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地獄への道 (雨森康男)

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通常 地獄への道 (雨森康男)

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1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2007/3/11 8:05
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
 地獄への道(1) 93/09/15 08:16

 ザンボアンガを出港した一万トンの敷設艦厳島は真直ぐビアク島に向かった。海上機動部隊と言うのは、軍艦に乗った陸軍の事を言う。当時3っの部隊があって第一機動部隊はその時既にアッツ島で全滅、やがて第三機動部隊も中部太平洋で玉砕、残ったのが我々第二機動部隊、通称「巡」部隊と呼ばれた独立旅団です。
 我々の最初の任務は、未だ日米両軍とも占領していないビアク島の占領だった、僕たちはそこを占拠して橋頭堡《きょうとうほ=注1》を確保し、後続の友軍が到着するとまた次の作戦に向かう、最も危険な任務を背負った部隊、つまり自殺部隊の名の由来である。
 さて、ビアク島に向かったものの、我々より米軍の方が先に占領していて、ブルトーザーであっと言う間に飛行場を作った米軍は、我々を餌食にしょうと襲って来た。護衛の駆逐艦が250キロ爆弾で真二つになって轟沈《ごうちん=注2》し、我々はやっとの思いでソロン港に逃げ込んだ。
 僕らは港を見おろす丘に高射機関砲を据《す》え、ほっと一息入れた時、米軍のB25爆撃機が怒涛《どとう》のように襲って来た。超低空で港の上空に進入するB25に、僕はほとんど水平に近い射角で撃った、砲の眼鏡を覗《のぞ》いてもとても敵機を捉《とら》える事は出来ない、そうなったら概略照準で撃つしか無い両腕で抱えるほどの狭い港は、敵機の爆撃で、まるで煮え沸《た》ぎる鍋《なべ》のようになって、何隻かの輸送船が次々に沈没していった。
 それはあっと言う間の事だった、厳島はいち早く出港していて難を逃れたが我々の食料を積んだ船は海の藻屑《もくず》と消えてしまった。
 これが僕たちの飢餓《きが》の始まりだった。


 地獄への道(2) 93/09/19 07:43

 ビアク作戦に失敗し、海軍にも見放されたた我々の部隊を、急きょソロンから更に西の、陸軍の飛行場のあるサラワティ島の警備に振り向けた。
 大発船で約2時間、一人頭2袋の乾パンを渡され、我々はこの島に放り出された。
 体のいい島流しだ、陸揚げされたのは兵器・弾薬だけ、おまけにここから出て行こうにも、一隻の船さえ無い。
 サラワティ…インドネシア語の「悪魔」と名付けられた孤島はそれこそ鳥も通わぬ、花一つ咲かない死の島、パプア人の姿さえ無かった。
 我々が上陸した時、3機のゼロ戦がいた、誘導路には双発の一式戦闘機もいた、それがなんとなくあたふたと飛び去って行った直後、米軍の四発のコンソリ爆撃機が編隊で襲って来た。なんと落として行く爆弾は総て一トン爆弾だ、こいつは凄い、飛行場にはばかばかと25メートルもの大穴が空き、飛行場沿いの誘導路とジャングルは数10メートルの炎に包まれた。
 飛行場は何の遮蔽《しゃへい=さえぎる役目をする》物もない、上からは丸見えだ、敵機の高度5000メートル、我々の20ミリ機関砲の有効射程距離は2500メートル、はなっから勝負にならない、僕は砲から離れて交通壕に伏せて目と耳を押え、襲撃の終わるのを待った。
 我々の守るべき飛行場は穴だらけのただの砂っ原にすぎない、穴を埋めるブルトーザー一つ無い我々はただの島流しの集団になってしまったのだ。
 大本営のなんと愚かな用兵よ、結果的に4000の墓場を作った事になった。
 敵は我々の姿がある限りしつこく襲って来るだろう、旅団長は高射砲と高射機関砲隊の陣地を残し、全部隊にジャングルへの退去を命じた。いよいよ地獄の三丁目への旅立ちである。

注1 橋頭堡=上陸地点を確保し、その後の作戦の足場とする
注2 轟沈=爆撃などを受けて瞬時に沈没すること
        

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編集者 (代理投稿)

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