん》に登山し、浩然《こうぜん=精気が満つる》の気を養いました。京都こそ見えませんでしたが、遙《はる》か彼方《かなた》の大阪湾がうっすらと見えました。

今、私達の間では、帰省の事で何やかやと言っておりますが、校長閣下《かっか》の御旨《ぎょし=思し召し》は、一年生だけ帰省出来るそうであります、が戦局の良悪で、どうなるか判りませんから、あてにはしないで下さい。

昨日、B公(注 B29爆撃機《*2》のこと)二・三百機来襲しましたが、京都は大丈夫でありますか。 私達はB公が六機、あざやかに撃墜《げきつい》されるのを見ました。 
本日は体格検査及種痘《しゅとう》・五寸釘(チフス豫防注射)《ごすんくぎ(チフス予防注射)=注射針が太いのでこの名がつけられた》 がありましたが、私は体重は前検査より一.二瓩ふへ《1,2キロ増え》、また胸囲は二.九糎《2,9センチ》、身長も順調にふへ《増え》て居ります。
いよいよ梅雨期に入りました。 父上・母上様どうかくれぐれもお体大切に。
                              敬具《けいぐ=終りのあいさつ》


大阪陸軍幼年学校 第四十九期 第六訓育班 第三寝室 
落合英夫

《*1》 防空態勢=戦争末期になると各家庭で、床下などに防空壕を掘り、焼夷弾落下の時のため
         竹の棒先に荒縄を縛り付けた「火叩き」を用意し、家の外には風呂桶のような
         防火用水にバケツを用意して消火の準備をした。
《*2》 B29 =ボーイング社製の大型長距離爆撃機、日本本土のの空襲に猛威を振るった


大阪陸軍幼年学校 第四十九期 第六訓育班 第三寝室 
落合英夫








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母からの手紙  (わら半紙《=ざら半紙、安価な紙》二枚に 追伸を含めてぎっしりと書いてある。 封筒は手製である。 ちなみにこの時の切手代は十銭である。)
昭和二十年六月十二日

大阪府南河内郡長野町
大阪陸軍幼年学校
第四十九期第六訓育班
落合英夫殿

もう急に夏が訪れた様《よう》です。 昨十日はお父さんが面会に参りましたが、ますます元気な様子を聞き、母もほんとうに嬉しく思っています。 私も一度参りたいのですが、何せ交通が許してくれない《*1》ので、あの日も参れませんでした。 数学の方もよく分かる様になった由、何より嬉しいことです。 何事も研究心が大切ですから、いつも申す様に先輩にはどんどん聞くことです。 そして良い成績を上げて下さい。

農業作業も中々熱心なそうですが、今はどこも自給自足《じきゅうじそく=自分に必要なものは自分で作る》ですから、母も負けずにやっていますよ。 麦も二・三日したら麦刈りします。 
《さて》どの位ありますやら。 麦こがしにしておきましょうね。 今度外にお芋を植えますが去年の事思ひ出します。 お前がずい分深くたがやしてくれましたね。 今年はあの様にこの母がやって見ませう《しょう》。 

それから写真ほんとうになつかしく拝見させていただきました。 あの時に宿屋に一緒の方としては、蔭山様だけ分かりましたが、外の方は一緒には撮れていません様ですね。 皆さまの意気洋々としたお顔、未来の特攻隊《とっこうたい》勇士です。 誠に心強さを覚えました。
注射の後、気を付けてください。 余《あま》り無理せぬように・・・。
《さて》最近は頻々《ひんぴん》として敵機がきます。 十分気を付けて下さいね。 あんな物にむざむざやられはしませんから、母の方のことは安心して下さい。 もう実際、本土も戦場になりましたが、お互いに日本人の誇りを見せてやりませう《しょう》。 篠原の叔母《おば》さんの子供も、しばらく当家にくる様です。 平野の叔母さんからは手紙が来たそうですが、あの叔母さんも余《あま》り淋しい山奥にいったので近頃は郷里がこひしく《こいしく》《な》ったそうです。 清水の孝祐君、今は中学一年生ですから、是非本年は陸幼を受験する様に、お前から進めてあげた手紙を出しておやりなさい。
隣のけんちゃん近頃は修学院校へ通勤しています。 では又、次の便りに致しませう。 くれぐれもからだを気を付けて鍛錬して下さい。
六月十二日
母より
英夫様

今日は昨夜よりしとしと雨降りです。 入梅らしくなりました。 お天気でしたら母達は、今日は農家へ麦かりに行く筈でした。  では さよなら


《*1》交通が許してくれない = 汽車、電車などの切符が手に入らなかった



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