Re: 学徒出陣から復員まで
投稿ツリー
-
学徒出陣から復員まで (あんみつ姫, 2007/12/4 11:39)
-
Re: 学徒出陣から復員まで (あんみつ姫, 2007/12/4 11:39)
-
Re: 学徒出陣から復員まで (あんみつ姫, 2007/12/4 11:42)
-
Re: 学徒出陣から復員まで (あんみつ姫, 2007/12/4 11:44)
-
Re: 学徒出陣から復員まで (あんみつ姫, 2007/12/4 11:50)
-
Re: 学徒出陣から復員まで (あんみつ姫, 2007/12/4 11:54)
-
Re: 学徒出陣から復員まで (あんみつ姫, 2007/12/4 12:01)
- Re: 学徒出陣から復員まで (あんみつ姫, 2007/12/4 12:08)
-
Re: 学徒出陣から復員まで (あんみつ姫, 2007/12/4 12:01)
-
Re: 学徒出陣から復員まで (あんみつ姫, 2007/12/4 11:54)
-
Re: 学徒出陣から復員まで (あんみつ姫, 2007/12/4 11:50)
-
Re: 学徒出陣から復員まで (あんみつ姫, 2007/12/4 11:44)
-
Re: 学徒出陣から復員まで (あんみつ姫, 2007/12/4 11:42)
-
Re: 学徒出陣から復員まで (あんみつ姫, 2007/12/4 11:39)
あんみつ姫
居住地: メロウ倶楽部
投稿数: 485
哈爾浜学院 21期生 工藤 精一郎(1989年 記)
二月下旬だったと思うが、部隊に突然春季大演習に出動するという命令が下った。夜の点呼で編成が発表された。また関特演《かんとくえん=関東軍特殊演習(対ソ戦争の準備行動)》 か、いやそうではなさそうだ、蒼ざめた四年兵のガン太郎たちがひそひそ話し合い、貯めこんだ私物の始末に大童だった。翌朝、軍装検査、その数時間後に営庭に整列、そして部隊はあわただしく出動して行った。ぼくらの甲幹は残留組になり、荷物をトラックに積んで遼陽の貨物駅に運ぶ作業に従事した。そしてやはり同じ作業で来ていた三一八など他部隊のハルビンツィたちと、三カ月ぶりに顔をあわせた。やあ、元気かと、声をかけ合っただけではあったが、しかしそれで十分だった。
この出動がぼくには救いだった。ようやく天敵の鬼軍曹《おにぐんそう注1》から解放されたのである。そしてこの三カ月が地獄であっただけに、その後の軍隊生活はぼくにとって気楽なものになった。三月中旬にぼくら残留組はハルビンの孔子廟の近くの部隊に移った。二度と見ることはあるまいと思っていたハルビンである。藤原が新兵として入隊していた。中隊長が福島高商の出身で、ぼくは何度か彼の故郷の話をした。外出は一度もできなかったが、やはりなつかしいハルビンの空気であった。
四月下旬、幹部候補生たちは予備士官学校《注2》に入ることになり、成績のよい者は関東軍要員として延吉《えんきち=中国東北部吉林省延辺朝鮮自治州の都市》、成績の悪い者は南方要員として内地の教育隊に向うことになった。もちろん、ぼくは内地組にされた。奉天《ほうてん=中国東北部の現在の瀋陽》の、名称は覚えていないが、小学校の校庭に集結した。
その夥しい数にぼくは驚いた。
遼陽の師団に入ったぼくら満洲《まんしゅう注3》の学徒出陣組《がくとしゅつじんぐみ注4》だけだと思っていたら十一月の内地の学徒出陣組も多勢満洲に来ていたのだ。釜山から連絡船で下関に着くと、ここで熊本の西部軍教育隊組が別れた。ぼくらは中部軍教育隊で、姫路で別れ、福知山へ向った。五月上旬、福知山の中部軍教育隊に入った。町外れの高台にある古めかしい白壁の兵舎である。ぼくはやはり連隊砲中隊、歩兵中隊に瑠璃垣、機関銃中隊に露崎がいたが、ほとんど会うことはできなかった。
全員が候補生で、いやな下士官がいないので、しかも関東軍の猛訓練に比べると、演習はあそびみたいなもので、むしろ楽しく、ばくは反動でめきめき太った。日本原から鳥取までの三日間の行軍、中国山脈内の清流や戦争など知らないようなのどかな村々、二度の民家宿泊、更に宇品での船舶訓練などが、楽しく思い起こされる。そして数日留守にしてもどった兵舎の猛烈な南京虫《なんきんむし=吸血性の寄生虫で台湾トコジラミとも言われていた》の攻撃はすさまじいもので、みんな悲鳴を上げ、毛布を抱いて外にとび出したものだった。
さて七月下旬、文科系学生(候補生)撲滅論の恐ろしい噂が流れた。教育隊は特甲幹《とくこうかん 注5》の教育に明け渡し、文科系出身の候補生の残り三カ月の教育は南方の前線で実地に行おうというのである。要するに、口先だけ達者な文科系の連中は、前線で弾丸よけになるくらいしか役に立たんというのだ。
七月末の三日間、営内で家族との面会が許された。南方へ行けば、帰れる見込みはまずない。家族との最後の別れである。ぼくのところへは両親と弟が仙台からはるばるやって来た。ハルビン学院の二年生の夏に帰ったきりだから、三年ぶりだ。支給された軍装から、ぼくら満洲と縁の深い百名ほどが満州行きとわかった。あとの千数百人は南方である。よかった、満洲なら大丈夫だと、両親は安心してもどって行った。 (つづく)
注1 兵の教育や分隊長を務める為 叱咤激励し隊員の士気と秩序維持を担っている厳格な畏敬の言葉
注2 下級将校不足を補う為 予備役将校を養成する教育機関
注3 1932~1945中国東北部に我が国の国策で建国された満州国があった
注4 1943年12月旧制大学高等専門学校学生を学業半ばで学窓から軍隊に徴兵した
注5 特別幹部候補生で学徒出陣者を対象に初年兵教育を排除し短期間での将校養成される者
二月下旬だったと思うが、部隊に突然春季大演習に出動するという命令が下った。夜の点呼で編成が発表された。また関特演《かんとくえん=関東軍特殊演習(対ソ戦争の準備行動)》 か、いやそうではなさそうだ、蒼ざめた四年兵のガン太郎たちがひそひそ話し合い、貯めこんだ私物の始末に大童だった。翌朝、軍装検査、その数時間後に営庭に整列、そして部隊はあわただしく出動して行った。ぼくらの甲幹は残留組になり、荷物をトラックに積んで遼陽の貨物駅に運ぶ作業に従事した。そしてやはり同じ作業で来ていた三一八など他部隊のハルビンツィたちと、三カ月ぶりに顔をあわせた。やあ、元気かと、声をかけ合っただけではあったが、しかしそれで十分だった。
この出動がぼくには救いだった。ようやく天敵の鬼軍曹《おにぐんそう注1》から解放されたのである。そしてこの三カ月が地獄であっただけに、その後の軍隊生活はぼくにとって気楽なものになった。三月中旬にぼくら残留組はハルビンの孔子廟の近くの部隊に移った。二度と見ることはあるまいと思っていたハルビンである。藤原が新兵として入隊していた。中隊長が福島高商の出身で、ぼくは何度か彼の故郷の話をした。外出は一度もできなかったが、やはりなつかしいハルビンの空気であった。
四月下旬、幹部候補生たちは予備士官学校《注2》に入ることになり、成績のよい者は関東軍要員として延吉《えんきち=中国東北部吉林省延辺朝鮮自治州の都市》、成績の悪い者は南方要員として内地の教育隊に向うことになった。もちろん、ぼくは内地組にされた。奉天《ほうてん=中国東北部の現在の瀋陽》の、名称は覚えていないが、小学校の校庭に集結した。
その夥しい数にぼくは驚いた。
遼陽の師団に入ったぼくら満洲《まんしゅう注3》の学徒出陣組《がくとしゅつじんぐみ注4》だけだと思っていたら十一月の内地の学徒出陣組も多勢満洲に来ていたのだ。釜山から連絡船で下関に着くと、ここで熊本の西部軍教育隊組が別れた。ぼくらは中部軍教育隊で、姫路で別れ、福知山へ向った。五月上旬、福知山の中部軍教育隊に入った。町外れの高台にある古めかしい白壁の兵舎である。ぼくはやはり連隊砲中隊、歩兵中隊に瑠璃垣、機関銃中隊に露崎がいたが、ほとんど会うことはできなかった。
全員が候補生で、いやな下士官がいないので、しかも関東軍の猛訓練に比べると、演習はあそびみたいなもので、むしろ楽しく、ばくは反動でめきめき太った。日本原から鳥取までの三日間の行軍、中国山脈内の清流や戦争など知らないようなのどかな村々、二度の民家宿泊、更に宇品での船舶訓練などが、楽しく思い起こされる。そして数日留守にしてもどった兵舎の猛烈な南京虫《なんきんむし=吸血性の寄生虫で台湾トコジラミとも言われていた》の攻撃はすさまじいもので、みんな悲鳴を上げ、毛布を抱いて外にとび出したものだった。
さて七月下旬、文科系学生(候補生)撲滅論の恐ろしい噂が流れた。教育隊は特甲幹《とくこうかん 注5》の教育に明け渡し、文科系出身の候補生の残り三カ月の教育は南方の前線で実地に行おうというのである。要するに、口先だけ達者な文科系の連中は、前線で弾丸よけになるくらいしか役に立たんというのだ。
七月末の三日間、営内で家族との面会が許された。南方へ行けば、帰れる見込みはまずない。家族との最後の別れである。ぼくのところへは両親と弟が仙台からはるばるやって来た。ハルビン学院の二年生の夏に帰ったきりだから、三年ぶりだ。支給された軍装から、ぼくら満洲と縁の深い百名ほどが満州行きとわかった。あとの千数百人は南方である。よかった、満洲なら大丈夫だと、両親は安心してもどって行った。 (つづく)
注1 兵の教育や分隊長を務める為 叱咤激励し隊員の士気と秩序維持を担っている厳格な畏敬の言葉
注2 下級将校不足を補う為 予備役将校を養成する教育機関
注3 1932~1945中国東北部に我が国の国策で建国された満州国があった
注4 1943年12月旧制大学高等専門学校学生を学業半ばで学窓から軍隊に徴兵した
注5 特別幹部候補生で学徒出陣者を対象に初年兵教育を排除し短期間での将校養成される者
--
あんみつ姫