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Re: 母との往復書簡 その1

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あんみつ姫

通常 Re: 母との往復書簡 その1

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1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2004/11/10 16:34
あんみつ姫  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 485
ほのぼのさん  こんにちは!

1943年生まれの私メ、自分ではソコソコ物を知ってると思って
ましたが「七生報国」って言葉を直ぐに使える1945年の中学生
には、びっくりしました。

元弘の変(武家政権の打倒を目指した戦い《1331年》)で天皇方として戦い
幕府方の軍勢を大いに討ち敗った楠 正成は、その後、一旦は
敗走して再度東上した足利尊氏《あしかがたかうじ=室町幕府初代将軍
となる、1305-1358年
の幕府軍を摂津国湊川(現:神
戸市兵庫区)で迎え討ち、善戦空しく敗れました。

その最期の時に「七生報国」(七度生まれ変って、国に報いん)
を誓って自刃しましたが、その正成の天皇への忠節は、その後長
く、日本人を奮い立たせ、その時代時代の国難を乗り越えさせる
原動力となったと・・私にとっては歴史の世界です。

でも太平洋戦争の頃は中学生が手紙に書けるほど、「七世報国」
は日本人の合言葉だったのでしょうか?
発音は「ななせいほうこく」でしたか・・/(-_-)\ウーン


母上の返信にある「御稜威」などは、恥ずかしながら、調べて
分った次第です(^^ゞ

辞書には「天皇の御威光」とありました。
皇室にまつわる「不可思議かつ強健な力場」「大きな神秘的影
響力のフィールド」を、日本では古来より「御稜威(みいつ、
または、みいづ)」と呼んできた・・・・と。

昭和20年(1945年)を境にして、日本人の心意気は、大きく変
ったのでしょうか(-_-;)

この往復書簡を拝見して、この境界線の前の時代の中学生(13
歳)が、とても大きく感じられました。

--
あんみつ姫

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