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その12 ★ 新任教員 ★

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夏子

通常 その12 ★ 新任教員 ★

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2005/8/25 10:10
夏子  半人前   投稿数: 22
 鳥取歩兵第四十連隊に一年現役兵として入隊も大正十一年三月三十一日満期除隊となり、陸軍歩兵軍曹に昇任となって多くの村民達に迎えられて郷里に帰った。

 翌四月一日より教育界にその第一歩を踏み出した。入隊中は愛労小学校訓導(月俸《げっぽう=月給》四十円)として名簿上の配置であったので、愈々《いよいよ》実務としては中浜小学校訓導(月俸五十円)が初めての赴任となる。校長は鳥取師範附属小学校訓導より抜擢《ばってき=多くの中から引き抜くこと》された足立正一校長、学級数十四学級、当時は大規模校であった。

同日赴任訓導は黒川顕憲(後に米子工業高等学校長)、長曽初子、拙者《せっしゃ=自分》の三名、当時は近隣の学校には講堂(体育館)の設備がないのに、新築の大講堂で新任挨拶は如何《いか》にも教師となった感を深く印象づけた。

(中略)

 この大正時代は教授方法の一大変革期でもあって、コペルニクス的展廻《コペルニクスてきてんかい=天動説から地動説に変わった事に例えて、考え方が正反対に変わること》という当時の教育界の流行語が示すように、教授法あって以来の一大転換であった。即《すなわ》ち従来の教師本位の教授を児童本位の授業が尊重され、教育は教師のために行われるものでなく、児童のために行われるものであり、児童が学ぶに都合のよい形に改められねばならないと主張された。

自由主義的な新教育運動は当時の私立小学校を中心に展開されたが、官立《=国立》小学校では東京・広島・奈良の各高師《=旧制高等師範学校》附属小学校等が進んで新学習法の研究と実践の推進力となり教育界に一旋風を巻き起こした。

 大正十二年十二月奈良女高師附属小の新学習法研究発表講習会(一週間)に中浜小学校より派遣されこの講習に参加した。当西伯郡教育界よりも崎田茂信・金畑誠一等他六人参加し、地方教育振興のため気を吐いたのである。

(中略)

奈良女高師附属小の児童中心の新教育は西日本の教育名所として全国各地より参観人は押すな押すなの盛況でアメリカ流のプラグマチズムの思潮《しちょう=思想の傾向》を背景にした能率学習ともいうべきものであった。

この波紋は私達の身辺にも迫り、分団《=グループ》学習のため問題提起用の小黒板をバフン紙《=わらを材料とした粗末な厚紙》を墨で塗って作り、教室一杯につって問題を発表提示し、机の配列を討議型にして討議研究、尚《なお》文集を児童が編集して発行、図画展を学級独自で開催、運動競技の指導あれやこれや多忙の新任教師であった。

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