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38度線を越えた! その9 青木 輝

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通常 38度線を越えた! その9 青木 輝

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2010/12/3 8:22
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 戦争体験の労苦を語り継ぐために『平和の礎』選集
 
 この軍艦は駆逐艦の『花月』で、引揚船に改造したものだった。こうして私たちは、引揚船に乗ることができた。船は対馬海峡を潮風を切って、一路博多港に向かった。私は甲板に出て舳先に行ったが、十月なのに潮風は冷たく頬を刺したが、空は明るく晴れ渡りすがすがしい気持ちになった。内地とはどんな所なんだろうか、内地を知らない私はそう思った。友達と仲良くなれるだろうか。今まで満州やソ連や朝鮮で、いろいろな体験をしてきた。どんな国であっても、どんな苦労が待っていても、私はまだ小学校の四年生だ。それを乗り越えて、勇気を出して頑張ろうと心に誓った。大きな波が寄せてきたかと思うと、舶先にぶつかって割れ、ぱっと水しぶきになって散った。船は荒波を乗り越えながら、刻々と日本に近づいていた。

 博多港に着いた私たちは、岸壁のテント村でDDTの洗礼を受けた後、いろいろな手続きを済ませて、静岡までの切符をもらい、満員の汽車に乗った。都会に近づくと、野菜や米の大きな荷物を持った人が乗り込んでくる。窓を開けろと言って、窓から入り込んでくる人もいた。三十時間かかって静岡に着いたが、静岡を知っているのは母だけだ。ここからは母の引率になる。駅前で焼け残っていたのは、七階建てのデパートだけで、後はバラックの家ばかりだった。それでも商店は細々とやっていた。商店街のはずれに大きな通りがあって、向こう側の角の空き地で戸板に果物を乗せて売っている露天商がいた。

 私は、一瞬はっとなった。父と二番目の姉に似ている。母に「あの人、お父さんに似ているね」と言った。母は「あれ、お父さんと文子だよ」と答えた。私は、大きな声で「お父さーん」と叫んだ。父と姉はこちらを見たが、しばらくは何も言わない。すると姉が、突然こちらに向かって走り出し、母に抱きついた。声を出して泣いていた。

 こうして私たちは、元の家族七人の生活を始めた。銀行の頭取から露天商になった父だが、そのことについては皆何とも思わなかった。家族全員が無事に再会できたことに勝るものはない。姉たちは、教員や商社に勤めて一家を支えた。一年後、二年後には長姉、次姉の夫も無事に戻り、松尾さんも無事に帰国した。

 その後、姉たちは鳥取、福岡、愛媛と夫の出身地に赴き、新生活をスタートさせた。私はラジオのパーソナリティという、社会的にも責任のある仕事に就いて、毎日を生き甲斐を持って過ごしている。これも、父、母、姉たちの温かい支援があってこそ与えられたものと思い、感謝している。

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