消えた軍隊 (雨森康男)
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「戦争を語り継ぐ」 (雨森康男) (編集者, 2007/3/9 8:43)
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「なぜ戦争を書くのか」など (雨森康男) (編集者, 2007/3/9 8:47)
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慰安婦よし子 (雨森康男) (編集者, 2007/3/9 9:00)
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雷 撃 (雨森康男) (編集者, 2007/3/9 9:01)
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ロザリーナ (雨森康男) (編集者, 2007/3/10 8:50)
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地獄への道 (雨森康男) (編集者, 2007/3/11 8:05)
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死神 (雨森康男) (編集者, 2007/3/12 8:30)
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さらばジャングル (雨森康男) (編集者, 2007/3/13 8:22)
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消えた軍隊 (雨森康男) (編集者, 2007/3/14 9:08)
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帰還 (雨森康男) (編集者, 2007/3/15 8:52)
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弟は手榴弾を抱いた (雨森康男) (編集者, 2007/3/16 8:02)
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編集者
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消えた軍隊 93/10/13 09:39
”悪魔の島”サラワティ島から脱出した部隊は2年振りにソロンに戻って来た、ここで復員船を待つのだ。
僕はかって機関砲の陣地だった丘に登り、遥《はる》か北の空を見た。あの懐かしい北斗星が、水平線すれすれにまるで海水を汲むように輝やき、びっしり空を埋めた星々が燦《きら》めく、その中に一際美しい南十字星が僕を見下ろしている。
なんと言う平和、なんと言う静けさ、僕はこの平和な星の許に瞑《ねむ》る多くの戦友を思い、泪が後から後から流れ出た。
そんなある日、東のジャングルから突然まるで幽鬼《ゆうき=幽霊》のような兵士が3人ふらふらと現れた。
今から僕が書くのは、ソロンの北東のマヌカリからここを目指して道なき道を
辿《たど》って来た彼らの物語を、彼らに代わって書きます、なぜか…この3人の内2人は到着して3日目に死に、残る1人は復員船に乗ってから瞑目《めいもく=安らかに死亡》した。もう彼らの壮絶《そうぜつ=きわめて勇ましく激しい》な「死の行軍」を語る者は一人もいないのです。
マヌカリからソロンへは、3000メートルのクォーカ山を挟んで直線で約250キロ、当然山越えは出来ないから迂回《うかい》しなければならない。そうすると実距離は400キロ近い、なぜマヌカリからソロンを目指したか、それは西イリアン地区の日本軍は、復員船の来るソロンに来なければ帰国出来ないからです。
彼らの部隊は命令の不徹底さから、完全軍装でマヌカリから行軍を開始した。なんと言う無謀、密林の道なき道を400キロ、完全軍装で踏破しようとは…これはもう自殺行為としか言い様が無い。それに兵隊達は飢餓と疫病《=悪性の伝染病》で衰弱しきっている、行軍を開始したとたんに3000人の兵士はばたばたと殪《たお》れていった。
「歩いていると兵隊が倒れているんです、そいつを跨《また》いで行こうにも軍装が重くて跨げないんです、仕方が無いから死体の手前で一つ一つ軍装を解いて向こう側に運び、今度はまた一つ一つ身に付けて歩きます、暫く行くとまた死体です、手の届く限り草一本無く、口の回りを泥だらけにして死んでいるんです、倒れても即死した訳ではないから、泥まで食って生きていたんです。
そこでまた軍装を解いて向こう側に運び、やっと死体を跨いで行くのです。わき道に回ってもいようなものですが、もうジャングルを伐り開いて行く体力もないし、下手に横道に入ろうものなら、何億年もの間に出来た腐葉土《ふようど》の底無し沼に呑まれてしまうのがおちです。
そんなことで先頭と最後尾では一週間の行程の違いがありました、360キロに3000人の死体、120メートルに一人の計算ですね」その兵隊の内2人は復員船に乗ることもなく死に、あとの一人は復員船の中で日本を目前にして死んで行った、こうして一ケ連隊が消えた。
サラテイ
”悪魔の島”サラワティ島から脱出した部隊は2年振りにソロンに戻って来た、ここで復員船を待つのだ。
僕はかって機関砲の陣地だった丘に登り、遥《はる》か北の空を見た。あの懐かしい北斗星が、水平線すれすれにまるで海水を汲むように輝やき、びっしり空を埋めた星々が燦《きら》めく、その中に一際美しい南十字星が僕を見下ろしている。
なんと言う平和、なんと言う静けさ、僕はこの平和な星の許に瞑《ねむ》る多くの戦友を思い、泪が後から後から流れ出た。
そんなある日、東のジャングルから突然まるで幽鬼《ゆうき=幽霊》のような兵士が3人ふらふらと現れた。
今から僕が書くのは、ソロンの北東のマヌカリからここを目指して道なき道を
辿《たど》って来た彼らの物語を、彼らに代わって書きます、なぜか…この3人の内2人は到着して3日目に死に、残る1人は復員船に乗ってから瞑目《めいもく=安らかに死亡》した。もう彼らの壮絶《そうぜつ=きわめて勇ましく激しい》な「死の行軍」を語る者は一人もいないのです。
マヌカリからソロンへは、3000メートルのクォーカ山を挟んで直線で約250キロ、当然山越えは出来ないから迂回《うかい》しなければならない。そうすると実距離は400キロ近い、なぜマヌカリからソロンを目指したか、それは西イリアン地区の日本軍は、復員船の来るソロンに来なければ帰国出来ないからです。
彼らの部隊は命令の不徹底さから、完全軍装でマヌカリから行軍を開始した。なんと言う無謀、密林の道なき道を400キロ、完全軍装で踏破しようとは…これはもう自殺行為としか言い様が無い。それに兵隊達は飢餓と疫病《=悪性の伝染病》で衰弱しきっている、行軍を開始したとたんに3000人の兵士はばたばたと殪《たお》れていった。
「歩いていると兵隊が倒れているんです、そいつを跨《また》いで行こうにも軍装が重くて跨げないんです、仕方が無いから死体の手前で一つ一つ軍装を解いて向こう側に運び、今度はまた一つ一つ身に付けて歩きます、暫く行くとまた死体です、手の届く限り草一本無く、口の回りを泥だらけにして死んでいるんです、倒れても即死した訳ではないから、泥まで食って生きていたんです。
そこでまた軍装を解いて向こう側に運び、やっと死体を跨いで行くのです。わき道に回ってもいようなものですが、もうジャングルを伐り開いて行く体力もないし、下手に横道に入ろうものなら、何億年もの間に出来た腐葉土《ふようど》の底無し沼に呑まれてしまうのがおちです。
そんなことで先頭と最後尾では一週間の行程の違いがありました、360キロに3000人の死体、120メートルに一人の計算ですね」その兵隊の内2人は復員船に乗ることもなく死に、あとの一人は復員船の中で日本を目前にして死んで行った、こうして一ケ連隊が消えた。
サラテイ
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編集者 (代理投稿)