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Re: 母との往復書簡 その1

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ほのぼの

通常 Re: 母との往復書簡 その1

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2004/11/11 11:46
ほのぼの  半人前   投稿数: 33
あんみつ姫 さま
「母との往復書簡」読んで下さり、有り難う御座いました。
また、楠木正成の故事来歴《こじらいれき=由緒と経過》、歴史
も勉強されたみたいで、その探求心の強さに、感服しております。
七生報国は「ヒチショウホウコク」と読みます。
私達の小学校時代は、この言葉がおおはやり(?)で、例えば
習字の題材などにもよく使われていたものでした。

新撰組《しんせんぐみ=徳川幕府の末期、浪士を集めた幕府方
の警備隊》
もいいですけれど、もっと、日本では、小学校時代から、
「日本の歴史」をしっかり教えて欲しいものだと、常々、私は、思っております。
正成の子、正行(まさつら)は父の意志を継いで、四条畷《しじょう
なわて=大阪府東部》
で戦死するのですが、その四条畷神社では、
59年ぶりに「十一詣り」を復活させます。
これは楠 正行 が、十一才の時に、父正成と別れる際(桜井の別れ)に、
「父亡き後も父の意志を継ぎ、帝(みかど)をお守りせよ。 それが父への孝行」
と諭《さと》され、正行がその誓いをたてた、と言う故事に基づいている行事です。
「男子たるものすべからく十一才で志を立てよ」 と、いうことです。

かの孔子は「男子三十にして立つ」と、言ってますが、
正行は既にして十一才で、立てていたというわけです。 
(これはちょっと飛躍しすぎかな?!?)

何れにしろ、有り難う御座いました。 今後とも宜しく御願いします。
      ほのぼの(PGB01032)でした。

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