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Re: 大阪陸軍幼年学校 (ほのぼの)

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ほのぼの

通常 Re: 大阪陸軍幼年学校 (ほのぼの)

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2007/5/29 13:42
ほのぼの  半人前   投稿数: 33
思い出の記より (2007,05,29)

昔、実際それを見た。 むかし、実際それを体験した。 今の若い人達には、決して出来ない、貴重な体験であった。 
映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」を、観た。 感泣の涙、涙で座が濡れた。 あの頃のあの事を知っていればこその感泣であった。

私が、大阪陸軍幼年学校第49期生であった頃、即ち終戦の年の5月頃だったが、夕方の随意時間(下記記載の別表参照)の折り、陸軍の戦闘機一機が、陸幼上空に飛来し、低空で何度も何度も旋回した。
我々は、皆、戸外に飛び出して、旋回する機に向かって、千切れんばかりに手を振ったのであった。 そしてやがて、機は西の方へと飛び去っていった、のであった。 その人の名前は判らないが、多分、大阪陸幼の出身者で陸士、航空士官学校へと進まれた、若い少尉が中尉の人であろう、そしてその日のうちに、特攻基地へと向かわれたに相違ない、と思った。 
前にも書いたことであるが、日本はその大東亜戦争で英・米・蘭など白人諸国と戦い、そして負けた。 無条件降伏をした。 あの人達の死は、一見、無駄だったように思う人()があるかも知れないが、決してそんなことはないのである。

我が国が、我が国こそが、大東亜戦争を起こしたが故に、その後、それまで白人達に支配され、略取されていた、アジアの諸国の独立を惹起させる動機となったのである。 この史実は不変である。 悠久の大義に生き、そして戦場に散華された人達よ、大いなる誇りを矜持されよ。 合掌。

(別表)

日課時限標準表

5月の例

(午前)6時      起床(起床ラッパ)日朝点呼、 宮城遙拝 勅諭奉読 掃除  兵器点検
    6時40分   寝室検査
    6時50分   朝礼 朝食(週番士官の訓辞がある)
            随意時間
    7時50分   服装検査 学科集合
  8時      教授部第一授業 (1クラス50人での授業である)
    8時50分   休憩
    9時      教授部第2授業 (語学はフランス語を習った)
    9時50分 休憩 運動
    10時05分 教授部第3授業(数学の授業は厳しかった)
  10時55分  休憩
    11時05分 教授部第4授業(生物の授業は楽しかった)
  11時55分  休憩  命令受領
(午後)12時10分  昼食 (*)  診断治療
            休憩
    13時10分 自習
    14時  休憩
14時15分  訓育部授業前段 (体育、教練、剣道 ) 
又は 音楽、工作、自習
    15時5分  休憩
    15時20分 訓育部授業後段(行軍、現地自活訓練 ) 
            又は 音楽、工作、自習
    16時10分 休憩
    16時25分  随意運動 (楽しい自由時間である 入浴)
    17時15分  手入れ休憩 (短剣、軍靴の手入れ、洗濯)
    17時40分  夕食
            休憩 (この時間は大抵 軍歌演習 であった)
18時50分 第一自習
     19時50分  休憩 命令受領
     20時 第2自習
     21時   反省日誌記載 (墨書するのだ)
     21時15分  日夕点呼
     21時45分  消灯 (就寝ラッパ) 就寝 

(*) 食事は47期生1名、48期生2名、49期生3名の計6名で、1テーブルを囲み、49期生が世話役をした。

ちなみに、大阪陸軍幼年学校では、映画にあったような、上官、先輩による鉄拳制裁は全く皆無であった。 

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