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水上特攻・肉弾艇「震洋」 体験記(完)-4

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通常 水上特攻・肉弾艇「震洋」 体験記(完)-4

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1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2009/3/24 7:55
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
 「終 戦」

 8月15日の正午前、「搭乗員全員集合」が掛かった。
 玉音放送があるのでラジオを聴く事になり、近くの民家の庭に集まった(搭乗員宿舎にラジオは無かった)。戦局が厳しくなつているので天皇陛下の激励があるのだろう位に思っていた。ラジオの音声は小さく雑音が多くて、放送の内容が殆ど理解出来なかったが、伝わって来た雰囲気が何となく異様だったので、本部前に集合した。
 部隊長は横須賀へ出張中、先任艇隊長の高橋少尉から「放送は米英に降伏する事になったとの内容だ。しかし、第18突撃隊本部からの命令がまだ届いていない。戦争が終わった事が確認出来るまで現在の作業を続行する。なお、軽挙な行動は絶対に慎む事」との指示が出た。その時の高橋艇隊長の沈痛な面持ちが今でも忘れられない。一体これはどういう事か、頭の中は真っ白になり、残っていた僅かな思考までも完全に停止した。死に向かっている今の時間だけが総てだと考えていた事が根底から覆った。
 祖国のため最後まで戦う、その先駆けとなり、特攻の配置に就いたばかりだ。若さで人並みの迷いを乗り越えて来たと自負していた。ただ我々の死後祖国がどうなるのかは、神に祈るだけだったが。
 天皇陛下の異例の放送がどうしても気になつた。ソ連が参戦したことは、14期生の無線担当から聞き出していたし、特殊爆弾の威力もかなりのようだとの噂も出ていた。
 我々は特別な任務を持っている。最後を誓ってこの任務に就いた。簡単に心の切り替えが出来る訳がない。眠れない一夜が明けた。皆寡黙のまま作業を続行することで、不安を紛らそうとしたが、どうしても蟠《わだかまり》りが消えなかった。
 命を捧げて護ろうとした日本の国はどうなるのか。我々はどうしたらいいのか。心の中で悶々が大きくなるばかり。
 飲めない酒も飲んだ。煙草も無理に吸ってみた。虚しさがのしかかってきた。
 高橋艇隊長の家伝の脇差しで竹を滅多切り、鞘に納まらなくなったがお咎めはなし。
 学徒動員で海軍に身を投じた高橋艇隊長の説得力は大きかった。若い搭乗員も次第に落ち着いて来た。「無条件降伏」という完全な敗北だが。
 敗戦処理作業にかかった。涙ぐみながら、時計の針を無理やり戻す作業が始まった。
 自分が命をかけるものはこれしかないと、誓って水上特攻に身を投じてから流して来た汗は、一体何だったのか、滲み出る涙が止められない。総てを無意味にする過酷な、しかも悲しい作業だった。
 そんな時、噂か真か判らないような情報が流れ始めた。
 志願兵は呉で強制労働となる。
 特攻要員は全員捕虜になる。
 召集兵は帰すが志願兵は帰宅出来ない。まだ戦争を継続するのだと海軍航空隊が動いている等々。
 部隊長から指示が出た。
●召集兵は年配であり、家族もあるので、早急に帰宅させる。
●特攻関係兵器の処分は早急に行う。
●搭乗員は各種兵器の処分が終わり次第帰宅する。
●担当士官は最終処理をして帰る。
 これで搭乗員は当面作業の目安が出来たので、漸く動き出した。
 100名の基地隊員は殆ど年配者だつたので、早速それぞれの故郷へ引き揚げた。
 我々が出撃した後、基地隊員は陸戦隊として戦う事が決まっていただけに、さぞ安堵した事だろう。家族のもとへ帰れる事で雰囲気は明るかった。
 我々は、特攻兵器は絶対に敵国に渡してはならないと、爆装を終えた震洋艇から処分を始めた。
 艇は海没させる事になり、壕から引き出し「すべり」から海へ、これは出撃時と同じ動作だ。考えると虚しさがつのる。洲崎灯台沖まで曳船し、水深が十分ある所に沈めた。
 船底に開けた穴から海水が勢いよく入ってくる。震洋艇が静かに沈んでいく、本来なら自分と運命を共にする艇だ。無言のままに敬礼、涙がにじみ出てくる。種々の想いが走馬灯のように頭を巡る。
 隅田川で試運転をした、貨車から下ろして真夜中の海上輸送、そして250キロの爆薬を積み込んだ。短い期間だったが、密度の濃い思い出が残っていてやりきれない。
 残った爆薬や兵器類の処分を終え、身辺整理に急ぎ取り掛かった。軍事に閲した記録物等は総て焼却との指示で、予科練時代の教科書やノート類、日記その他、私物でも特攻に関する記録があるものは総て灰となった。
 残ったのは僅かな写真と、生涯絶対に忘れ得ない想い出だけとなった。
 第59震洋隊「真鍋部隊」も解散。もうこの地に留まる事は許されない。後は担当士官にお願いして帰郷する事となった。

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