水上特攻・肉弾艇「震洋」 体験記(完)-1
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水上特攻・肉弾艇「震洋」 体験記 (編集者, 2009/3/9 16:38)
- 水上特攻・肉弾艇「震洋」 体験記②-1 (編集者, 2009/3/12 8:44)
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編集者
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体験記(完)(「甲飛だより」85号)
「基地整備」
まだ震洋艇は到着していない。基地の点検作業は明日からとなった。艇は台車に乗せて横穴に格納、隠蔽して敵襲を避ける。「出撃命令」で艇を搬出し海に出す。
艇を海に出す「すべり」は完成していた。「すべり」は海に向かい真っ直ぐ延ばしたコンクリートの傾斜路で、艇を台車ごと容易に海に浮かべる為の設備である。
格納壕は道路を挟んで並んでいる数軒の民家の裏山に12本の横穴が掘られていた。その横穴は震洋艇50隻を格納するほか食料等の保管庫、居住区、通信室など非常事態に対処出来るように考えられたものだった。
艇を迅速に搬出出来るような状況に整備されていなかった。また壕の入口は台車に乗せた艇を、自由に出し入れ出来なければならないが、特攻兵器である艇の長さや幅等の情報が工事側に伝わっていなく、点検すると数個の壕に問題があることが分かった。
自分達の命を左右する艇を安全に格納しておく場所である。出撃命令が出れば一刻を争うことになる。その時につまずくようなことは絶対に許されない。
震洋艇の重量は、爆装すると1・5トンは優に越える。搬出路の半分程は轍《わだち=車輪のあと》部分だけ舗装されていたが、残りの部分は全くの未整備で、その部分の補修も重要だった。出入口や搬出路を完全に整備するのは、我々と基地整備隊員でやらなければならないことになった。
それが意外の大仕事と判り一時はやれやれと思ったが、若さがあり気合いも十分上がっていたので早速取り掛かった。
整備作業は一日も早く終了させないと問題がある。艇の到着は何時になるか判っていないが、空襲に備えて到着時に直ちに格納壕に搬入を可能にしておかなければならない。
不慣れと疲労が重なり、骨まで見える大怪我で「勝浦」の病院で手当てを受けた者、盲腸炎になったが手術を断って薬で散らしてもらった者、その他色々あったが、誰もが出撃に取り残されたくない一心からか回復は早かった。
そんな作業が続いている時、震洋艇他受領の命令を受け、艇隊長と私ら13期の搭乗員4名が先発で横須賀海軍基地へ船便で出発した。
最優先で確保しなければならないのは艇へ搭載する250キロの爆薬だ。この爆薬は震洋艇専用に製造されたもので、他に転用出来るものではない。爆薬が装備されない艇は、単なるモーターボートに過ぎない。当然出撃は出来ないし、我々の任務も宙に浮く。爆薬だけは絶対に持って帰らねばならないと意気込んでいたが、その爆薬は意外と順調に確保出来た。
他にも必要な武器があった。震洋艇に搭載する12糎のロケット散弾、艇隊長艇に搭載する13粍機銃とその弾薬、基地整備隊が必要とする武器や弾薬等々だ。
部隊長、艇隊長は武器の確保に懸命に動き回っていた。
この時期には武器弾薬の在庫が不足していたので、要求数量通りすんなりと渡してもらえない。
我々4人共若いが下士官、半長靴を履いていると飛行兵と判るし、「何々突撃隊」と言えば特攻隊と判るので、倉庫係を説得しやすい。倉庫係が気を利かせて何となく席を外してくれるその時に員数を揃える。
横須賀の「逸見小学校」の、がらんとした教室に数泊、空襲で深夜避難した事もあったが、確保した兵器などの輸送手配を、何とか済ませる事が出来てほっとした。
「基地整備」
まだ震洋艇は到着していない。基地の点検作業は明日からとなった。艇は台車に乗せて横穴に格納、隠蔽して敵襲を避ける。「出撃命令」で艇を搬出し海に出す。
艇を海に出す「すべり」は完成していた。「すべり」は海に向かい真っ直ぐ延ばしたコンクリートの傾斜路で、艇を台車ごと容易に海に浮かべる為の設備である。
格納壕は道路を挟んで並んでいる数軒の民家の裏山に12本の横穴が掘られていた。その横穴は震洋艇50隻を格納するほか食料等の保管庫、居住区、通信室など非常事態に対処出来るように考えられたものだった。
艇を迅速に搬出出来るような状況に整備されていなかった。また壕の入口は台車に乗せた艇を、自由に出し入れ出来なければならないが、特攻兵器である艇の長さや幅等の情報が工事側に伝わっていなく、点検すると数個の壕に問題があることが分かった。
自分達の命を左右する艇を安全に格納しておく場所である。出撃命令が出れば一刻を争うことになる。その時につまずくようなことは絶対に許されない。
震洋艇の重量は、爆装すると1・5トンは優に越える。搬出路の半分程は轍《わだち=車輪のあと》部分だけ舗装されていたが、残りの部分は全くの未整備で、その部分の補修も重要だった。出入口や搬出路を完全に整備するのは、我々と基地整備隊員でやらなければならないことになった。
それが意外の大仕事と判り一時はやれやれと思ったが、若さがあり気合いも十分上がっていたので早速取り掛かった。
整備作業は一日も早く終了させないと問題がある。艇の到着は何時になるか判っていないが、空襲に備えて到着時に直ちに格納壕に搬入を可能にしておかなければならない。
不慣れと疲労が重なり、骨まで見える大怪我で「勝浦」の病院で手当てを受けた者、盲腸炎になったが手術を断って薬で散らしてもらった者、その他色々あったが、誰もが出撃に取り残されたくない一心からか回復は早かった。
そんな作業が続いている時、震洋艇他受領の命令を受け、艇隊長と私ら13期の搭乗員4名が先発で横須賀海軍基地へ船便で出発した。
最優先で確保しなければならないのは艇へ搭載する250キロの爆薬だ。この爆薬は震洋艇専用に製造されたもので、他に転用出来るものではない。爆薬が装備されない艇は、単なるモーターボートに過ぎない。当然出撃は出来ないし、我々の任務も宙に浮く。爆薬だけは絶対に持って帰らねばならないと意気込んでいたが、その爆薬は意外と順調に確保出来た。
他にも必要な武器があった。震洋艇に搭載する12糎のロケット散弾、艇隊長艇に搭載する13粍機銃とその弾薬、基地整備隊が必要とする武器や弾薬等々だ。
部隊長、艇隊長は武器の確保に懸命に動き回っていた。
この時期には武器弾薬の在庫が不足していたので、要求数量通りすんなりと渡してもらえない。
我々4人共若いが下士官、半長靴を履いていると飛行兵と判るし、「何々突撃隊」と言えば特攻隊と判るので、倉庫係を説得しやすい。倉庫係が気を利かせて何となく席を外してくれるその時に員数を揃える。
横須賀の「逸見小学校」の、がらんとした教室に数泊、空襲で深夜避難した事もあったが、確保した兵器などの輸送手配を、何とか済ませる事が出来てほっとした。