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その9 ★ おふくろの味 ★

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夏子

通常 その9 ★ おふくろの味 ★

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8
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2005/8/16 21:33
夏子  半人前   投稿数: 22
 明治三十五《=1902》年頃境港より山陰の鉄道が始まったけれど、米子に出かけるにも境に行くにしても歩いて用達をしたもので、浜のほぼ中央(夏子注:著者の住む大篠津は弓ヶ浜半島の突端の境港と根元の米子との中間あたり)、の大篠津は往来者の小憩場所で、飲食店も多く宿場《しゅくば=交通や経済の要所》的な様相であった。

大阪屋という、浜では設備のよい宿屋があった。この店には“大阪屋の甘酒”といって近在に珍しい評判の甘酒が売ってあった。大正《1912~1925》の初期頃までは続いていて、道中の人々を慰めたのである。

 雪がチラチラ山茶花《さざんか》の花がほころぶ頃寒くなると、甘かゆ(夏子注:甘酒)に酒を注ぎ生姜《しょうが》を入れてあたためれば、また格別の味を出して人々の想い出は深い。

浜では正月になると何処《どこ》の家でもご馳走《ちそう》として造り、出来の悪い酢ばい(夏子注:酸っぱい)のでも無理に頂いたものである。


   == のっぺ汁 ==

寒空にのっぺ汁はよくにあうものである。昔よく採れた中海の赤貝(夏子注:サルボウガイ)のだしで、ごぼう・人参・こんにゃく・里芋等の野山の産物にゆっすらとカタクリ粉をまぜた汁に少々生姜を入れて汁のしまりをする。なるべく煮立ての温かいのがご馳走である。

   == ハマバウフウ(防風) ==

春になると浜では防風つみだ。幼い頃祖母が今日はバウフウつみだといって、大きな負い籠《かご》を背負って浜に出て、そこら一面に生えているバウフウを一、二時間で籠一杯とって香の高いのを味噌つけ用にした。時には酢ものにして大人は酒の口取りとしたらしい。その香りは何とも言えないものだ。先だって昔を想い出し家族そろって浜に出て見たが一本も一芽も見出すことが出来なかった。

 植物図鑑によると、
 せり科多生年草、中国の原産、多く海浜に自生する。茎葉共に特殊の香気と辛味とを有する。其《そ》の新茎葉を食用に供し風味あり、とある。


   == 松露《しょうろ=食用きのこの一つ》 == 

 春雨の頃は松露だ。図鑑は海辺もしくは内地の松樹下の砂中に多く生ず。大小種々あれども通常球状をなし直径七八分(夏子注:2,3センチ)を有し、表面に多少根状の菌糸を附着すとある。小松林に雨あがり松葉かき(夏子注:熊手)で松露探しは風情《ふぜい》あるものだ。

松露には米松露と麦松露といって二種類あり、米松露はやや白くきめ細かく一寸《ちょっと》上品だ。麦松露の方はやや褐色きめあらく、どちらも何とも云えない風味を持つ。茶碗むしに二、三ヶ入れたり、お吸物にもよい。特に大きいのを串《くし》刺しにして醤油つけあぶって食べるなどは道楽の一つかも知れない。松露ずしは更によいご馳走だ。


   == 乾瓢《かんぴょう》のはらわた汁 == 

 生産は兎角《とかく=とにかく》農家は総て自給自足は当然としたもので、浜でも蔬菜《そさい=野菜》類を始め西瓜《すいか》・乾瓢(夏子注:かんぴょう)の瓜類栽培は必ず農家では自家用として栽培した。

夏の夕方、明日は上天気だということになれば、大きい白い乾瓢を収穫して明朝早く日の昇らぬ中に乾瓢むき作業、先ず輪切りにしてかんぴょうむき器にかけて細長くむき出し、それを竿にかけて一日中干して普通料理にする乾瓢が出来上がるのであるが、最後にむき器にかからぬ残ったのを材料にして短冊切りにし、醤油吸物にする。

この時辛いとうがらしを忘れてはならない。たいてい昼食の際のご馳走で、汗を流して頂いたもので独特な農家の料理であった。

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