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私の戦時体験 (らくてん)・その5

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通常 私の戦時体験 (らくてん)・その5

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1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2007/11/29 9:17
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
 
 空襲  (1944-45)

 私の所は東京から北西に約80キロ離れていて、空襲《航空機による襲撃》には直接に被害は受けないものの、利根川の対岸約10キロの太田市に中島飛行機の主力工場があり、何度も空襲を目撃した。以下当時の日記には連日のように空襲の記録があるが、そのなかから主なものを拾って見よう。

昭19.11.01  マリアナ《注1》から出たB29《米国大型爆撃機》、1機が
            初めて東京上空に偵察に現れる。
  19.11.07  B29が2機、飛行機雲を引いて埼玉北部に現れる。
  19.11.24  B29が80機、突如として東京を初空襲。
  20.01.22  職場で竹槍訓練《竹槍を武器にした訓練》が始まる。
  20.02.10  太田市へ空襲の初体験。(B29)
  20.02.16  同じく太田市への空襲。(艦載機)《航空母艦搭載の飛行機》
  20.02.25  同じく太田市への空襲。(B29と艦載機)
            この日は皇居にも爆弾投下。
  20.03.10  東京大空襲。(B29)
            80キロ離れた我が地域からも黒煙が望見された。
  20.04.04  太田市へ夜間の大空襲 (B29)
  20.05.25~26  東京大空襲 (B29)
  20.08.14~15  熊谷の空襲 (B29)

 上記のうちからの日記を書き出してみる。(15才、字句はママ)

 『20.02.10  午後空襲となり数悌団《ていだん=注2》づつ
            10機内外にて約90機主と
            して太田方面に爆弾を投下した。敵2機一度に墜落した
            時は皆喚声をあげた。我戦闘機も体当たりせんと近付い
            て落ちるなど全く気の毒な場面も見せられた。太田付近
            より上る黒煙が高く風に流れて望見された。空襲の初体
            験であった。』

 『20.02.12  新聞に一昨日墜落したB29の写真が出てゐた。
            あの2機が群馬県邑楽郡の高島村に落ちたそうで付近の
            人で見に行くと言ってゐた人もあった。』

 『20.02.16  7時家を出ようとすると直ちに警戒警報が発令され、東
            部軍管区《陸軍が管轄する東部区域》情報は敵小型機
            数十機東方より近接しつつある
            事を伝へた。間もなく空襲警報。明らかに我近海の敵の
            有力なる機動部隊《注3》より放ったものである。遂に来たのだ。
            情報はよくわからなかったが幾度か解除になり又出たが
            午後突如敵約50機が太田方面を急降下爆撃するのが望
            見された。家へ帰って聴くと実に千数百機による波状攻
            撃は9時間に及んだ。一晩中警戒管制である。』

           (注、この時の空襲で私の従兄は太田の飛行機工場におり
            防空壕に避難したが爆弾の直撃を受けて重傷を負った。
            そして同じ壕に入っていた人の多くは死亡したとのこと)

注1.
南太平洋マリアナ諸島
注2.
軍隊区分で 大部隊をいくつかの部隊に区分した内の一部隊
注3.
航空母艦を中心に戦艦、巡洋艦、駆逐艦等による艦隊編成部隊

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