東京の小学生が見た「ニ、ニ六事件」・その8 大正生まれの Y
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東京の小学生が見た「ニ、ニ六事件」・その1 大正生まれの Y (編集者, 2008/5/20 20:43)
- 東京の小学生が見た「ニ、ニ六事件」・その2 大正生まれの Y (編集者, 2008/5/23 8:42)
- 東京の小学生が見た「ニ、ニ六事件」・その3 大正生まれの Y (編集者, 2008/5/26 8:25)
- 東京の小学生が見た「ニ、ニ六事件」・その4 大正生まれの Y (編集者, 2008/5/29 10:07)
- 東京の小学生が見た「ニ、ニ六事件」・その5 大正生まれの Y (編集者, 2008/5/31 9:19)
- Re: 東京の小学生が見た「ニ、ニ六事件」・その6 大正生まれの Y (編集者, 2008/6/5 8:11)
- Re: 東京の小学生が見た「ニ、ニ六事件」・その7 大正生まれの Y (編集者, 2008/6/7 8:04)
- 東京の小学生が見た「ニ、ニ六事件」・その8 大正生まれの Y (編集者, 2008/6/11 7:59)
- Re: 東京の小学生が見た「ニ、ニ六事件」・最終回 大正生まれの Y (編集者, 2008/6/15 8:36)
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4.事件から3日後(2月29日)
(1) 29日朝から「兵に告ぐ」のラジオ放送はあったようだか、私は午後3時のニュースで聞いた。戒厳司令官から命令の放送伝達の指示があったので読み上げるということで内容は次の通り。これはすでに公表されているものである。
兵に告ぐ
敕命が發せられたのである。既に 天皇陛下の御命令が發せられたのである。お前逹は上官の命令を正しいものと信じて絶對服從して誠心誠意活動してきたのであらうが既に 天皇陛下の御命令によつてお前逹は皆復歸せよと仰せられたのである。此上お前逹が飽く迄も抵抗したならば夫は敕命に叛抗することになり逆賊とならなければならない。正しいことをしてゐると信じてゐたのにそれが間違つて居たと知つたならば徒らに今迄の行き懸りや義理上から何時までも叛抗的態度を取つて 天皇陛下に叛き奉り逆賊としての汚名を永久に受けるやうなことがあつてはならない。今からでも決して遲くはないから直に抵抗をやめて軍旗の下に復歸する樣にせよ。さうしたら今までの罪を許されるのである。お前逹の父兄は勿論のこと國民全體もそれを心から祈つて居るのである。速やかに現在の位置を棄てて歸つてこい。
戒巖司令官 香椎中將
(この「兵に告ぐ」は、NHKの愛宕山放送局から中村茂アナウンサーにより放送された。)
(2)父が帰宅して「昼休みに丸ビルの屋上から四方を見渡したら溜池方面と品川方面、四谷方面に大きなアドバルーンが2-3本ずつあがっていて、気球の下には、帰順を促す言葉が書いてあったといっていた。
父は「お昼のニュース」と「午後3時のニュース」は会社のラジオで聞いたそうだ。
また、父は「同じ陸軍省が3日前には決起部隊の誠意は天聴に達せられありーーーといっていたが、天聴に達するという事は、まず内閣が同意し、枢密院が同意し、内大臣から奏上して天皇がご承知されたーーーという事で同じ陸軍省が3日以内に撤収せよとはならないわけだ。右についたり、左についたりーーー腰抜け集団だ!」と独り言を云っていたが、母も僕も聞くだけで背景が分からないから質問のしようもなかった。父は明日中に戒厳令は解除になるだろうと云っていた。
(1) 29日朝から「兵に告ぐ」のラジオ放送はあったようだか、私は午後3時のニュースで聞いた。戒厳司令官から命令の放送伝達の指示があったので読み上げるということで内容は次の通り。これはすでに公表されているものである。
兵に告ぐ
敕命が發せられたのである。既に 天皇陛下の御命令が發せられたのである。お前逹は上官の命令を正しいものと信じて絶對服從して誠心誠意活動してきたのであらうが既に 天皇陛下の御命令によつてお前逹は皆復歸せよと仰せられたのである。此上お前逹が飽く迄も抵抗したならば夫は敕命に叛抗することになり逆賊とならなければならない。正しいことをしてゐると信じてゐたのにそれが間違つて居たと知つたならば徒らに今迄の行き懸りや義理上から何時までも叛抗的態度を取つて 天皇陛下に叛き奉り逆賊としての汚名を永久に受けるやうなことがあつてはならない。今からでも決して遲くはないから直に抵抗をやめて軍旗の下に復歸する樣にせよ。さうしたら今までの罪を許されるのである。お前逹の父兄は勿論のこと國民全體もそれを心から祈つて居るのである。速やかに現在の位置を棄てて歸つてこい。
戒巖司令官 香椎中將
(この「兵に告ぐ」は、NHKの愛宕山放送局から中村茂アナウンサーにより放送された。)
(2)父が帰宅して「昼休みに丸ビルの屋上から四方を見渡したら溜池方面と品川方面、四谷方面に大きなアドバルーンが2-3本ずつあがっていて、気球の下には、帰順を促す言葉が書いてあったといっていた。
父は「お昼のニュース」と「午後3時のニュース」は会社のラジオで聞いたそうだ。
また、父は「同じ陸軍省が3日前には決起部隊の誠意は天聴に達せられありーーーといっていたが、天聴に達するという事は、まず内閣が同意し、枢密院が同意し、内大臣から奏上して天皇がご承知されたーーーという事で同じ陸軍省が3日以内に撤収せよとはならないわけだ。右についたり、左についたりーーー腰抜け集団だ!」と独り言を云っていたが、母も僕も聞くだけで背景が分からないから質問のしようもなかった。父は明日中に戒厳令は解除になるだろうと云っていた。