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水上特攻・肉弾艇「震洋」 体験記(完)-5

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通常 水上特攻・肉弾艇「震洋」 体験記(完)-5

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1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2009/3/25 7:57
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
 「復 員」

 搭乗員は全員故郷が内地なので、それぞれ自分の家に、支障なく帰れる事がはっきりしてお互いにほっとした。
 別れの前夜飲んだ酒は実に味気ないものだった。故郷へ帰れるのに皆心底から嬉しいという気持ちになれず、半ば放心の状態が続いていた。
 特攻という死を約束した環境から、突如蹴落とされた形で、無理もない事だった。
 学業を中断されて軍隊に来た予備学生の士官達は、「学業に戻る」という冷静さと、心の余裕をしっかりと持っていたようだが、若い我々搭乗員は中学校から学業を擲って志願して来た者ばかり、再び学業を続けるなど思いもよらない事だった。
 山梨の田舎に帰る私は途中で何事かあった時のためと、米と携帯食糧少々を「帽子函」に入れた。
 台風で道路が不通となっていたので、8月26日に船便で基地を出発し「勝山」まで行き、そこから列車に乗車する事になった。列車は少々混んでいたが我々50名の搭乗員はなんとか乗り込む事が出来た。
 敗戦から僅か10日程しか経っていないのに、今までは若いが軍人と見てくれて、ある程度優遇し、或いは多少の尊敬さえ示してくれた人々の目が何となく違ってきていた。
 東京で別れ、それぞれの故郷へ。
 福岡出身の同期「秀谷茂輝」兵曹が、私の手を握って「死ぬなよ」と一言。「貴様こそ死ぬな」と返したが、その時「金子分隊士」がくれた香取神宮のお守りの事が頭をよぎつた。
 お互いにもう再会する事は無いかも知れない、と思いながらもそれは胸にしまい込んで別れた。
 僅か2年弱の軍隊生活だったが、その間に社会の状況が急激に変化していた事を、全く知らなかった。
 さらに、特攻に志願してから無欲の心境にもなっていたから「今浦島」状態になっても当然だった。
 満15歳で予科練に志願して2年弱、特攻配置に就いていながら生きて帰って来た。
 飛行機乗りに志願した時から、生死については深刻に考えた事はなかった。特攻に志願し、大村湾で特攻訓練を受けるようになってからは、「生きて帰る」など全く考えなくなっていたのに。
 とうとう故郷へ、そして家に帰って来てしまった。両親は心から喜んでくれた。とにかく、生きて帰って来た。(おわり)


第59震洋隊・真鍋部隊の構成175名
攻撃(突撃)部隊
部隊長・真鍋康夫中尉(海兵73期)
 艇隊長・高橋俊少尉(予学)
  〃 ・山本昇少尉( 〃 )
  〃 ・西村心華候補生 (予生)《注1》
 搭乗員53名
(甲飛13期・14期生)
・本部
 機関科村上善治兵曹長以下18名
・整備隊
 機関科鈴木津兵曹長以下36名
・基地隊
 砲術科佐藤博志兵曹長以下60名

注1:昭和18年から創設された 旧制大学予科 高等 専門学校
在学中の学生を 徴兵し海軍予備生徒として採用した士官養成制度出身者

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