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水上特攻・肉弾艇「震洋」 体験記②-1

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通常 水上特攻・肉弾艇「震洋」 体験記②-1

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2009/3/12 8:44
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
体験記②(「甲飛だより」第84号)

  「訓 練」

 付近に人家等全く無い所で、板張りの仮設ホームの「川棚駅」に着いた。
 いよいよ最後の訓練が始まるのかと少々緊張し、衣嚢《いのう=注1
を担いで通った隊門に「川棚臨時魚雷艇訓練所」のほかに「川棚嵐部隊」の名前が掲げられていた。
 嵐部隊とは「突撃隊」を表す呼び名で、いわゆる特攻部隊を指すものだと教えられた。
 隊内は木造の建物が殆どで、兵舎を始め基地全体が暫定的な設備のようで殺風景、これが実施部隊の姿かと緊張感に包まれた。
 とうとう「土浦海軍航空隊」から九州の特攻基地へ着いた。いよいよ最後の仕上げをする地に到着したわけである。
 訓練期間は2カ月と聞いていたが、その後、何処の基地へ行き、どうなるのか知る由もない、ただ自分が進んで行く方向は一つに決まっているんだ、と自分自身に言い聞かせ、ひんやりした兵舎に入った。
 兵舎は、木造平家で内壁も張ってない本当のバラック建て、土間の通路の両側が畳敷になつている大広間で間仕切りがない。土空や三重空等の本格的兵舎との違いを見て、また異様な切迫感を覚えた。
 隊門に魚雷艇訓練所とあったが「震洋艇」 の訓練もやっている。しかし、沖縄に近い此処は実戦基地だった。何しろ敵が沖縄まで来ているため、この基地からも時折魚雷艇が沖縄海域へ向けて出撃して行く、第一線と同じ緊張感に包まれていた。
 年齢も古稀を過ぎた今となっては、川棚の訓練所に着いたその時の心境は思い出そうとしてもなかなか思い出せない。割合淡々としていたような気がする。
 若者ばかりの集団で、「特攻」を当然と受け入れて来ていたので、「さあ特攻訓練だ」というような気負ったものはなく、ましてや悲壮感などまるでなかったように思う。ただ確実に言えることは、その時、既に一つの悟りのようなものを持っていたのではないかと思う。
 「特攻訓練は自分が死ぬための訓練である」。これは正常の感覚ではなかなか理解できないことだが、当時そのことに全く疑問を持たなかったのは、一つの救いだったかも知れない。
 予科練の訓練は、体力、気力、知識作りだったが、ここ「川棚」での特攻訓練は実戦に必要な事柄、つまり如何に確実に敵の艦艇に体当たりし、それを沈めるか、その技倆を身につけることだけである。
 したがって、余分なことは全て切り捨て、最低限必要なことを体得すればよいとしていた。その体当たりの技術を習得しなければ目的の遂行が出来ない。つまり犬死になりかねない。しかも2カ月という短期間内に習得しなければならないので、訓練はかなり密度の高い厳しいものだった。
 震洋艇による行動訓練や襲撃訓練は、夜間や雨天など悪条件の時が実戦に即しているとされていたので、座学は昼間、実技は夜間が多く、夕刻出航で帰着が夜中になっても、翌日は定時総員起《起床》こしである。そんな時の座学はまず睡魔とも戦わなければならなかった。しかし、必要な知識は身に付けておかないと、自分の生命が直接危険に曝され、攻撃前に一命を失うことになりかねない。そうなると、折角の「特攻」という使命が達成出来なくなるので真剣だった。不幸にして艇が故障して漂流した時も何とか生き延びるのだと、生き延びるための最低限の知恵まで教えてくれた。
 艇に取り付けてある羅針盤には、約1リットルの純粋のアルコールが入っていて飲用になること、フンドシを使って魚を釣る方法など、意外な程命を大切にすることを教えられた。
 その後も「浜マデハ海女モ箕着ル時雨哉」と、繰り返し言われたことも今でも時々思い出す。
 また、訓練以外の作業もあった。訓練艇の燃料搭載作業は一苦労、横穴の燃料庫からドラム缶を転ばして桟橋まで運び、自分達が使用する艇への燃料を補給する作業だ。これは重労働でしかもアルコール酔いとの戦いである。艇のエンジンは、自動車のエンジンを使用しているので、通常ならガソリンを使うのだが、この時期にはもうガソリンは欠乏していて、訓練用に回すガソリンなど無かったので、訓練には代用燃料のアルコールを使用していた。
 200リッター入りのドラム缶は、中身がアルコールでもかなり重い。雨で濡れた坂道などは2人でも言うことを聞いてくれない。方向転換は特に難しい。雨合羽を泥だらけにして悪戦苦闘、ようやく桟橋に到着、いよいよ燃料の搭載である。
 1隻に1回100リッター程でよいのだが、ポンプなど気の利いた物は無いからホースを使う。ホースを口で吸い、アルコールが出てきたら素早く艇のタンクに注ぎ込むようにする。だが、このタイミングが難しい。アルコールが口に入ったら大変である。
 それでなくても燃料搭載作業は、数十隻が一斉に行っているので、アルコールの臭気が桟橋付近に立ち込めていて、それを吸い込んでフラフラの状態になりかけているのだから。ドラム缶の運搬や燃料の搭載などにどうして自動車やポンプを使用しないのかと思ったが、この時期急造基地にはそんな設備を備える時間がなかったのか、或いはそのような設備を備える余力が、もう日本に無かったのかも知れないなどと、妙な納得をしながら自分達が使用する艇の燃料搭載に取り組んだものだった。
 過密な訓練で怪我もあったと聞いている。艇に搭載する12糎ロケット散弾の実射訓練がある。その訓練の前にロケット弾の構造と固体燃料を含めた座学と組み立て実習をやり、終了後艇に搭載し、ようやく出航となる。
 撃発信管《注2》は出航直前に火薬庫から受け取るのだが、それを受け取って帰る途中転倒し、持っていた信管が発火して左手の指3本を失った者がいたとか。
 人身事故以外はかなりあった。襲撃訓練で標的艦に衝突して艇を破損して沈めたり、艇相互の接触で艇に穴を開け、浸水で沈めたり、特に航行中エンジントラブルで帰投不能になるケースは多かった。
 しかし、そんな事放では叱られたことは殆どなかった。特に襲撃訓練で標的艦に衝突した場合などは、攻撃精神旺盛と誉められこそすれ叱られることはなかった。
 自動車エンジンの機構を始め、故障の修理方法は教わった。飛行機のエンジンを習っているので、構造にはそれほど苦労はなかったが、海水の影響をまともに受けているエンジンは、電気系統の故障が多発したので、それにはかなり悩まされた。
 通常訓練には2人乗船なので若干心強かったが、どの艇も酷使して疲れ切っており、何時故障するかと冷や冷やだった。
 訓練初期にはエンジンのコントロールに先ず苦労した。何しろ自動車エンジンを使用しているので、アルコールの燃料ではなかなか調子が出ない。慣れるまでチョーク《注3》とスロットル《注4》の兼ね合いが難しい。しかも、艇ごとに癖があり、手加減が違う。
 スピードコントロールがうまく出来なければ、編隊行動など思いもよらない。必死でチョークとスロットルレバーを握る。
 変速ギヤが無いし当然後進も無い。慣れないうちは桟橋へ衝突し、艇を破損する事故もあった。
 チョークの感覚をのみ込み速度のコントロールに慣れ、艇の行き足や進路変更時のカンが身に付いた頃には、訓練も半ばを過ぎていた。特に夜間の訓練で航行不能になると、通信手段が全くないので一時的に行方不明になる。
 エンジンが故障すると修理するのは一苦労、何とか修理に挑戦するが、修理工具や照明器具など満足にない暗い海上で、波に揺られながらでは思うようにはならない。何しろエンジンが海水の影響を受け、電気系統は弱っているので修理は容易ではない。
 自力での修理が不能な時、戦時中この特殊訓練海域は漁船さえ入れなかったので、捜索船か仲間が発見してくれるのを待つ以外方法はなかった。
 夕刻出航し大村湾を半周して、夜明け前に「亀の浦」基地に入港する航行訓練は散々だった。
 丁度梅雨の季節で、当日は雨風が相当あり、実戦訓練向きとされるような夜だった。
 予定の4隻で一グループを作るべく桟橋を離れた後、なるべく早く編成予定の仲間が近寄ろうとするのだが、夕刻の薄暗さと雨に遮られてグループ艇の判別が難しく、たった4隻の集合だが意外と手間取った。一斉に出航した約50隻の艇は、どの艇も同じ色で同じ大きさ、雨合羽を着ている乗員は皆同じに見え、夜間ではどれがグループ仲間の艇か判別は極めて困難だった。
 実戦では相互の連絡手段は必要ないので、この訓練でも連絡方法は重視せず、リーダー艇に懐中電灯、他の艇には呼び笛のみだった。
 懐中電灯の発光信号は、波に揺られ雨に遮られ、呼び笛のモールス信号も、途切れ途切れで相手に届かない。見通しがあれば手信号を使えるが、暗夜ではそれも役に立たず。
 出航して左手の岬を過ぎた辺りから、風は強くなり、波も高くなった。その辺りまで来ると、各艇の性能差の影響も出てくるようになり、更に波に波に揉まれ雨に視界を遮られ、次第次第に離れ離れとなり、お互いを見失う事になってしまった。
 訓練に使用している艇は、皆酷使したもので調子はそれぞれ違っている。しかも燃料はアルコールなので、これぞという時に力を出してくれない。それに海水の洗礼も受けているエンジンは、電気系統の故障が起きない方が不思議なくらいだった。
 こんな悪条件下で艇が故障したら大変である。故障だけはしてくれるなと祈りながら、必死になってハンドルにしがみ付いていた。
 故障で暗闇の海上に取り残されたら、大村湾内ではあるが、手漕ぎボート程の小さい艇を発見するのには時間がかかる。
 捜索が始まるのは明日昼頃だろう。飛行機による捜索など絶対にない。そうなると飲まず食わずで波に翻弄されながら、20時間くらいは頑張らなければならなくなるぞ、と言い聞かせ、夢中で予定コースと思われる方向へ艇を走らせた。勿論風雨の暗夜で陸地の影など全く見えない。
 羅針盤があるので方向は判るが、小舟が波に挟まれていては、方向を一定に保つ事は困難であるし、危険でもある。速度感も狂ってしまう。たとえ速度計があったとしても、波に翻弄されていてはどの位の距離を走ったのか全く判断ができない。方向も、速度も、距離も不正確のまま未知の海域で山勘の盲目航行となってしまった。
 どの辺りをどう走ったか判らないまま、夜明けまで走り廻っていたが、とうとう目的地へ到着出来なかった。
 薄明るくなつてようやく見え出した山の稜線から判断して、「亀の浦」 への方角を見定め、ずぶ濡れで震えながらもほっとして全速で艇を走らせた。結果は、皆単独航行の形となり、夜明けになつてからの帰投となつた。訓練成果の講評は散々だったが、途中故障した艇も無く全員無事だったことを皆で喜んだ。
 訓練終了間近に実施された、「面高基地」へ回航する「総合訓練」では、肝を冷やした事故を経験した。経路は、川棚訓練所を出航した後、大村湾の北部を横断して「針尾の瀬戸」を通り、佐世保湾の入口を躱(かわ)して、西へ向かい西海岸を南下すると、間もなく面高湾があり、その湾内に「面高基地」がある。そこが目的地。
 行程は40海里程だが、途中に難関の 「針尾の瀬戸」がある。
 針尾の瀬戸は、航行の難所として有名なところで漁船等の遭難も多く、ベテランの船頭でも潮時が悪ければ絶対に通らないという。潮の干満の時には大村湾の海水が、この狭い針尾の瀬戸を出入りするので、水面に段差が出来、所々に渦巻きが起きるほど激しい流れとなる。
 両岸は断崖絶壁で退避場所は無い。しかも、コースを少し外れた所では、海水は渦を巻き、船を翻弄し、岩壁に叩き付けようとする。そんな危険な瀬戸である。今は「西海橋」が架かり、景勝の地で知られているが、当時は橋も無く、交通の難所で、その頃遭難した船があったが、遺体は発見出来なかったと聞いていた。
 2人乗りで出航した我が艇は快調で、「針尾の瀬戸」に入った。この調子ならこの瀬戸も無事乗り切れるものと、安心していた時の突然のエンストである。
 特に注意されていたその「針尾の瀬戸」で、「エンスト」を起こしてしまった。
 今までの訓練でもエンストを起こした事はあるが、何とか修理して自力で帰投していたので、今回も修理しようとしたが、激しい潮流に艇は流され、右側の岩壁があっと言う間に迫って来た。故障箇所を調べる余裕など全く無い。一瞬の猶予も出来ない。同乗の伏島兵曹と2人で急いで小さな櫂と、こんな時のためにと用意してあった竹竿を持ち、全身の力を込めて岩肌を突っ張った。
 岩壁に艇が叩き付けられたら、ペニヤ板製の艇はひとたまりもなく破損沈没してしまう。兎に角岩壁に叩き付けられないようにするしか方法が無い。必死になつて岩壁を突っ張った。頑張った。5米程の船だが強い流れに押されていると、かなりの圧力を受ける。艇の沈没即遭難では遣り切れない。
 何時の間にか艇の向きが逆方向に回り始めたが、それを止めようがなかった。この瀬戸では流れが速く、岩壁側には渦流が起こると教えられていた。その逆流は意外と強く、逆らうことは不可能だった。
 こうなったら岩壁との体力勝負である。どの位経ったのか救援艇が来て、曳航が始まった時には、2人とも口もきけない程疲れ果て座り込んでしまった。
 瀬戸の中間辺りに小島がある。その島のため、その周辺は特に潮の流れが激しく複雑であるから、と特別注意があった、その手前でのエンストだったのである。
 同様のケースが3件あったほか、艇を沈没させた事故もあった。エンストを起こした艇を見た指揮官の乗った艇が、急遽駆け付けたが、潮の流れが激しく複雑だったためか、指揮官艇が故障艇に激突、故障した艇は破損沈没してしまった。
 震洋艇は、敵の船舶に体当たり攻撃をかけ、その衝撃で艇の前部が破損したら、そこに仕掛けてある電気回路が通じて電気信管を作動させ炸薬に点火し、更に積んである250キロの爆薬を爆発させる仕組みのため、艇は壊れ易く作ってある(注=衝突で爆発しない時のため、手動操作で撃発信管を作動させる装置も用意されていた)。
 この回航で、震洋艇の訓練教程は終了した。
 2カ月の訓練はあっと言う間に過ぎた。殆ど無我夢中で「死ぬ訓練」に没頭していたわけだが、終わってみると何となく爽やかだった。
 最後に気になつたのは、転勤先の基地が何処になるのかだった。最終の地が何処になろうと同じ事だと判っていても、何となく早く知りたかった。
 その基地から遅かれ早かれ出撃する事になる。そして、その地へは再び戻って来る事はないものと承知していても、その場所が何処になるのかが気になった。

注1:海軍の下士官 兵が衣服等を収納する 布袋
注2:衝撃で爆発する信管
注3:燃焼させる燃料の混合比を一時的に高めるよう調節する装置
注4:流体の流れを絞ったり開放したりするレバー
注5:船の場合 エンジンを止めても駄足で進む力

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