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その6 ★ 地引きあみ ★

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夏子

通常 その6 ★ 地引きあみ ★

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5
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2005/8/10 15:45
夏子  半人前   投稿数: 22
 「今日はキス・アジ・エビだがどがなかいナー(夏子注:どうですかー)」と声をかけるのは二人で竹籠(夏子注:タケカゴ)をかついだハチマキの漁夫さんだ。この二人は手ぐりといって沖の和田礁あたりまで出て魚とりし、十一時頃帰って村で走り歩く漁夫の毎日の行事だ。

 採れたての魚の味は海近く住む者の特権だ。浜の者はこんな魚を毎日食べている幸福者である。手ぐりの味は忘れられない。それと浜の地引網だ。

網元があって数人のたくましい漁夫が三櫓《ろ》立ての船に網を積み今かと待ち伏せていると、船頭が海辺に出て魚の「はみ」《=魚群》とみられる場所を探す。やがて網をおろすことを命ずると勇ましく沖へ漕《こ》ぎ、半円を描いて岸辺にかえって来て両方に分かれて引き上げる漁獲法だ。

 舟を海に出す頃一人の漁夫は板木《ばんぎ》をたたいて、村中に網をおろしたことを知らせ人集めにかかる。村人は板木の音を聴くと海岸に出て網元の指図で両方に分かれて網を引き出す。

急がずゆっくりエンヤエンヤと後すざりを何べんもくりかえして、大抵二・三時間かかれば魚袋が近くなる。

生きた魚ははねる、気勢は益々上がる。漁夫の笑顔はひとしお、岸辺は一段とにぎわしくなる。これが地引網の風景である。

とった魚は分け前といって地引網に手伝ったもの全員がそれ相当に分配せられ、残った魚は荷車《にぐるま=荷物運搬車》で何人かの漁夫で米子魚市場に運ぶ勇ましさは浜街道を賑わしたものであった。

     あたごまい唄

  一、 汲《く》めよ 汲め 汲め
    でんでん 汲めば
    いがな 大名も立ち止まる
    おお おもしろや
    はあ えんや えんや
  二、 (中略)
  三、 (中略)

を歌ってお礼参りは威勢のよいもので、その時には必ず赤い手拭《てぬぐい=ほぼ長さ90センチ、幅36センチの木綿の布》でハチマキしめて酔いふけるのだ。

 昭和の初め頃の春、鯖《さば》の大漁あり続いて「シビ」(まぐろの成魚)の大群が浜の海におし寄せ大漁の大騒ぎがあったことを想い出す。

沖から網でおしよせると二米(夏子注:メートル)位な大きな「シビ」が右方左方岸辺近くによせて来る。たくましい漁夫は真裸体《まはだか》になって海中に飛込んで飛びかき(消防用)で、ひっかけ、大きな槌《つち》で頭をなぐって仮死状態にして灘《なだ》端にあげる。海は血の海と化し全く戦場のようで威勢のよい男性的な風景が数日続き、景気のよい浜灘であったことがある。

 何時《いつ》頃までか賑った浜もだんだん鯖、鰯《いわし》漁も不漁となり、手ぐり漁、地引網等も姿が消え、今では観光用として、小さい地引網が残って昔の面影を残しているのは淋しい。

近海漁業は遠海漁業に移り、境港を根拠地として遠く船出し、年間漁獲水揚げ量約二十万トン、街は威勢のいいセリ市にはじまり、続々水揚げされる鮮魚は凡《およ》そ百台の大型保冷車で京阪、東京方面へ出荷されるという。

 昭和三十年頃に私は孫をつれて境港見学に出かけた処《ところ》、たまたま鯖船が盛んに鯖の荷揚げをやっている場面だ、顔知らぬ人が突然鯖五、六本もなげてくれたことがある。そこに居合わせた人には誰となくくれる風習は漁師の昔からの根性だ。少しでも人に与える心のゆとり、漁夫の純情、大声でどなりつける場と調和のとれた人情劇である。

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