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母との往復書簡 その3

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ほのぼの

通常 母との往復書簡 その3

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2
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2004/11/9 10:48
ほのぼの  半人前   投稿数: 33
家へのハガキ その3
毎日の陸幼生活で、特に話題のない時は、「元気です」とだけでも書いて、家宛てにハガキを出すようにと、上官より指導された。 実際そういうことがあっ
た。 以下に7月末から、終戦の日までの3枚のハガキを、原文のまま紹介します。

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昭和二十年七月三十日

前略
壮健也《そうけんなり》

戦友皆無事帰校致し候《そうろう》
皆々様の御健康をお祈り致し候

七月三十日
           敬具

(注 陸軍幼年学校では毎日、就寝前に日記を付ける事になっていた。 しかもその日記は、必ず先ず墨を擦《す》り、墨書《ぼくしょ》するのである。 当然私なんかの日記は、従って、金釘調《かなくぎちょう》の連続であった。 が、墨書するということに対して、この時期、抵抗感はなくなっていた。この七月三十日付のハガキは、「壮健也《なり》」をハガキ全面に大きく墨書したものでる。)















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昭和二十年八月四日

拝啓(家庭通信の内容事項をお知らせ下さい)
夏らしき気候と相なりました。 皆々様御健康のことと思ひ《おもい》ます。 
私もあれより元気で愉快にはしてますが、実を言うと未《いま》だあの腹こわしが直らず、今もなほ《なお》継続しており、又この間は私の不注意より左足のひざに釘の突傷を受け、しばし入室(二日)及び練兵休《れんぺいきゅう=訓練を休む》となっている有様で、真に不孝な事ばかりして申分け有りません。 
しかし今はもう足も直り、腹も時々刻々と善進しています。
學校《がっこう》の南瓜《かぼちゃ》もいよいよ収穫期に入り、今迄の収穫より見、七トン位は取れる予定であります。 この間三年生の方が、一つで十瓩《キロ》(三貫)もある南瓜を収穫されたのには、皆驚きました。 家の南瓜もこれに負けぬ様なのを収穫していること思ひます。
本日身体検査あり、私は無念にも又、一.四瓩《キロ》減り入校時より減少という情なき事となりましたーーー。この秋にこそ体位向上、よくよく錬磨《れんま》して必ず立派な成績を治《おさ》める覚悟であります。
では皆々様の御健康を祈ります。

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昭和二十年八月十四日

拝啓
しばし御無沙汰致しました。 もう秋の虫の音を耳にするやうに相成りました。 私もあれから、腹も直り元気に毎日を暮らしています。
《じつ》は毎日の空襲の為、私の楽しみの遊泳、山地訓練もとりやめとなり、十三日には重い荷を背負ひ、この山川清美の地へ疎開してきました。 私達の作った飯をそこらに腰を下して食うこともなかなか愉快でおいしくあります。 又この修学院によく似《に》た地でしばらく暮します。 日本も又、ソ聯《それ
ん=ソビエト社会主義共和国連邦の略》
と戦を開き、正に来るべきものが来、我々の意気は斗牛《とぎゅう=天》をつかんとするものがあります。 
では皆々様の健康を祈ります。

(注 このハガキは八月十四日夜、疎開していた錦川国民学校で書いたものである。が、翌日、八月十五日は早朝より強行軍にて、長野町千代田台の本校に帰り、正午、終戦の詔勅《しょうちょく=天皇が書かれた文書》を拝聴することとなった。 ので遂に投函《とうかん》することなく、復員時、自宅へ持ち帰ったものである。)

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母からの手紙

昭和二十年八月九日
大阪府南河内郡長野町千代田台
大阪陸軍幼年学校 第四十九期第六訓育班
落合英夫 殿

英夫さん まい度おはがき有りがたう  あれからも元気の様子ですが、まだ幾分おなかこわしが、さっぱりしないそうで、こまりますね。 あなたは毎年、夏は夏まけする性質なのですから、一度腹こわしなどすると回復も手間どるのだろうと思ひますが、どうか食物には十分気を付けて、すっかり元通りになるまでは、おなかがすいても減食した方がよいでせう《しょう》。 学校のごはんなど倍以上かんで食べること 尚しばらくの間果物類はやめた方がよいかも知れません。そして直るまでは遠慮なく医務局から薬を頂く様にして、たとへ練兵休となっても早く体をよくした方が得です。 夏から秋にかけては、腸のいたみやすい時ですから、ほんとうに自分の体と思はず《おもわず》、陛下の体と思って大事を取って下さいませ。
釘で傷をしたそうですが、油断は禁物、軍人はあくまでも一寸《ちょっと》の注意もゆるがせにしてはなりません。 母は蔭《かげ》ながらまい日まい日の健全を、神かけて祈っているのです。 そして一人前の将校さんになる日こそ一番の楽しみです。 海洋訓練も有る様、ききましたが腹こはしには水浴はどうでせう《しょう》か、医者によくきいてからにして、自分まかせはつつしんで下さいね。 とにかく此頃は空襲もひんぴんとして有りますので、けがをせぬ様にたのみます。
学校からの通信ぼもまいりまして、早速家庭から返送しておきました。 差《さし》あたり今までの健康状態は甲の部です。 そして性質もけん実にして明朗の方だとの由、結構です。 学課は何と申しても、一年から入ったのですから、此の学期は無理でしたから、国民学校や一中時代の様には行かなかったのは残念ですが、決して悪い方でもなく、中位と思ひますからますます奮励《ふんれい》してください。 きっときっと次の学期では十分取りもどせることと信じています。 一番やはり数学が落ち目でしたから、わからない事は徹底的に人に聞いて、その場限りのことは何より禁物です。 どうしても二年生から入った人には負けますが、けれども努力によって、かならずおいつきますよ。 くれぐれも日頃のお前の負けん気性を出してがんばって下さい。
家の南瓜も収穫期です。 先日一貫匁《かんめ》有るのをとりましたが、家としてははじめてですよ。此年は三十位とれます。 また兄様の墓も立派に出来上がりました。 今年は初盆なので、家の南瓜やらとうもろこしなどを供へています。 
悦子(注 妹のこと)の学校も、空襲がよく有るので一時中止、私宅にて寺子屋《てらこや=江戸時代の手習い所》式に数人集まっては勉強し、先生も訪問してくれます。
大阪の子供は、此度《このたび》長谷川様の二階を借りてうつりました。 家もまた静かになりましたよ。
お父さんも休みなく元気に増産に、はげんでいますから安心して下さい。 お前の目方も減ったそうで残念ですが、決して気を落さず、腸の方さへ直ったらすぐ取りもどせますから、何より早くなほして下さい。 あたためたらよいと思ひますから、夜分のねびえには気を付けて下さい。
では次の元気回復のたよりをまちます。

八月九日
英夫さんへ
母より

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(注 以上、その1,その2,その3 全ての母からの手紙を通じて、文面には変体仮名《へんたいがな=現代の字体とは違う崩し字》が多く用いられている。 それらは、ここでは明朝体に変換している。 又、文面では、多くの場合、句点が省略されているが、此処では、読みやすくするために、私が、適当に句点を配置している。 が、文面そのものは、原文のままである。 六十年後の今となって、母の手紙を読み返すとき、当時を偲《しの》び、感慨無量と言う言葉では言い尽くせないほど、感慨無量である。)

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