Re: 母との往復書簡 その1
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母との往復書簡 <英訳あり> (ほのぼの, 2004/11/5 17:32)
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母との往復書簡 その2 (ほのぼの, 2004/11/8 18:04)
- 母との往復書簡 その3 (ほのぼの, 2004/11/9 10:48)
- Re: 母との往復書簡 その1 (あんみつ姫, 2004/11/10 16:34)
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母との往復書簡 その2 (ほのぼの, 2004/11/8 18:04)
- Re: 母との往復書簡 その1 (ほのぼの, 2004/11/11 11:46)
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Re: 母との往復書簡 その1 (あんみつ姫, 2004/11/11 13:48)
- Re: 大阪陸軍幼年学校 (ほのぼの) (ほのぼの, 2005/6/6 20:26)
- Re: 大阪陸軍幼年学校 (ほのぼの) (ほのぼの, 2007/5/29 13:42)
- Re: 大阪陸軍幼年学校 (ほのぼの) (ほのぼの, 2007/6/1 11:17)
ほのぼの
投稿数: 33
あんみつ姫 さま
「母との往復書簡」読んで下さり、有り難う御座いました。
また、楠木正成の故事来歴《こじらいれき=由緒と経過》、歴史
も勉強されたみたいで、その探求心の強さに、感服しております。
七生報国は「ヒチショウホウコク」と読みます。
私達の小学校時代は、この言葉がおおはやり(?)で、例えば
習字の題材などにもよく使われていたものでした。
新撰組《しんせんぐみ=徳川幕府の末期、浪士を集めた幕府方
の警備隊》もいいですけれど、もっと、日本では、小学校時代から、
「日本の歴史」をしっかり教えて欲しいものだと、常々、私は、思っております。
正成の子、正行(まさつら)は父の意志を継いで、四条畷《しじょう
なわて=大阪府東部》で戦死するのですが、その四条畷神社では、
59年ぶりに「十一詣り」を復活させます。
これは楠 正行 が、十一才の時に、父正成と別れる際(桜井の別れ)に、
「父亡き後も父の意志を継ぎ、帝(みかど)をお守りせよ。 それが父への孝行」
と諭《さと》され、正行がその誓いをたてた、と言う故事に基づいている行事です。
「男子たるものすべからく十一才で志を立てよ」 と、いうことです。
かの孔子は「男子三十にして立つ」と、言ってますが、
正行は既にして十一才で、立てていたというわけです。
(これはちょっと飛躍しすぎかな?!?)
何れにしろ、有り難う御座いました。 今後とも宜しく御願いします。
ほのぼの(PGB01032)でした。
「母との往復書簡」読んで下さり、有り難う御座いました。
また、楠木正成の故事来歴《こじらいれき=由緒と経過》、歴史
も勉強されたみたいで、その探求心の強さに、感服しております。
七生報国は「ヒチショウホウコク」と読みます。
私達の小学校時代は、この言葉がおおはやり(?)で、例えば
習字の題材などにもよく使われていたものでした。
新撰組《しんせんぐみ=徳川幕府の末期、浪士を集めた幕府方
の警備隊》もいいですけれど、もっと、日本では、小学校時代から、
「日本の歴史」をしっかり教えて欲しいものだと、常々、私は、思っております。
正成の子、正行(まさつら)は父の意志を継いで、四条畷《しじょう
なわて=大阪府東部》で戦死するのですが、その四条畷神社では、
59年ぶりに「十一詣り」を復活させます。
これは楠 正行 が、十一才の時に、父正成と別れる際(桜井の別れ)に、
「父亡き後も父の意志を継ぎ、帝(みかど)をお守りせよ。 それが父への孝行」
と諭《さと》され、正行がその誓いをたてた、と言う故事に基づいている行事です。
「男子たるものすべからく十一才で志を立てよ」 と、いうことです。
かの孔子は「男子三十にして立つ」と、言ってますが、
正行は既にして十一才で、立てていたというわけです。
(これはちょっと飛躍しすぎかな?!?)
何れにしろ、有り難う御座いました。 今後とも宜しく御願いします。
ほのぼの(PGB01032)でした。