Re: 学徒出陣から復員まで
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学徒出陣から復員まで (あんみつ姫, 2007/12/4 11:39)
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Re: 学徒出陣から復員まで (あんみつ姫, 2007/12/4 11:39)
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あんみつ姫
居住地: メロウ倶楽部
投稿数: 485
哈爾浜学院 21期生 工藤 精一郎(1990年 記)
十二月下旬、卒業間際にはじめて外出許可が出た。昨年の十二月一日入隊以来のはじめての外出許可である。ぼくは新京に行って、内藤を訪ねた。彼は壁一面のロシア語の本にかこまれて暮らしていた。今は軍隊にいるが、ここがぼくの就職先であった。ぼくはもうじき教育隊を卒業して、新京に赴任すれば(一年間のまわり道もさせられたが)、こういう生活ができるのだと、大きな希望に胸をふくらませた(そういうことにはならなかったが)。作間に置手紙をして、内藤と駅に向った。作間がかけつけてくれて、短い間だが、会うことができた。
原隊、奉天郊外の飛行場大隊で新年を迎えた。そして数日後、仙台飛行学校への入隊を命ずという命令がきた。仙台には父が勤めている。新京へはまた半年のまわり道だが、仙台は悪くない、とぼくは思った。ぼくら七名ほどの見習士官は奉天を発って仙台に向った。
ここでまたぼくの放馬癖が出た。入隊式の前日に着くとして、二日ほど余裕がある。一行の中に東京出身者がいたので、彼の家に一泊することになった。ぼくは家が福島にあるので、福島に一泊し、翌日福島駅から彼らの列車に乗りこむことにした。予告をせずに突然帰ったので母は驚くやら善ぶやらであたふたした。四年ぶりのわが家だった。
翌日無事に仲間と合流し、仙台飛行学校に将校学生として入隊した。中隊長は、例によって到着予定が一日おくれたことに文句を言ったが、入校式にはおくれていないので、またしても予測どおり事なきをえた。
ここでの六カ月は、教育は主にトトツーの通信教育だし、実地の架線教育で外に出ることも多く、家が近いので面会日には欠かさずに母か父が来てくれたし、まあ気楽な毎日だった。仲間には文学青年や哲学青年もいて、文学や人生について語り合う夜のひとときもあった。
沖縄が落ち、仙台が空襲された。東京出身者の父母たちが、空襲で家を焼かれて近くに移って来た。おまえのとこもか、おれのとこもやられた、というような話が仲間たちの間でひんぱんに聞かれるようになった。卒業が近づくと任地が心配になるものだが、ぼくは新京にもどることがきまっていたので、のんきだった。
ところがである。ここでもぼくは運命を感じざるをえない。任地発表の前日に東京の航空本部が空襲を受け、書類が焼けてしまったのである。
急遽飛行学校本部で任地を決定することになった。ぼくら十名ほどが高田に赴任することになった。越後の高田である。満洲などまったく知らぬ者が、たしか五名ほど、満洲赴任になったが、あとで聞いたところによると、着いたとたんに終戦になったということである。
九州赴任組が多く熊本出身の区隊長に引率されて出発した。ぼくらはその一行と東京で別れた。高田に着くと、知らぬ土地で、別に放馬して見るところもなさそうなので、まっすぐに連隊に入った。
本部で聞くと、ぼくらが赴任する命令は受けていないという。そして調べてくれて、それはハカタのまちがいで、ツートトトのトが一つ脱落《注1》 していたことがわかった。ちょうどこの隊から五十名ほどそちらへ行くので、引率してくれという。ぼくは一刻も急ぐのでそれはできないとことわり、押問答の未、ぼくらが命令どおり高田の連隊に到着したという証明をもらって、あわてて連隊を出た。
またしても放馬癖が出た。今度は証明書があるからこっちのものだ。ぼくらはひとまず駅前の宿屋に入って相談することにした。ぼくが最古参で、次の期の、またその次の期の見習士官もいる。若い見習士官の一人に、福岡の近くの大きな農家の息子がいた。それぞれ自分の家に寄り、三日後に彼の家に集まることにした。ぼくは逆もどりになるし、父母とは仙台で何度も会っているので、彼と同行し、彼の家でみんなを待つことにした。のんきな汽車の旅をつづけた。将校勤務の見習士官だ。憲兵《けんぺい 注2》に見とがめられることもない。
(つづく)
注1 無線通信符号(モールス符号)で タ=ツート(-・) ハ=ツートトト(-・・・)となり 高田のタと博多のハ の発信間違いか 受信間違いか 博多が正しければ トトの短符符号が 二つ脱落している事となる
注2 平時では軍隊内部の秩序 規則の維持 戦時では交通整理や捕虜の取り扱いの業務を行なう 兵科である
十二月下旬、卒業間際にはじめて外出許可が出た。昨年の十二月一日入隊以来のはじめての外出許可である。ぼくは新京に行って、内藤を訪ねた。彼は壁一面のロシア語の本にかこまれて暮らしていた。今は軍隊にいるが、ここがぼくの就職先であった。ぼくはもうじき教育隊を卒業して、新京に赴任すれば(一年間のまわり道もさせられたが)、こういう生活ができるのだと、大きな希望に胸をふくらませた(そういうことにはならなかったが)。作間に置手紙をして、内藤と駅に向った。作間がかけつけてくれて、短い間だが、会うことができた。
原隊、奉天郊外の飛行場大隊で新年を迎えた。そして数日後、仙台飛行学校への入隊を命ずという命令がきた。仙台には父が勤めている。新京へはまた半年のまわり道だが、仙台は悪くない、とぼくは思った。ぼくら七名ほどの見習士官は奉天を発って仙台に向った。
ここでまたぼくの放馬癖が出た。入隊式の前日に着くとして、二日ほど余裕がある。一行の中に東京出身者がいたので、彼の家に一泊することになった。ぼくは家が福島にあるので、福島に一泊し、翌日福島駅から彼らの列車に乗りこむことにした。予告をせずに突然帰ったので母は驚くやら善ぶやらであたふたした。四年ぶりのわが家だった。
翌日無事に仲間と合流し、仙台飛行学校に将校学生として入隊した。中隊長は、例によって到着予定が一日おくれたことに文句を言ったが、入校式にはおくれていないので、またしても予測どおり事なきをえた。
ここでの六カ月は、教育は主にトトツーの通信教育だし、実地の架線教育で外に出ることも多く、家が近いので面会日には欠かさずに母か父が来てくれたし、まあ気楽な毎日だった。仲間には文学青年や哲学青年もいて、文学や人生について語り合う夜のひとときもあった。
沖縄が落ち、仙台が空襲された。東京出身者の父母たちが、空襲で家を焼かれて近くに移って来た。おまえのとこもか、おれのとこもやられた、というような話が仲間たちの間でひんぱんに聞かれるようになった。卒業が近づくと任地が心配になるものだが、ぼくは新京にもどることがきまっていたので、のんきだった。
ところがである。ここでもぼくは運命を感じざるをえない。任地発表の前日に東京の航空本部が空襲を受け、書類が焼けてしまったのである。
急遽飛行学校本部で任地を決定することになった。ぼくら十名ほどが高田に赴任することになった。越後の高田である。満洲などまったく知らぬ者が、たしか五名ほど、満洲赴任になったが、あとで聞いたところによると、着いたとたんに終戦になったということである。
九州赴任組が多く熊本出身の区隊長に引率されて出発した。ぼくらはその一行と東京で別れた。高田に着くと、知らぬ土地で、別に放馬して見るところもなさそうなので、まっすぐに連隊に入った。
本部で聞くと、ぼくらが赴任する命令は受けていないという。そして調べてくれて、それはハカタのまちがいで、ツートトトのトが一つ脱落《注1》 していたことがわかった。ちょうどこの隊から五十名ほどそちらへ行くので、引率してくれという。ぼくは一刻も急ぐのでそれはできないとことわり、押問答の未、ぼくらが命令どおり高田の連隊に到着したという証明をもらって、あわてて連隊を出た。
またしても放馬癖が出た。今度は証明書があるからこっちのものだ。ぼくらはひとまず駅前の宿屋に入って相談することにした。ぼくが最古参で、次の期の、またその次の期の見習士官もいる。若い見習士官の一人に、福岡の近くの大きな農家の息子がいた。それぞれ自分の家に寄り、三日後に彼の家に集まることにした。ぼくは逆もどりになるし、父母とは仙台で何度も会っているので、彼と同行し、彼の家でみんなを待つことにした。のんきな汽車の旅をつづけた。将校勤務の見習士官だ。憲兵《けんぺい 注2》に見とがめられることもない。
(つづく)
注1 無線通信符号(モールス符号)で タ=ツート(-・) ハ=ツートトト(-・・・)となり 高田のタと博多のハ の発信間違いか 受信間違いか 博多が正しければ トトの短符符号が 二つ脱落している事となる
注2 平時では軍隊内部の秩序 規則の維持 戦時では交通整理や捕虜の取り扱いの業務を行なう 兵科である
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あんみつ姫