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東京の小学生が見た「ニ、ニ六事件」・その2 大正生まれの Y

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通常 東京の小学生が見た「ニ、ニ六事件」・その2 大正生まれの Y

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2008/5/23 8:42
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 (6) 母が「お父さんが出かけてから、ずっとラジオをつけているけど9時頃に5分ぐらいかしら、音楽が流れて何か云うのかと思ったら、そのまま何も云わないの」と父に告げ、することがないので早昼食として茶の間の火鉢を囲み焼いた豆餅を皆で食べた。

 (7) 当時の子どもには娯楽的なものが極端に少なかったので、小5、小6ぐらいになると政治のことには耳が早かった。「兵隊さんのトラックが2台も荻窪の方へ行ったの?」「どうせ又暗殺事件かクーデターだろう。明日になれば分かることさ。誰かが殺され内閣が変わる。近頃の軍の暴れ放題にも困ったもんだ―――」と父が云った。

 (8) 父のいう通りなのだ。私が生まれてから満10才と3か月にもならぬ間に首相が13名交代しているのだ。然も私が4才の時、浜口首相が狙撃され翌年死去。犬養首相も6才の時射殺され、今回も岡田首相の射殺未遂と3名の方が事件に巻き込まれ、そのほかにも私が4才の1930年(昭和5年)の3月事件、10月事件はいずれも当時の首相射殺が前提の事件で発覚が早くて不成功に終わった。こういうことが新聞の一面に事件の概要と関係者の名とともに記事として載るのでその辺は分かっている。
 『お前は知らないだろうが、五年ほど前にーーー』と父が話し始めると必ず新聞に載った公式記事と裏話が始まるのである。そして学校の休み時間には、級友が各自家庭で聞かされた特ダネと得意気に放言するので算数より国語より、政界、国際、財界、軍閥のからくりの話の法が耳丈で暗記できるので熱心になってしまうのである。

 (9) ただ、1932年(昭和7年)(6才)の五・一五事件については、ニ、ニ六事件の際、4年前のこととして父から聞かされたが子どもだてらになぜ海軍の将校達が陸軍士官学校の生徒を引き連れて首相官邸、警視庁、内大臣官邸(現宮内庁)、日本銀行、政友会本部を襲撃して犬養首相を射殺。混乱の中、大川周明首相のもと右翼政権樹立を目指したかが分からぬ。軍人は全員逮捕処刑されたと云うが
 (イ)陸軍は当日前夜何をしていたか?
 (ロ)計画立案者井上日召日蓮宗僧侶と資金援助者大川周明は何故処刑されなかったのか?
 を父に質問したが「子供に説明するには一寸難しい」で終わり、今でもこの事件についてはよく知らぬ。大川周明は昭和32年に、井上日召は昭和42年に死去している。

 母が突然「五・一五事件のとき、農民が反乱軍に味方して一揆を起こし多摩の変電所が火事になり3日間も停電が続いて往生したんだからーーー」といい、停電の話に代わって行った。

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