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Re: 学徒出陣から復員まで

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あんみつ姫

通常 Re: 学徒出陣から復員まで

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2007/12/4 11:54
あんみつ姫  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 485
                   工 藤 精一郎(1990年 記)
小月で終戦、直ちに復員

 小月で小隊付士官として、頭上の空中戦を見物したり、毎夜食用蛙の鳴き声に悩まされたり、干潟でシャコとりをしたりしながら、のんびり暮らし、八月十五日の終戦を迎えた。地下要塞のような司令部作戦本部の無線室勤務で、八月初めからポツダム宣言をめぐるやりとりをキャッチしていたので、終戦は別に驚かなかった。

福岡の原隊から現地解散の命令を受け、ぼくは関東方面に帰る四名ほどの兵隊たちと、小月の駅は大混雑だと聞いたので、隣りの埴生の駅に向った。

 ここで話は前後するが、広島原爆のことにちょっとふれる。広島に出張していて、危うく難を逃れ、もどってきた将校から、司令部で報告を聞いた。本部で連絡業務を終え、疲れているからと、とめられるのを振り切って、壕舎にもどったとたんに、そのすごい爆発音を聞き、何事かと思って出てみると、つい今しがたまでいた建物がなくなっており、空に巨大なキノコ雲がゆっくりとひろがり、飛行場のはずれの方から大勢のボロを下げた人々や裸の人々が何かわめきながら、くもの子をちらしたように走ってくる。しばらくは何が起ったのかわからなかったという。

この話を聞いた時点ではまだ原爆とは判らなかった。次いで長崎、ソ連参戦、ぼくはポツダム宣言《注》受諾は時間の問題と見て、もう軍隊から解放されたら、何をしようかと考えていた。

 ぼくらは埴生駅で、駅長の親切で停車時間をのばしてもらい、ようやく列車に乗りこんだ。ところが、この列車は広島止まりだった。ぼくらはホームだけが残った広島駅に下り立ち、茫然としてあたりを見まわした。まわりの山は焼け焦げて、赤茶色だ。町は全体が焼野原で、馬も牛も死んでしまったので、兵隊たちが荷車をひいて、ノロノロと何かをどこかに運んでいる。学院一年の夏休み、木元の家に泊まったことを思い出した。河岸の家だった。市内だしまわりの山々まで焼けているのだ、もう跡形もないだろう。家族の人々のあの時の姿が思い出されて、胸が痛くなった。

 ばんやりしていると、上りの列車が入ってきた。東京行きだという。復員兵《ふくいんへい=兵役を解除され帰国する兵》が鈴鳴りで、とても乗りこむすきはない。あきらめかけていると、工藤見習士官殿じゃありませんか、という何人かの叫び声を聞いた。見ると、目の前の窓から福岡の原隊の兵士たちが手を振っている。この列車は福岡発だった。兵士たちはぼくらを窓からひっぱり上げてくれた。彼らがいなかったら到底乗れなかったろう。

 ぼくは士官だ。この一カ月で兵の指導には慣れている。ぼくは客席のアームの上に立って、通路に雑然と重ねられていた荷物をきちんと並べて積み上げさせて、ところどころに坐れるような場所をつくらせ、座席は三人掛けにした。兵士たちはこういうことには慣れていて、てきぱきと行動した。これも原隊の兵たちだからできたことだが、いずれにしても運がよかった。

こうしてみんなにそれぞれ掛けさせると、ぼくが立っていたアームのそばの席がひとつ空いた。
ぼくはこれは余徳だなとてれかくしを言って、座った。
                   (つづく)

注 ベルリン郊外のボツダムにおいて 米英中三国が 日本に対し 無条件降伏の宣言を 1945年7月26日に 行なった

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あんみつ姫

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