私の戦時体験 (らくてん)・その6
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私の戦時体験 (らくてん) (編集者, 2007/11/23 7:48)
- 私の戦時体験 (らくてん) その2 (編集者, 2007/11/24 8:01)
- 私の戦時体験 (らくてん)・その3 (編集者, 2007/11/25 9:04)
- 私の戦時体験 (らくてん)・その4 (編集者, 2007/11/26 8:06)
- 私の戦時体験 (らくてん)・その5 (編集者, 2007/11/29 9:17)
- 私の戦時体験 (らくてん)・その6 (編集者, 2007/11/29 9:18)
- 私の戦時体験 (らくてん)・その7 (編集者, 2007/11/29 9:22)
- 私の戦時体験 (らくてん)・その8 (最終回) (編集者, 2007/11/30 8:09)
編集者
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空襲 つづき (1945)
前回に続いて空襲体験を当時の日記から拾って見る。(16歳、字句はママ)
『20.02.25 どんよりとした雪雲は空一面に張り折角の日曜日を憂鬱に
してしまふ。朝食時突如として臨時放送に依る横鎮《よこちん
=海軍横須賀鎮守府》発表は
敵機動部隊の北上を伝へ間もなく警報は空襲を知らせ、艦
載機多数は数編隊に別れて各地に来った。10時頃であっ
たらうか関東東北部にあった敵は関東西北地区に来った。
高射砲弾の音のするほうを見ると来た来た小雀の様なのが
相当数弾幕を縫ひ群がり急降下する。と同時に地上より煙
が上がり、機銃掃射も聞きとれる。小型機による波状攻撃
と相まって午後はB29百数十機も京浜地区に来る。一部
は頭上にて数回爆音が聞える。3時頃より又もや雪が降り
出す。』
『20.02.26 昨日の敵機の来襲状況は艦載機約600機、午後主として
帝都に来襲したるB29は130機であり、それに関する
発表によるとB29の盲爆《目標も定めない爆撃》により
恐れ多くも宮中にも爆弾を投下したと事。
この仇いかで撃たざるべからず。』
『20.04.04 零時半警戒警報の音に目を醒ます。情報では敵多数機は
1時に本土到着の見込みと入った。空襲警報と間もなく太
田方面に於て物凄い爆発音と地響きで起床せざるを得なく
なった。見ると北方に照明弾が数発あかあかと照っている
のが見えた。その間にも爆発音と地響き、雲に反響する大
音響、爆発の光り、照明弾の輝きそして高射砲の音が交錯
して3時半頃に迄及んだ。利根川北方一帯の爆撃らしかっ
た。大火災も望見され、こんなことは初めての体験であっ
た。工場へ行っても一日中その話で持ち切りであった。朝
から雨にて春にも似ず冷たく寒気が身にしみて来る。』
また日記には記録がないが、はっきり覚えていることがあるので次に記す。
この年の暑い日、利根川の河原へ行って見ると、いくつもの焼夷弾《しょういだん=高熱と発火で総てを焼き払う目的の爆弾》の不発が落ちていた。中には裂けていてゼリー状のものがむき出しになっているのもあり、何かに使えるかと思って中から掬って拾って来たが何の役にも立たなかった。そして河川敷にある我が家の畑へ行って見たら、なんと不発弾が一つ落ちていた。その頃、爆弾の処理班など知らないから、自分で片付けるしかない。親戚の者を呼んできて二人で何十キロもあるのを肩に担いで川の近くの窪みに放り投げてきたが、本当に冷や汗ものだった。
ほかにも色々なことがあり、私の同級生は不発弾に向かって遠くから石を投げていたが当らないので段々近付き、近くから投げた石が信管に命中して爆発し、全身に大火傷を負うという事故があった。
少年の頃の仕業とはいえ、今から考えるとまったく無茶なことをしたものだ。
前回に続いて空襲体験を当時の日記から拾って見る。(16歳、字句はママ)
『20.02.25 どんよりとした雪雲は空一面に張り折角の日曜日を憂鬱に
してしまふ。朝食時突如として臨時放送に依る横鎮《よこちん
=海軍横須賀鎮守府》発表は
敵機動部隊の北上を伝へ間もなく警報は空襲を知らせ、艦
載機多数は数編隊に別れて各地に来った。10時頃であっ
たらうか関東東北部にあった敵は関東西北地区に来った。
高射砲弾の音のするほうを見ると来た来た小雀の様なのが
相当数弾幕を縫ひ群がり急降下する。と同時に地上より煙
が上がり、機銃掃射も聞きとれる。小型機による波状攻撃
と相まって午後はB29百数十機も京浜地区に来る。一部
は頭上にて数回爆音が聞える。3時頃より又もや雪が降り
出す。』
『20.02.26 昨日の敵機の来襲状況は艦載機約600機、午後主として
帝都に来襲したるB29は130機であり、それに関する
発表によるとB29の盲爆《目標も定めない爆撃》により
恐れ多くも宮中にも爆弾を投下したと事。
この仇いかで撃たざるべからず。』
『20.04.04 零時半警戒警報の音に目を醒ます。情報では敵多数機は
1時に本土到着の見込みと入った。空襲警報と間もなく太
田方面に於て物凄い爆発音と地響きで起床せざるを得なく
なった。見ると北方に照明弾が数発あかあかと照っている
のが見えた。その間にも爆発音と地響き、雲に反響する大
音響、爆発の光り、照明弾の輝きそして高射砲の音が交錯
して3時半頃に迄及んだ。利根川北方一帯の爆撃らしかっ
た。大火災も望見され、こんなことは初めての体験であっ
た。工場へ行っても一日中その話で持ち切りであった。朝
から雨にて春にも似ず冷たく寒気が身にしみて来る。』
また日記には記録がないが、はっきり覚えていることがあるので次に記す。
この年の暑い日、利根川の河原へ行って見ると、いくつもの焼夷弾《しょういだん=高熱と発火で総てを焼き払う目的の爆弾》の不発が落ちていた。中には裂けていてゼリー状のものがむき出しになっているのもあり、何かに使えるかと思って中から掬って拾って来たが何の役にも立たなかった。そして河川敷にある我が家の畑へ行って見たら、なんと不発弾が一つ落ちていた。その頃、爆弾の処理班など知らないから、自分で片付けるしかない。親戚の者を呼んできて二人で何十キロもあるのを肩に担いで川の近くの窪みに放り投げてきたが、本当に冷や汗ものだった。
ほかにも色々なことがあり、私の同級生は不発弾に向かって遠くから石を投げていたが当らないので段々近付き、近くから投げた石が信管に命中して爆発し、全身に大火傷を負うという事故があった。
少年の頃の仕業とはいえ、今から考えるとまったく無茶なことをしたものだ。