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その4 ★ 浜のかいこさん ★

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夏子

通常 その4 ★ 浜のかいこさん ★

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3
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2005/8/6 16:27
夏子  半人前   投稿数: 22
浜の産業は畑作《はたさく=畑で作物を作る》中心で藩政《はんせい=幕府は地方に藩を置いた。後に県となる》時代から明治二十年頃までは綿作中心で、弓浜全体に於《お》いても最盛期には全耕地の三分の一以上栽培せられたことといわれていた。その後外国綿の輸入の影響あって激減し、これに変わり養蚕業が段々隆盛となり、世界第二次大戦頃までは日本でも有数な蚕業地帯となった。

この時代に育ったのであるから綿作の水かけ作業のつらさは話だけで終るのであるが、養蚕の手伝いは子供の作業としても参加十分に出来た。

桑つみ・桑刈り・農家の子弟《してい=子供など年少者》は養蚕時には寝る場所もない有様で、県外からも雇用人の出入多く、特に島根半島裏、隠岐、遠くは出雲神戸方面より出稼ぎ人多くやって来た。

村には繭(夏子注:まゆ)乾燥場、取引所、娯楽場も出現、劇場二ヶ所、盛り場等も賑《にぎわ》って春から秋までは戦場のように忙しい農村であった。

 昭和初期頃より繭価下落始め単一なる養蚕経営は経済的圧迫甚《はなは》だしく、これが救済に努めなければならなくなった。県では弓浜部(夏子注:きゅうひんぶ)農村救済計画を樹立し指導にのり出した。

先ず桑園の整理減反《げんたん=作付け面積を減らす事》を断行し、これを他の有利な作物に転換し、有畜農業《ゆうちくのうぎょう=畜産(馬・牛・羊など)と農作の兼業》等実施によって、浜の農業経営に一大革新を加えた。特にこれらの転進《てんしん=進路を変える》には中年層の努力甚大《じんだい=きわめて大きい》であり、このことは各村に見られた。

大篠津に於いても農学校出身者が率先して研究会を結成し、実施に移し目覚しい活動は産業史に特筆すべき経験であった。
   田地つぶして桑植えて 米は喰う気か 喰わぬ気か(桑の木か)

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