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Re: 東京の小学生が見た「ニ、ニ六事件」・最終回 大正生まれの Y

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通常 Re: 東京の小学生が見た「ニ、ニ六事件」・最終回 大正生まれの Y

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2008/6/15 8:36
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 3月になって

 (3)父は夕刊を母や私、ねえやさんに声を出して読んで聞かせた。

 (4)その後で、父が云った。「今までのクーデターと同じ事で天皇をお味方に頂いて先ず内閣の設計図を作り、首班を決めて青年将校が4-5名で首班候補の私邸に行き、本人の就任確約と主要ポストにつくべき要人方の確約をもらう。この手順を踏まずして事件を起こす将校など居るものか。然も首都を守る第一師団の第一連隊と第三連隊の士官であれば大尉で30歳、小、中尉で24-5歳とはいえその辺の分別は充分にある筈だ。結局年寄りに騙されたわけだ。いつもこれだ」

   一言で言えば「騙されたのは兵ではなき、若手将校が老獪な将軍どもに騙された」ということのようだ。

 (5)この事件の首謀者といわれている安藤輝三大尉について、M学園のクラスメイトの間でも議論が沸騰した。(この学校は創立大正13年。大正デモクラシーの落とし子とも云われている。『個性尊重・自主自立・自由平等』を教育理念として掲げていたので、父兄のなかには、新聞記者、大学教授、外交官、大手商社の重役、陸軍の高官ありで、家庭で、いわゆる「事件の裏話」に接する機会が多かったようだ。)

   クラスメイトの話を総合すると、安藤輝三大尉は
   ・ 中尉のころから陸軍大学に推薦されるような逸材であった。
   ・ しかし、大学には関心を示さず、政治経済を熱心に勉強し、大物政治家の門を叩いたりしていた。
   ・ 部下から非常に慕われており、いろいろ相談を持ちかけられていた。
   ・ そして、常日頃、部下の兵士から農村の疲弊について聞かされていた。
   ・ 将官を私邸に訪ね、兵士の実家の実情を説明して、「地方財政の改革に手を打つべき」との心中を吐露していた。
   ・ その一途な気持ちを、その将官に利用されてしまった。

   ―――すなわち、私邸を訪ねてきた彼に
   将軍は、待っていましたとばかり自宅の客間で青年将校と抱き合い、酒を酌み交わし「頼りになるのは貴様、安藤!貴様しか居らぬのだ。同士を集めよ。○○大佐とよく相談するように。××少将とは来週会合があるので貴様の話を充分説明し、承知してもらう所存なのでーーー」と、連絡をとるべき将官の名前・時期などを述べた。さらに「特に首班になって頂く方のご承諾については、よくよく閣下方のご意見を拝聴するように」などと話したようだ。
 高価な土産を与え、帰るときはタクシーを呼んでやった。
 最後に「○○閣下とのつながりだけは例え計画が失敗し拷問にあってもいうなよ、云えば貴様を射殺し、俺も死ぬ」と釘を刺したーーーという話もあるようだ。
―――とのことである。

   しかし、結局、この青年将校のみが死刑になり、将軍やその参謀の、大佐、中佐は満州や北支への出征(左遷)だけで済むのである。

― 完 ―

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