38度線を越えた! その2 青木 輝
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38度線を越えた! 青木 輝 (編集者, 2010/11/25 8:24)
- 38度線を越えた! その2 青木 輝 (編集者, 2010/11/26 8:17)
- 38度線を越えた! その3 青木 輝 (編集者, 2010/11/27 8:35)
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- 38度線を越えた! その7 青木 輝 (編集者, 2010/12/1 9:17)
- 38度線を越えた! その8 青木 輝 (編集者, 2010/12/2 8:44)
- 38度線を越えた! その9 青木 輝 (編集者, 2010/12/3 8:22)
編集者
居住地: メロウ倶楽部
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戦争体験の労苦を語り継ぐために『平和の礎』選集
満州では、人が乗る馬車をマーチョと呼び、輪タクをヤンチョウと呼んでいた。街にしかない銀行の支店長だった父には、毎朝銀行からの差し回しのマーチョが迎えに来ていた。私は、いつも父の横に乗っており、冬には中国人の御者が足に掛けてくれる温かい毛布に包まれて、小学校まで勇躍して登校していた。言わば、「おぼっちゃま」だった。そのマーチョの御者をしていた王さんは、私を随分とかわいがってくれた。
ある日、王さん.の家に連れて行ってもらったことがあった。王さんの家は、日本人街からマーチョで十五分ほど行った所にあり、十世帯ぐらいが住んでいる長屋の一角であった。土を固めて作った塀の中に入ると、豚やアヒルが鳴きながら寄ってくるので、私はびっくりして王さんの家に駆け込んだ。家の中に少し高くなった部屋があったが、そこには畳が敷いていなかった。土の上に油紙のようなものが張ってあって、床全体がぽかぽかと暖かかった。いわゆるオンドルである。オンドルに座っていた王さんのお母さんが、にこにこ顔で私を迎えてくれたが、そのお母さんが立ち上がった時、私は「あっ!」と息をのんだ。お母さんの足はまるで赤ちゃんのように小さかったのである。歩くときも、ちょこちょこしていてやっと歩いているようだった。お母さんの友達が私を見に家に入って来たが、その人の足もお母さんと同じように小さくて、やはりちょこちょこと歩いていた。私はまるで小人の国に迷い込んだような気持ちになってしまった。言葉は分からないが優しそうな人で、「タンホーロ」という甘いアンズのお菓子をもらって、再び王さんのマーチョに乗って家に帰った。私は家に戻るとすぐ母に、王さんの家の様子をやや興奮して話したが、母は当然というような顔をして、「中国では昔から女の子が四歳か五歳になると、両足を布で固く巻いて足の発育を止めてしまう風習がある」と話してくれた。更に、「それは女の人が家族から逃げないようにするためだったんだよ」とも話してくれた。しかし私には理解できず、王さんのお母さんのことを、かわいそうに思っていた。後にこの風習が『纏足(てんそく)』というものだと知った。