@





       
ENGLISH
In preparation
運営団体
メロウ伝承館プロジェクトとは?
記録のメニュー
検索
その他のメニュー
ログイン

ユーザー名:


パスワード:





パスワード紛失

Re: 東京の小学生が見た「ニ、ニ六事件」・その6 大正生まれの Y

投稿ツリー


このトピックの投稿一覧へ

編集者

通常 Re: 東京の小学生が見た「ニ、ニ六事件」・その6 大正生まれの Y

msg#
depth:
1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2008/6/5 8:11
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 (6)先生が「未だ何が起こるか分からないから―――」と云ってその日は午前中で下校することになった。道中は人々が何時もどおり動き回り兵隊の姿も見えず変わったことは何もなかった。

 (7)家に帰ると母が「ラジオは歌でも落語でも何でもやっているわよ」「決起部隊はどうなった」「お昼のニュースでは
―――(以下、母の話を要約すると)―――戒厳司令官の命により戒厳部隊が次の所在地の守備につくので占拠部隊は午後3時までに次の取材地に移動を完了するようにと云って、両方の沢山の住所を繰り返し放送していた。決起部隊の呼び名が変わったの?」「ニュースでは占拠部隊といっていたわよ」「(これも母の話の要約であるが)それから市民の方々は今申し上げている所在地から500m 以内に近づかないようにしてください」「只今各部隊守備指定の位置から1キロに当たる各道路に警察署の臨時派出所を多数設置いたしましたので、特別な事情により 500m 以内に立ち寄る必要のある方は必ず道路脇にある臨時派出所に出向き目的、到着地、滞在時間等を申し出てください。派出所で通行許可証明を相手方守備部隊の了解を取った上で発行いたしますので、其れを持参してお出かけください。巡邏隊などに出会った場合は許可証明を見せて説明してください。相手方の守備隊又は占拠隊の事前許可を派出所で取り、相手の官姓名も記入してあるので必ず通行できます」
―――など警察からの伝達事項ばかり繰り返しやっていたようだ。

 (8)今のようにパソコンはおろか、携帯電話、テレビ、自動電話(交換局不要の)など全く無かった時代だったので、ラシオと新聞、駅の掲示板だけが情報源であり、ラジオのニュースは朝7時、9時、正午、午後3時、6時、7時、9時、10時の8回であった。大地震など発生の際は朝5時から60分毎に夜中の12時まであったと記憶している。人的被害の出る火事も大地震同様の取り扱いであったと思う。

 (9)「お父さんは中央線一本で丸ビルまでだし、阿佐ヶ谷には兵隊さんは居ないから関係ないと思ってラジオは消してしまったの」と母が云った。

 (10)父が6時ごろ帰宅して「兵隊は東京駅の東、西と中央改札口に5、6人ずつ守備についているという話が多く、丸ビル周辺は何事もないようだった。ただ、営業部の人の話だと溜池周辺では占拠部隊と正規軍部隊が陣地に土嚢を積み上げて、正面に重機関銃を構え凄い様子だと云っていた。」との話をしてくれた。
 また、荻窪の話を私が得意がってしゃべりながらみんなで夕食を食べた。

  条件検索へ