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さらばジャングル (雨森康男)

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通常 さらばジャングル (雨森康男)

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1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2007/3/13 8:22
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
 さらばジャングル(1) 93/10/05 09:42

 死神が僕を迎えに来たのではないと判って、元気の出た僕は再び歩行練習を始めた。
 そんなある日突然海岸に出て行った松岡軍曹がやって来た、「生きていたのか…」 軍曹はまじまじと僕を見て驚いた表情で言った、生きていたのかとはご挨拶だ、軍曹は中隊長に命じられて僕の生死を確かめに来たのだ「どうだ、歩けるか」、僕は歩けますと答えてチラッと軍曹の腰に吊《つる》してあるピストルを見た、もし僕が歩けるような状態でなかったら、僕を射殺してジャングルに埋め、「奴は死んでいました」と報告すればいい、或は隊長にそう命令されてきたのかも知れない。  
 歩行練習をしていて本当に良かったと思った。
 僕たちの中隊長はそんな男だった。衛生兵の持っている薬品は総て隊長の管理下に置き、兵隊がどんなに苦しんでいても、絶対に薬も注射も与えなかった、戦闘になると指揮は須藤少尉に任せ、自分は病気と言って寝ていた。隊長と須藤少尉はひどく折り合いが合わなかった、自然ザンボアンガ以来須藤少尉と仲のいい僕は隊長に嫌われていた、須藤少尉の死んでしまったいま僕の味方は誰もいない。
 僕は松岡軍曹の後についてジャングルを海岸に向かった、雨は降っていないが雨合羽《かっぱ》を頭から被《かぶ》った、雨は降らなくてもヒルが降ってくる、ジャングルのヒルは凄い、シャツの上からでも血を吸いにくる、血を吸うだけ吸うと親指ほどの太さになる、そしてその傷口から潰瘍になるのだ。ヒルは30センチくらいなら体をバネにして飛びついてくる、体中ヒルに取り付かれありったけの血を吸われる。
 僕たちはやっとの思いでジャングルを抜け出た。


 さらばジャングル(2) 93/10/09 10:21

 ジャングルの湿地を抜けた僕の足が乾いた砂を捉えた、振り返る僕の眼にジャングルの昏《くら》い道がぽっかり口を開けているのが見える、そこにはもう死神の姿は無い、「死神さんサヨナラ、戦友たちよサヨナラ」、僕は心にそう呟《つぶや》いて先を行く軍曹の後を追った。
 戦争は終わっていた、その頃ここはオランダの植民地だったので、オランダ兵(インドネシア人の下士官)がやって来て武装解除をし、監視兵も置かずにさっさと引き上げて行った。
 視兵を置かなくても島全体が捕虜収容所みたいなもの、海の孤島からは翼でもない限り逃げようが無い。それにオランダはドイツに侵略され、亡命政府がロンドンにある謂《いわば敗戦国の状態、とても捕虜を養うだけの力は無かった。
 彼らは食料は自給自足せよと言って、狩猟のための小銃3挺とさつま芋の苗を残して引き上げて行った。
 海岸には太陽が燦々《さんさん》と輝き、海には魚が跳《は》ね、襲って来る飛行機も飢餓も死神も無かった。軍用の綿の靴下をほどいた糸で網を作り魚を捕り、畑を耕してさつま芋の苗を植え、マングロープの木に登って泳いでいるボラの鼻先に弾をぶち込んで、ひっくり返ったボラを捕まえる、ドラム缶を縦に切ってその中に海水を入れマングロープの枝を燃やして塩を採取した。
 まるでロビンソンクルーソのような毎日が続いた。戦争に負けて日本軍も解体され、当然僕たちを規制する階級もなくなっているはずなのに、オランダは捕虜《ほりょ》の掌握を容易にするために、復員船に乗船するまでは階級を温存する事を命じた。
 その時点で僕はやはり一等兵であり隊長は相変わらず僕を指揮する命令者に変わりはなかった。
 こんな奇妙なロビンソンクルーソの前にフライデーよろしく現地のパプア人が時々現れた、僕たちは彼らの全身にはびこっている疥癬《かいせん=伝染性の皮膚病》に薬を塗ってやった、薬と言っても何もないから、固形インクを水に溶かして塗る、不思議とこれが利くんですね、彼らは喜んで、薬のお礼だと言って魚を持ってきてくれた、なんとその中にジュゴン(人魚)の肉まであるのには驚いた。


 さらばジャングル(3) 93/10/12 05:41

 ある日パプアの人がジュゴン漁に連れて行ってくれた、ジュゴンを見つけると、カヌー5隻で遠巻にし、櫂《かい》で水面を叩き大声でジュゴンを海岸に追い込んで捕まえるのだ、僕は殺すところではとても見ておれなくて、鼈甲《べっこう》の肉だけをもらって帰った、ところがなんとこの鼈甲の肉たるや固くて煮ても焼いても食べられない、彼らはなんのまじないか知らないが、肉と一番上等な甲羅を取り、後はそっくり海岸の木の枝に吊した。
 この島はサゴ椰子の原産地、ウエブスター百科辞典にも出ている、だからサゴ澱粉《でんぷん》は豊富にある。僕たちはカヌーで川を遡《さかのぼ》り澱粉を採取に行く、湿地の中に聳《そび》えている椰子は、地上から1メートルの高さまで20センチもある刺《とげ》がびっしり生えている、この刺をうっかり踏もうものなら靴底まで貫く。斧で伐り倒し表面の硬い皮を剥《は》ぐと、中はポコポコした澱粉が一杯詰まっている、それを斧の頭で細かく叩いて川の水で漉《こ》すと立派な澱粉が採れる、それを椰子の葉で作った筒に入れて作業は終わる、この澱粉でうどんやパンを作って食べる。
 伐り倒したサゴ椰子の木に20日ばかり経って見に行くと、皮を剥《は》いでない中にサゴ虫の幼虫が這回っている、この親指ほどもある虫こそ第一のご馳走、生きたまま口に入れて食べる、皮は相当ひきが強いけれど、それを噛み破ると中からバターを溶かしたようなどろっとした液が流れ出る、その美味しいこと、これが一番の贅沢《ぜいたく》だった。
 そうこうしている内にいよいよ復員船の来るソロンへ行く時が来た。迎えの発動機船に乗り島を離れる時、僕はどうしても後ろを振り返る事が出来なかった戦友たちの一人一人の顔が浮かび、僕はボロボロ泪《なみだ》を流し心で詫《わ》びた。

                           サラテイ

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編集者 (代理投稿)

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