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「なぜ戦争を書くのか」など (雨森康男)

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編集者

通常 「なぜ戦争を書くのか」など (雨森康男)

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1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2007/3/9 8:47
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
自己紹介 93/08/31 22:10

 僕の簡単な経歴はパソコン通信10月号(9月18日発売)に掲載されますのでここでは触れません、復員以来ずっとアウトサイダーとして生きて来ましたから常識社会とは全く違った世界を歩き回ってました。市役所の臨時雇・電鉄会社の孫請《=下うけ仕事のそのしたうけ》の人夫・色物劇場の看板描き・ストリップ小屋の客引き・香具師《こうぐし=注1》のサクラ・興業師の先乗り・中学校の教師・カメラ店の店員・化粧品のセールス・自動車教習所の指導員・報道写真家・トラックの運転手・喫茶店・絵の教室…etc…。
 金が出来ればふらっと旅に出る、金がなくなればまた何処かで働く、仕事と言うのはあくまでも生きる手段で目的でも生きがいでも無かった。復員して渋谷の焼跡に立ったとき、僕は二度と何かのために生きようとはすまいと決心した。
植民地で生まれ育った僕には、親戚も友人もいない、その時僕の手にあったのは靴下一足の米と、缶詰2ケ、未払いの給与300円、それだけ。
 でも僕の生きざまがどうであれ、サラワティ島《注2》で全滅した兵士達の無念を、その声なき声は誰かが語り続けてゆかなければならない。これは生き残った者の義務ではないだろうかと思っています。

 注1 香具師=縁日など人の集まる所に露店を出し、興行や物売りを業としている人。てきや。
 注2 サラワティ島=ニューギニア島の北西部 この文の下方にサラテイのことも含め詳しく述べられております。

 ”悪魔”の サラテイ


なぜ戦争を書くのか  93/09/10 08:30

 今日まで何編かの記録をここに書いてきました、このフォーラムの方々はきっといったいこの男は何を考えてこんな事を書いてるのだ?と疑問を持たれているのではないかと思います。僕は自己紹介にも書いたように、戦後ずーっと完璧なまでのアウトサイダーとして生きてきました。その僕が戦争を記録すると言うのは僕の生き様とは全く無関係に、今もなおかの地に集骨されることなく屍《しかばね》を晒《さらし》している幾千幾万の英霊の、声なき声を、その叫びを、誰かが代わって伝えるのが僕に与えられた義務だと思ったからです。
 戦場には悲惨ばかりではなく、友情もあり、憎しみもあり、美しい物もあり、そして目をそむけたくなるような悲劇もあります。僕は戦場の全部を見てきた訳ではありませんから、ひたすら自分の知る範囲でここに記録してゆきます。
 どうか僕の意を汲んで頂いて、書かれたものの感想なり批判なりをお寄せ下さい

 サラテイ


お応えします  93/09/14 21:18

 自分では皆さんのコメントを読んだりプリントアウトできず、随分失礼をしました、友人の好意でやつと読むことが出来ましたのでご連絡します。
 さて、ペンギンさんの疑問サラワティ島ですが、ニューギニアの西、今のインドネシア領の西イリアンにソロン(この前飛行機が墜落して日本人2人が亡くなった所)から船で2時間ほど西に行った所にある島です、ここはウエブスターの百科辞典にも出ています、なぜか、ここはサゴ椰子の原産地で、世界三大瘴れい《しょうれい=機構・風土のために起こる伝染性の熱病・風土病》の地として有名だからです。因みにサラワティとはインドネシア語で悪魔と言う事です。山頭火《さんとうか=俳人自由律の句を詠む》の事はいずれペンギンさんとゆっくりお話しましょう。
 カッコウさん、パソコン通信の発売日は18日です、僕が間違って言ったのかも知れません、訂正します。予想に反し意外と穏やかな話しとのご感想ですが、日本の能楽や俳諧は序・破・急の展開を基本とします、その内破になり急になつてゆきます、ご期待を。
 さがみのさん、丁寧なご挨拶、痛み入ります、どこまで書けるか、これはもう僕の人生哲学とは全然関係の無い僕の義務のようなものです、パソコンはまだ旨くないのでぼつぼつ書いてゆきますから宜しく。


★朝鮮と僕  93/09/22 12:12

 いや驚きました、SETTONさん良く調べましたね、雨森芳州は中央公論社から「雨森芳州」の表題で新書が出ています。もっといいのは、もし滋賀県にでも
 行くことがありましたら、伊香郡の雨森村に雨森芳州記念館がありますから、そこへ行くときっと面白い発見がありますよ、北陸自動車道の木之元インターを降りて尋ねるとすぐ判ります。
芳州も医者の子として生まれましたが、僕も親父は医者でした。そして僕は朝鮮生まれの朝鮮育ち、芳州は朝鮮使の接待役で朝鮮語と中国語を良く話せた、言わば当時の第一級の外交官でした。なんとなくご先祖との因縁を感じます。
 僕は「暁の民」と言う原稿用紙500枚の小説を書きました、舞台は終戦直後の北朝鮮ですASAHIネットの人たちには読んで貰いましたが、皆さんの批評はとてもいいので、僕のライフワークのような物が評価されて喜んでいます。機会があったら出版したいものです。           

 サラテイ


僕の写真展  93/09/26 08:23

 9月18日から一週間、僕が昔銀座のニコンサロンでやった写真展の回顧展《かいこてん》を北海道の夕張市美術館でやってます。お近くの方はどうぞご覧になって下さい。
 テーマは東村山市のハンセン氏病患者を収容している「全生園」です。その後同じハンセン氏病患者だけで生活している韓国の「希望村」に行って、約1ケ月そこで一緒に生活しながら撮影をしましたが、これはアメリカの新聞社の依頼でしたのでフイルムが手元にありません、そしてそれを最後に写真家を辞めました。
 それからSETONさんはどこから情報を入手されたのか判りませんが、よくご存知で、確かに僕の妻は僕より27年下です。この年齢差だと見合い結婚じゃないのはお察しの通りです、でも22年も一緒に暮らしていると、年齢差なんか全く感じませんね、まあ普通の夫婦ですよ。えっ?何処で知り合ったのかって…、例のごとくふらふらっとシルクロード(ロシア領)の旅に出た時逢ったのです。
 どっちが口説いたかって? 50才の僕が23の娘を口説くはずないでしよう、人生色々あります、今日は日曜日、天気は上々、妻とオートバイでデイ・ツーリングに出かけます、妻もむろんオートバイに乗ります、2台でお出かけです。

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編集者 (代理投稿)

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